こんばんは


とても久しぶりの更新です。

最近仕事にプライベートに忙しく全然更新できなかったです。

そんな久しぶりの更新でも読んでくれたら嬉しいです!

題名にもある通り今日書こうと思うのは
相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月、重度障害者19人を殺害し、職員2人を含む26人に重軽傷を負わせたとして、殺人などの罪に問われた元職員植松聖(さとし)被告(30)についてだ


彼の言い分はこうだ
重度障害者は家族や周囲を不幸にすると考えるようになった。「重度障害者を殺害すれば不幸が減る」「障害者に使われていた金が他に使えるようになり世界平和につながる」
要するに、生きる価値がないから殺したと言いたいのだろう

殺人は主に3つの分類に分かれる

計画的殺人
主に保険金殺人や秋葉原通り魔事件などで、殺す事を計画して殺人を犯す事
突発的殺人
主に強盗殺人などで、殺す気はなかったが殺してしまった事
愉快的殺人
自分自身の独自の考え、宗教的構想などでオウム真理教の地下鉄サリン事件などである

今回の植松被告の事件は間違いなく愉快的殺人である。

弁護側の言い分はこうである
殺人当日は大麻をやっていたので自分自身の抑制が効かなく殺人を実行してしまったと
簡単に言うと、気持ちがハイになって人を殺したという言い分
しかし普通に考えてハイになって殺してしまったというレベルの殺し方ではない
なぜなら死亡した19人は完全に息の根が止まる程の致命傷で亡くなっている

植松被告は公判中もずっと人の為、世の為今回の事件を犯したと言いきっている
なぜ植松被告はそこまで人を殺めた事に対して偽善の気持ちがあるのだろうか
少し植松被告について少し掘り下げみよう

植松被告が小学4~5年生のころに、障害児の送り迎えのため、学校に来る障害者の母親の姿を見て「親が疲れ切っていて大変だ」と思っていた。
小学校のとき、『障害者はいらない』という作文を書いた。
そこからしばらくして、友人との会話で「自分の子どもが障害者ならどうするか」という話題になり、植松被告が「俺は障害者は無理だな。俺が親なら育てられない」と言っていた。

障害者に対して幼少期から少し偏見を持っていたのだろう
そんな最中に友人からやまゆり園を紹介してもらい、障害者をより近くで感じるようになり、植松被告が幼少期から持っていた、障害者差別の念がより強くなったのであろう

どんな思想があろうと合法の殺人はない
正当防衛でも相手を殺したら罪になる

裁判官は検察側の求刑通り死刑を言い渡した
植松被告は控訴するつもりはないらしい

今回のような愉快的殺人で怖いのは植松被告の意志を受け継ごうとする新たな愉快犯
愉快犯は愉快犯を産む事がある
人を殺める事は決して許されない
植松被告は死刑執行までの間に命の大切さについて学ぶ事になるだろう。

 久しぶりの更新なので今日はここまで!
またみてくださいね!

ありがとうございました