皆さんの住んでいる町では、もう山が色づいていますか?


 木曽町の山々を見てもまだ緑色です…うーん…


 聴けば、紅葉の赤色はアントシアニンという色素によるものであり、夏の日照時間が長いと大量の光合成生産物が作られ、アントシアニンに変わることで鮮やかな赤色になるそうです。


 ならば、暑かった今年はもう真っ赤っかになってもいいのでは?


 ところが、紅葉の代表種であるカエデなどは、弱い光を利用して光合成する植物で、強烈過ぎる日差しは苦手なんだそうです。


 酷暑になってしまうと、いわゆる「日焼け」状態になるんだとか。


 今年も酷暑だったから、紅葉は期待できないのでしょうか。


 先週、探検隊一行は、「駄目もと」を覚悟しながら、木祖村方面へ。


 まず奥木曽湖(味噌川ダム)に向いました。


木曽路名水探検隊のブログ-大橋1  木曽路名水探検隊のブログ-大橋2


 奥木曽大橋からさらに上流を眺めます。


木曽路名水探検隊のブログ-上流1  木曽路名水探検隊のブログ-上流2

木曽路名水探検隊のブログ-合流


 一部黄色いですが、白っ茶けており、「日焼け」っぽいですね。

 赤くなっているところは全く見当たりません。


 下流を眺めます。


木曽路名水探検隊のブログ-下流


 夏だか秋だかわからない状態です(汗)


 我々は、失意のまま、水木沢に向いました。(続く)(momo)


(余談)


木曽路名水探検隊のブログ-案内板


 奥木曽大橋に「たかまわり」という地名について案内板が立っていました。


 これによると、鷹狩りに用いる鷹の雛を保護するための山を「巣山」と言ったそうで、平沢に多くある「巣山」という名字は、ここに由来しているのだろうことがうかがわれます。


 言われてみると、今にも鷹が飛んできそうな気がしますね。


(以下案内板の記載)


 味噌川山とたかまわり


 この辺りは「たかまわり」と呼ばれ、地元の人々には「たかまり」の略称とともに特に眺めの美しい場所として親しまれてきた。たかまわりは、また、笹尾沢と味噌川本流の合流点でもあり、この奥に広がる味噌川山の入口にも当たる。


 木曽川の源流たる味噌川は、鉢盛山(標高2446メートル)を水源とし、大小80余の沢を集めて流れ下る、6900ヘクタールの国有林を育んできた母なる川である。


 江戸時代、この味噌川山は、尾張藩領として森林資源が大切にされてきた。「荻祖村内味噌川笹川惣御山絵図」(名古屋市立図書館蔵)によると、笹尾沢以北の全域が「留山」となり、地域住民の立入りや伐採が厳しく禁止されていたことがわかる。また、同絵図には、味噌川谷の最深部の池之沢と尾頭沢の上流部2ヶ所に「巣山」という囲みの部分が見られる。巣山とは、将軍や大名達が「鷹狩り」に用いる鷹の雛を保護するための山のことである。味噌川の鷹は、木曽谷のうちでも特に優秀なものとして珍重されたという。


 その後味噌川山は明治22年御料林に編入され、昭和2年には薮原駅から味噌川山へ森林鉄道が敷設された。昭和22年、国有林に移管されるに及んで薮原営林署の管轄となり現在に至っている。


 ところで、この辺りはなぜ「たかまわり」と呼ばれるようになったのだろうか。かつて、この留山や巣山へ入るには懸崖絶壁の山を越えるか、激流渦巻く谷底を這って行くしかなかったが、地元の人々は、昔からこの山を越すのに高い所を迂回して奥山に進んだと言い伝えている。このことから「たかまわり」の地名が生まれてきたものであろう。


 味噌川ダムの建設により、この山の一部は削られ、一部は湖中に没したが、味噌川の山々とその山々に育まれた源流が、いつまでも豊かな自然をたたえ、村人や下流の人々にうるおいと安らぎを与えてくれることを願ってやまない。


  平成8年11月吉日


木祖村村誌編纂室・薮原営林署
水資源開発公団味噌川ダム建設所