インカを歩く(感想)
インカは南アメリカのペルー高原を中心に君臨した王とその部族であり、ケチュア語を用い,アイユと呼ばれる一種の血縁・地縁的集団を基盤としました。 ”インカを歩く”(2001年6月 岩波書店刊 高野 潤著)を読みました。 長年アンデスの雄大な自然と伝統の世界を撮り続けてきた写真家が、マチュピチュ、大自然、ビルカバンバなどの紀行を写真と文章で紹介しています。 太陽を信仰し、高度の文明をもち、クスコを首都とするインカ帝国(1250年ころ―1533年)を建設し,1400年代にはチムー文化王国を併合して、北はエクアドルのキト付近から,南はチリ中部のマウレ川に及ぶ版図を占めました。 当時皇帝の命令によって、インカと同じ言語を使用していたものを、すべてインカとよぶことになりました。 ところがスペイン人が侵入してきて、この意味をさらに拡大し、帝国そのもの、またはスペイン的でないものすべてをインカとよびました。 さらにまた、帝国の皇帝をもインカとよぶようになりました。 正式な帝国の名称はタワンチン・スウユです。 タワンチン・スウユとは、四つの地方からなる国土の意味で、帝国を東西南北の4地域に分割してそれぞれ地方長官を任命していたことによる国名です。 高野 潤さんは1947年新潟県生まれ、1972年 に写真学校を卒業し、1973年からペルーやボリビアをはじめとする南米に通い続け、アンデスやアマゾン地方を撮り続けました。 インカ帝国は、世界遺産である15世紀のインカ帝国の遺跡のマチュピチュから、さらに1000m程高い3,400mの標高にクスコがありました。 クスコ王国は13世紀に成立し、15世紀の中ごろから急速に征服を開始し、第9代のパチャクチ皇帝は在位33年間に帝国の版図を約1000倍に拡張しました。 第11代のワイナ=カパックはさらに領土を拡張して、アンデス世界の100万?、南北の距離は4000kmに及ぶ大帝国となりました。 ワイナ=カパック死後、皇位継承をめぐって争いが起こりました。 皇妃との間に生まれた正統な皇子ワスカルと、側妻の子アタウワルパが帝位をめぐって争い、帝国は二分されて内戦となりました。 1532年にアタウワルパが勝利を収めて帝位を嗣ぎましたが、時を同じくしてスペインの征服者ピサロが北端のツンベスに上陸しました。 ピサロはわずかな部下を率いて進撃し、アタウワルパを欺して捕らえてこれを殺害し、1533年にインカ帝国は滅亡しました。 その後も1536年には反乱を起こし、最後の皇帝を称したトゥパク=アマルは1572年に殺害されました。 滅ぼされるまでの間の約200年は栄え、最盛期には80の民族と1,600万人の人口をかかえ、現在のチリ北部から中部、アルゼンチン北西部、コロンビア南部にまで広がりました。 被征服民族についてはインカ帝国を築いたケチュア族の方針により比較的自由に自治を認めていたため、一種の連邦国家のような体をなしていました。 インカ帝国はアンデス文明の系統における最後の先住民国家で、アステカ文明、マヤ文明と対比する南米の原アメリカの文明として、インカ文明と呼ばれることもあります。 国王インカは神の化身,太陽の子であるとされ,祭政・軍事の最高権をもって専制政治を行いました。 農業が中心で鉄器はなく,青銅器もまれで,木製の掘棒でトウモロコシ,ジャガイモなどを栽培しました。 インカ文明の特質は、国家の最高神たる太陽神をまつる神殿をはじめ、多数の巨石を使った大建築物に代表されます。 土器は幾何学文様を組み合わせた,鳥形取手の浅鉢,環状取手の水差しなどの多彩土器に特色があります。 青銅器・金銀器は生活用品・装飾用品の両方があり,特に黄金製装飾品にすぐれたものが多いです。 織物も古い技法を継承して発達し,つづれ織のポンチョなどが有名です。 天文・暦学はマヤ文化に及ばず象形文字はありませんが,キープという結縄文字が知られます。 来世を信じ死者を崇拝する風習があり,歴代皇帝はミイラにされて太陽の神殿にまつられました。 マチュピチュの遺跡をはじめ、数多くのインカ帝国の遺跡が眠るのは、ビルカバンバ山群の主峰サルカンタイ、海抜6271mです。 1973年から1年余、著者はボリビアを中心としたアンデス地方を歩き続けていました。 そして2回目となる1975年、リマ市から1時間の空の旅を経て、初めてクスコ市を訪れようとしていました。 この時の感動は何年経っても忘れられず、ようやくインカそのものの国に到着しつつあるという実感がこみ上げてきたといいます。 これらの初期の旅から、主にアンデス側を中心に南米と関わり続け、気がついたらいつしか29年ほどが経過していました。 アンデスに向かった理由はインカと結びついたアンデスという言葉に惚れたからで、この言葉は、広大、未知、不思議などを感じさせる語感がありました。 通うにつれて、当初、抱いていたインカに対する魅力は益々膨んだといいます。 それらに呼び寄せられるかのように、マチュピチュを基点としてアンデスに広がるインカ文明の跡を訪ね回りました。 そして次第に、遺跡だけではなく遺跡を囲む大自然のすべてもまた、インカであるように思われてきたそうです。 アンデスを歩きながら、著者かいつも驚かされてきたのがインカの石利用です。 ほとんど、石の文明といっても良いほどに、道や城塞、都市、または礼拝や神殿の対象として石を用いています。 アパチータ(峠の守り神)信仰をはじめ、多くの伝説もまた石に関連しています。 小さい石も大切にしましたが、より大きな石を求めていたことは、オリャンタイだけではなく、サクサイワマンの大要塞に並ぶ巨石が説明してくれます。 インカはなぜ、ここまで石を追い求め続けたのでしょうか。 きっと、石に対して不動不変のエネルギーを感じ、その力を自分たちの力として受け入れようとしていたとも思えてきます。 また、石自体がすべてを支える守り神的な存在だったのかもしれません。 ただ石を利用したというだけではなく、築いた城塞やアンデネスは現在もしっかりと残っています。 石積みはカミソリの刃も入らないほど精巧精緻を極めているものが多いです。 クスコ市内には角形の石が組みこまれた外壁もあります。 このように豪快にして繊細な石の文明を築いたインカ、数々の戦いに勝利したインカ、水・風・地形・気候などの自然環境を理解して応用したインカ、考えはじめるとインカに対するイメージは限り無く膨んできます。 そのインカがわずかなスペイン人征服者によって滅ぼされました。 ですが、マチュピチュをはじめとする石造りの遺跡の数々は蘇り、たくさんの人々の想像力を刺激し、謎や未知の多い数百年前の世界へと誘ってくれます。 そして、一人一人の気持ちの中に生き続けようとします。 そのことが何よりも、インカが残した大きな遺産ではないかと思われます。 本書では、山や谷、高原に残されたインカの遺跡、また、インカを支え、さらにインカとともに生き続けたアンデス山脈を、実際に見た範囲内で紹介したいといいます。 前半部の多くはインカの象徴でもあるマチュピチュ、それからビルカバンバ地方におけるインカについての話題が中心となります。 失われた都市マチュピチュの放棄から発見に至るまでの過程、または、衰退しつつもスペイン人に戦いを挑んだ反乱インカの物語りなどは、舞台となった険しい自然を含めて興味深かったといいます。 後半部ではインカが征服した広大な領域、そして、インカの名残りをとどめると思われる村人の主な風習に触れました。 アンデスを歩いて気づいたことは、どこにでかけてもそれぞれの地が、小宇宙的な独自の世界を抱えているということでした。 それらの空気や気配に接する楽しみが山旅をいつも新鮮にしてくれ、歩き続ける力をも生んでくれたといいます。1章 マチュピチュ(天空の都市)/2章 大自然(インカ道/チョケキラウ)/3章 ビルカバンバ(ビトコス/エスピリトゥ・パンパ)/4章 征服された山脈/5章 聖域内の伝統[http://lifestyle.blogmura.co m/comfortlife/ranking.html" target="_blank にほんブログ村 心地よい暮らし]