震災や原発の話の中に紛れて、今月22日の枝野官房長官の会見で「手話を言語として位置づける」と言う発言があったようです。
私自身は、何年も前から手話は言語だと思っていますし、実際言語なんです。
国によっても違うし、方言や若者言葉、表現の変化、仲間内でしか通じない表現、皮肉やだじゃれのような表現もある。
それは言語だからです。
そして同時に「国際語」らしいのです。
国によって表現が異なる部分があっても、発声言語より簡単に、その溝を埋められると聞いたことがあります。
私が聞いた話では、2週間あれば哲学の話もできるらしいです。
私は手話を言語として知りたいと思っているのですが、もともと語学が苦手なのと、まだサークルなどに出かけていくエネルギーが不足しているので、挨拶程度しかできません。
「ありがとう」はわかるけれど、「どういたしまして」がわからないので、今は、それが一番知りたい言葉です。
震災から大臣などが会見するとき見ているのも手話です。
わからないなりに見ていて、手話には「漏洩」という言葉は一般的にない、ということがわかりました
↑普通に言う「手話」が漢字だとすると、ひらがな・アルファベットにあたる「指文字」で「ろうえい」と表現していました。
ちなみに手話は表情や口の動きでも表現するのですが、私は「こんばんは」だけは、仙台の方言の「おばんです」になってしまいます
それは、宮城には夕方に「oh!バンデス」という番組があって、OPに「おばんです」と言いながら手話もするからです。
私自身は、何年も前から手話は言語だと思っていますし、実際言語なんです。
国によっても違うし、方言や若者言葉、表現の変化、仲間内でしか通じない表現、皮肉やだじゃれのような表現もある。
それは言語だからです。
そして同時に「国際語」らしいのです。
国によって表現が異なる部分があっても、発声言語より簡単に、その溝を埋められると聞いたことがあります。
私が聞いた話では、2週間あれば哲学の話もできるらしいです。
私は手話を言語として知りたいと思っているのですが、もともと語学が苦手なのと、まだサークルなどに出かけていくエネルギーが不足しているので、挨拶程度しかできません。
「ありがとう」はわかるけれど、「どういたしまして」がわからないので、今は、それが一番知りたい言葉です。
震災から大臣などが会見するとき見ているのも手話です。
わからないなりに見ていて、手話には「漏洩」という言葉は一般的にない、ということがわかりました
↑普通に言う「手話」が漢字だとすると、ひらがな・アルファベットにあたる「指文字」で「ろうえい」と表現していました。
ちなみに手話は表情や口の動きでも表現するのですが、私は「こんばんは」だけは、仙台の方言の「おばんです」になってしまいます
それは、宮城には夕方に「oh!バンデス」という番組があって、OPに「おばんです」と言いながら手話もするからです。