https://ameblo.jp/kissam59/entry-12554462670.html
の続きです。浜松城の立地条件(天竜川の右岸河岸段丘から、東の武田を意識)の解説でふと思いました。
【にわか独りよがり歴史学】
江戸城は、武蔵野台地の東端にあります。もともと太田道灌が築いたことは有名ですが、なぜ家康はその地を選んだのでしょうか。
先に一周してみて思ったのですが、半蔵門(内堀の西側)から本丸に入るには、吹上を経由して西ノ丸に周るか、北ノ丸を経由する必要がありますが、大地の西側から攻め入る方が、東側に比べて容易な印象を持ちました。
因みに半蔵門前の現在の警備は、とっても厳しそうでした。そうなんです。麹町警察署半蔵門警備派出所 があります。
関ケ原の戦いが終わって残った豊臣方の元有力大名(外様)は、薩摩や毛利ですが、江戸からみると(西側)かなり遠いです。その間に尾張藩(名古屋城)や紀伊藩(和歌山城)を配置したり、大阪城を作り直したりして江戸から見た西側の防備は万全です。
一方、江戸から見て東側というとあの伊達藩があります。
That's whyですね。伊達藩の動きにも注力する意味で、東側の見晴らしが利く今の場所に江戸城を構築したと思われます。
【参考記事】