6月29日(土)
「朋あり遠方より来たるまた楽しからずや」関西や関東からの友人たちを青森空港へ迎えに2台で行きました。皆さんは、イヂョンミやチェジュ4.3慰霊祭でお会いした仲間です。
駅前の花善で昼食を考えたが満員のため鶏飯を購入し労働福祉会館で食べる。
午後1時30分から大館労働福祉会舘で「中国人強制連行を考えるフォーラムin大館」が行われました。
全国から100名を超える方が参加し会場は熱気に包まれています。
最初に川田繁幸630実行委員長が挨拶でした。
続いてご遺族の周長明さんの証言です。
続いて張恩龍さんです。
報告は花岡平和友好基金運営委員林伯耀さんが「和解の道を切り開くために奮闘した三菱労工被害者遺族」のお話でした。
記念講演は「琉球列島の軍事要塞化と日中間の四つの文書」と題し内田雅敏弁護士です。
会場を移し歓迎夕食会が行われました。
川田理事長の挨拶、大館市代表挨拶、私の乾杯の音頭で運が始まりました。
途中で自分が「秋田玉すだれ(南京玉すだれ)」を披露。受けたか疑問です。
後半にいつものようにイヂョンミさんの歌が始まり、みんなで踊ります。
8時に閉会し友人たちと二次会で懇親を深めました。
6月30日(日)
仲間が乗りあって花岡町十瀬野公園墓地に着く。
9時半から中国人殉難者慰霊式が始まります。
市長が犠牲者の芳名簿を捧げた後で式辞を述べる。
県代表、中国大使館代表、遺族代表、紅十字会代表が挨拶。
その後で参加者全員が献花を行い、いつものように在日二世のイヂョンミさんが追悼の歌を捧げました。
11時前に閉会し午後に花岡事件フィールドワークに参加の仲間は花岡公民館に移動しで昼食をとりながら懇談しました。
フィールドワークは60人を超える方が参加しバスは3号車まであります。
今年は留学生、学生グループ、学生の個人、労組青年部など若者の参加が目立ち案内役のイドの説明にも熱が入るのでした。
それぞれ石田ローズガーデンや秋田犬の里などで時間をつぶし6時から駅前の御成座でイヂョンミコンサートでした。
イヂョンミさんは2004年中国人殉難者慰霊式から毎年参加し鎮魂歌を歌っており、「世界がもし100人の村だったら」でお馴染みの池田香代子さんも2004年の慰霊式から参加している。
二人は以来、全国を回るコンサートや講演会で花岡を紹介し花岡平和記念館建設へ寄付の呼びかけをして下さり2010年4月にオープンで来たので二人のことを紹介し感謝を表しました。
池田香代子さんもステージにあがり池田さん作詞、李さん作曲の「悲しみ歌え」のお話をしをしてもらいました。
ヂョンミさんの80分の熱唱に涙を浮かべている方が見られました。今年もありがとうございました。
7月1日(月)
朝刊チェック、昨日の慰霊式の記事があります。
今日の予報では風が強く観光には辛い日になりそうでした。
関西、関東からお越しの皆さんを青森空港に送りますが途中どこを案内しようかなと悩みながら8時30分に出発でした。
最初の案内は小坂鉱山事務所と康楽館です。
常設の芝居もあり雰囲気がとても気に入ったようで喜んでもらいました。
次の案内は十和田湖です。先ずは発荷峠、休屋、乙女の像、十和田神社でした。
次の案内は奥入瀬渓流です。
昨日の雨でいつもより豪快な渓流を楽しむことができました。
昼食に八甲田山雪中行軍遭難記念像を案内しようとしたが急にガスに見舞われ前が見えず道をまちがえる。なんとか友人たちには250メートル登り見てもらう。
遭難の雰囲気がよくわかったと言ってもらえた。
4時すぎに空港に着いてお別れです。
再会を約束し帰路に着く。
明日は議会が有るので自宅に寄ってロードバイクを積んで秋田まで走ります。
8時前に宿舎に着く。
3日間で550キロ走っていた。
疲れたので早く寝ます。