2023年3月17日

写真の整理をしていたら2014年4月29日に弘前城公園で撮影した、鴛鴦のつがいの写真が目につきました。

 

 

詩人の大島健夫さんが「古典文学と里山の生き物たちの世界」で、オシドリについてこんなことを書いています。

 

ある日、陸奥の国の赤沼というところで猟師がつがいのオシドリを見つけ、オスの方を射る。

その夜、猟師の夢の中に美しい女性が現れてさめざめと泣き、「昨日赤沼で、長いこと連れ添った私の夫が罪のないのに射殺された、あまりにも悲し過ぎて私も生きていることができない」と言い、和歌を一首残して去ってしまう。

その翌日、赤沼で猟師が見たものは、オスのオシドリの死骸の傍らで、オスの嘴を自分の嘴でくわえて死んでいるメスのオシドリだった。

これを見た猟師は世をはかなんで出家する・・・・・

 

これは、鎌倉時代に編纂された「古今著聞集」に「馬充某陸奥国赤沼の鴛鴦を射て出家の事」と題して収録されている話でが、ほぼ同じような内容の伝説は日本各地に流布しており、「古今著聞集」とだいたい同世代に成立した仏教説話集「沙石集」にも、同様の話が収録されています。

(古今著聞集では舞台が東北なのに対し、沙石集では下野の国、つまり栃木県になっています。)

 

後年、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が、これらの話をもとにして「おしどり」という短編を書きました。

そこでは、メスのオシドリが猟師の前で嘴で自分の体を突き破って自殺する、というより劇的な展開になっています。

オシドリは、「おしどり夫婦」とか「鴛鴦の契り」とかいって、古くから夫婦仲の良い生き物の代表格として扱われてきました。

確かに、繁殖期のオシドリはどこへ行くにも雌雄一緒に行動し、オスの美しい羽根と相俟ってたいへん仲睦まじく見えます。

 

しかし、実際には彼らは、「長いこと連れ添った」りはしないのです。

 

子育ての時期になるとペアは解消され、育児は雌が単独で行います。

その時期には雄の美しい飾り羽も抜け落ち、雌とほぼ同じ姿になってしまいます。

これを「エクリプス」と言います。

そして季節が廻り、また繁殖期がやってきたとき、彼らがそれぞれ選ぶのは、前年と同じパートナーとは限りません。

つまりオシドリの夫婦関係とは、たった半年間ほどのものでしかないのです。

 

 

「お宅はおしどり夫婦でいらして」などと軽々しく口にすることは、若干の危険をともなっていることかもしれません。