奇妙に人恋しい夜がある。ちょうど今夜はそんな人恋しい夜。
 はるか昔の恋心がまた燻ぼり出したり、仄かに憧れを抱いてた女性に会いたくなったり。
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それで、やけぼっくいに火がつくか?
そうしてまた、久しぶりに「恋」にうつつをぬかすことができるか。
2通、メールを送ってしまいました。
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 まずは、むかし愛した人を回想してみたい。それで、以下の駄文を記事にしてしまうのでございます。

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 十五年ほど前、かなりポッチャリさんの女性と、転勤の巡り合わせで同じ職場になった。
 最初は特に意識はしていなかった。

 それが、4月1日の異動初日から二週間ほど経った日の昼休み。僕が安吾さんの書いた通俗小説をゲラゲラ笑いながら読んでると
「そんなにその本、面白いんですか? 読み終わったら、私にも貸してくださいますか~。」と笑顔で声を掛けられた。その日から、僕は彼女を意識し始めた。
 決して美人ではないし、かなりのおデブさんだが、名状しがたい あたたかさと、とろけるような包容力に、僕は次第にその女性(仮に令子さんとしておきます。)の虜になっていった。
 詳しい経過は覚えてないけど、いつしか毎夜のようにメールのやり取りをするようになっていた。
 毎日職場で顔を合わせてるのに、なぜか毎夜、メールでお話。
 メールでの話は、徐々に、職場ではできない、深くてヒミツな話になっていき、キス一つしてないけど、メールの中で互いに恋心をほのめかす間柄になっていった。


 時は流れ、9月後半になり、令子さんが本社に出張だという。
 その日たまたま、定年退職後の気楽な嘱託のオッサンと、「慰安旅行」と称して有給休暇を取り、ストリップを見に行く予定をしていた日と重なり、令子さん出張の車に、僕と嘱託のオッサン二人が乗せてもらう約束を取り付けた。
 出張と慰安旅行の当日まで後2日となって、嘱託のオッサン、僕と令子さんの、奇妙に心が通じ合ってる雰囲気を察知してか、
「ワシ、ちょっと朝は一人でのんびりしたいから電車で行くわ。若い者二人水入らずで、ドライブを楽しんでくれや。」と言い出した。
「若い者二人」といったって、30歳は超えてたし、お互い配偶者と子供がいるんだが。
 令子さんの方が、僕より2つ年上だった。
 僕はドキドキと胸が高まったが、令子さんの方はあくまで真面目な人妻、当然ながら戸惑いがある。

 躊躇して戸惑う令子さんを、僕はあれやこれやと屁理屈こねて
「ちょっと行き帰りに、ついでに令子さんの車に乗せてもらうだけのことだから。ねっ。
 そんな何もドギマギしなくても、僕、赤ずきんちゃんを食べた悪い狼じゃないよ。ただ、嘱託のオッサンと遊びに行く約束してた日に、たまたま令子さんが出張だから、ついでに乗せてもらうだけ!! そんな、困らないでくださいよ~。」
 なかなか決断できない令子さんに、僕は強引に握手を求めた。
「じゃ令子タクシーさん、よろしくね。まあ、タクシーのちょっとしたサービスに、令子さんの好きな音楽。そう、チューリップを聞かせてくれたら嬉しいな。
 僕はチューリップの音楽を詳しくは知らないけど、『心の旅』と『青春の影』は大好きたよ、名曲だね。」
 握手してる手をぎゅっと、少し力を入れて握り締めた。
 令子さん、単に僕の強引さに負けただけだし、確かに京都市内までタクシーの代わりをするだけで、どうってことないと、自分で自分を納得させたんだろうな。
「じゃ、よろしく!」と握手を解こうとした僕の手を、やわらかく握り返してきて、2秒ほど離そうとせず、そうして、そっと離した。
「じゃあ、明日の朝7時前、○○で待ってるから、よろしくネ。」
「うん・・・はい。」
 令子さんは、顔を赤らめて、恥ずかしそうに下を向いていた。

 次の日の朝が来て、車に乗せてもらうや、握手を交わしたときの緊張感が嘘のように最初から打ち解け合って、とりとめない話を楽しんだ。
 嘱託のオッサンとのストリップ鑑賞なんてええ加減なもので、そもそもあんなもので助平心が満たされるものではない。単に同行した男と「話のネタ」を作るため、それ以上のものではない。だから僕は、ストリップにしろフーゾクにしろ、行くときはいつもツレと一緒。未だに一人で潜り込む本格派のエロサービスというものを知らない。

 帰りの車中も、行きと同様にとても楽しかったが、日が暮れて暗いので、朝よりも少々しっとりしたムードになった。我が町に戻ってきたのは、確か夜の9時前。
このときは、爽やかに
「今日は本当にありがとう。おかげで行きも帰りもメチャクチャ楽しいタクシーだったよ。」
「こちらこそありがとうございました。少々気の張る出張にリラックスして行くことができました。とても楽しかったです。」
確かそんな別れ方をしたな。

 更に次の日、出勤してしばらく時間が経ち、午前10時頃、
どんな駆け引きがあったのか忘れちゃったけど、誰もいない会議室で
「昨日はありがとね。ホンマに楽しかった。慰安旅行よりも、実はタクシーに乗せてもらうのが一番の目的だったりしたんだよ。実は。」
そんな馬鹿げた話をすることしばし、僕は令子さんに顔を近づけて行き、静かに唇を交わした。
 令子さんはやわらかく目を閉じていた。そこには何のためらいもなかった。ついに令子さんは、僕に完全に心を開いてくれた。そう確信したので、令子さんの唇の隙間に舌を挿し入れながら、ブラウスの上から令子さんの胸を軽く触った。
 一秒か二秒が経ち、令子さんは閉じていた目を開き、自分の胸に目をやると、静かに僕の左手を両手で包み、軽く触れていただけの僕の手を、更に少しだけ強く胸に押し付けた。
 残念ながら会議室でのこと、いつ誰がひょっこり入ってくるか分かったものではない。束の間のスキンシップだけ交わして、どちらからともなく
「仕事モードの姿勢」に戻った。

 それから数日後の昼休み、二人で社屋の屋上に上がった。
 示し合わせたわけでもなかったはずだが、なんでああいうことになったのかは思い出せない。
 田舎町ではひときわ高い建物の我が社屋、周りの建物から我が社の屋上は見えやしないし、空調等の配管しかない殺風景な屋上に上がってくる物好きな奴は多分居ないはず。
僕は令子さんに言ったみた。
「おっぱい見せて。」
「・・・・目をつぶったままなら見せてあげる。」
 よくよく考えれば実に奇怪な言葉だが、そのときは全く奇異に感じなかった。
令子さんは自らの薄手のセーターの裾を拡げて、僕の頭にそっと手を回してきた。僕より20センチ以上背の低い令子さんのセーターの中に、身をかがめて、令子さんのセーターの中に僕は頭を入れにかかった。
令子さんは小さな手で僕の両目を塞ぐ。もう片方の手で、令子さんが自分のブラジャーのホックを外すのが、音と気配で分かった。
 僕は律儀に固く目を閉じて、令子さんの乳首を少しだけ舐めて、少しだけ吸った。
とがめられたわけでも何でもないが、僕はすぐに乳首から口をはずし、やっぱり律儀に目を閉じたまま、令子さんのセーターを伸ばしてしまわないようにそっと頭を抜いて、ようやく目を開いた。

 わずか一時間の短い昼休みだが、至福のときだった。屋上に居たのは、15分に満たない程度の時間だったろうか。
 そんな昼休みを何度か繰り返していると、徐々に厚かましくなってくるのが男というもの。いつの間にやら、少々冬が近づいてきたというのに、僕は令子さんのブラジャーをずり下ろし、目を塞ごうとする令子さんの手を振り払って、乳首に乳輪をじっくり観察しながら、2分も3分もおっぱいを吸ったり揉んだりするようになっていた。

 もちろん、口には出さないが、令子さんだって僕が増長してくるのは分かってるはずで、ほんの少し抵抗するフリをするだけだったが、
「真面目な人妻」でありつつ「イケないことをする」ためには、僕に「強引にされた。」という、単なるごまかし、いや誤魔化しにすらならなくても、僅かばかりの「自分自身への言い訳」が欲しかったんだろうね。多分。涙を流してることもあった位だから。

 12月になり、幹事から忘年会案内と出欠確認のペーパーが配られた。
 お開きは21時だが、僕と令子さんは「二次会まで行かなくちゃならないから、帰りは日替わりになるかも」と、示し合わせて互いの家族に嘘をついた。

 本当に二次会があるのかどうかは知ったことではない。僕は令子さんと二人きりの二次会をすることに決めてるんだから。

 そうして忘年会の日がやってきて、予定通り21時に一次会はお開き。どうやら本当に有志の二次会をやるらしいが、そんなものに行くはずはなく、令子さんと僕はひとまず別々に帰った。
 田舎のことなので、酒好きはそれなりの「足」の手配を考えねばならないが、日頃から余り酒を飲む習慣のない者は、宴席に車を乗り付け、ビールの代わりにウーロン茶なりソフトドリンクを飲んで過ごすことが多い。

 もちろん僕も令子さんも、一滴もアルコールを口にしなかった。
 待ち合わせは、二人の自宅への道の分岐点近くにある、夜は誰も寄り付かない公園の駐車場。
 令子さんは自分の車を駐車場に停め、僕の車に乗ってきた。
 特に目的地もないまま、僕は北向き、海のある方向へと車を走らせ始めた。

 あのときの、自然が作り出した最高の演出は、今でも鮮明に覚えている。
 こちらの地方は、夜の冷え込みが強い日は霧が出るのが当たり前だが、その夜、川沿いの道路に立ち込めた霧は特別深く、せっかく令子さんと二人きりなのに、目を凝らして運転するのはもったいないから、時速30キロにも満たない程度のスロースピードで車を走らせた。
 実のところ、30キロ弱の徐行をしなければ危険なほどの霧なんて、実は峠のてっぺんや、谷底の部分など、ごく限られた場所だけなのだ。その気になれば易々と50キロ以上出せるが、僕は故意にゆっくりと車を運転した。
 あんまり綺麗な霧で、僕と令子さんだけを包み込んでくれてるようだったから。こんなシチュエーションでは、ほとんど何も話さなくても、ちっとも気詰まりではない。
 ぼそぼそと言葉少なに会話して、目的地のないままに走り続けた。
「このまま、道に迷って帰れなくなってしまえばいいな。」
そんなことを話したな。

 ホテルを探そうなんて気持ちは全くなかった。カーホテルなんて無粋なものは、この深くて美しい霧には似つかわしくない。

 夜の田舎町の、幹線道路の裏道は、対向車の一台にすら出会わない。こんな雰囲気が好きで、大阪の街中で育った僕は、あえて田舎町に住み着いた。
 何年かの本社勤務でこき使われて腹を立て、本社から手の届かない所に住んでやるっ!と、ヤケクソ半ばの転勤願いを出したという事情もあったが。

 時速30キロでも海まで10分もあれば到着してしまうところまで来て、道路は川沿いを離れ、霧は薄っぺらになった。
 僕は、幽霊さえ車の中を覗き込みに来ない場所に車を停めた。全く疲れはなかったが、「しばらく休憩」などと口実をつけて。

 キスしたり、ブラジャーの中に手を入れてみたりして、10分ほどが経った頃だろうか。
令子さんが僕のズボンのジッパーに、遠慮がちに手を伸ばしてきた。
そして小さな、泣きそうな声で言った。
「・・・・軽蔑しないでね。」
 令子さんの声は震えていた。
 僕は、心の中でつぶやいた。男と女の自然の成り行き、誰が軽蔑なんてするものか。
 それでも、あえて「軽蔑しないで」と泣きそうな声で口にした令子さんがたまらなく愛おしかった。

 その後のことは、記憶がはっきりしないが、いつの間にか令子さんが車を停めた公園の駐車場に戻っていた。
 多分、令子さんの口の中を汚してしまうことはなかった。(少々こびりついてたはずのオシッコは別にして。)


 こういうことも、やっぱり一度経験するとダメだね。
 程なく、社屋の物陰で隙を見つけてはシャブシャブリンしてもらうのが当たり前になってしまった。

 狭義の性交渉を結んだのは、それからひと月後位だったと思うが、これは大した思い出ではない。

 僕が恋愛する中で一番感慨深いのは、やっぱり、自分を特別な存在として認めてくれたとき。
 特に令子さんの場合、根が貞淑で生真面目な人妻であり、やさしい「おかあさん」だったから、その感慨はひとしおだったな。
「貞淑ぶってるだけだ。お前はだまされてるだけだよ。」と馬鹿にする人もいるだろうが、本物か、単なる演技なのかは、そばに居ればいやでも分かる。
 令子さんは、職種が技術屋で、一年限りの在籍だということは最初から分かっていた。1月頃から、「叶うなら、時間が止まってくれたらいい。」と思うようになっていた。

 3月末の送別会、どちらからともなく宴席から席を外し、近くを少しだけ散歩した。もう桜が咲いていた。
 たった一本きりの桜の樹がライトアップされていた。
 僕より20センチ以上背の低い令子さんが、いきなり僕の腰辺りに抱きついてきて言った。
「ギュッとして!」
 なんだかとても照れくさかったが、力任せに抱きしめた。キスもせず、ただ抱きしめ合っただけの30秒ほどの間に、最初の出会いとも言える、安吾さんの本を読みながらゲラゲラ笑ってた僕に近づいてきた令子さんの笑顔が頭の中に蘇ってきた。

 その日を限りに令子さんとの全てが終わったわけではなかった。
  職業人で、妻であり母でもある令子さんと、一泊の旅行を楽しめるはずもない。たった一度だけ、令子さんの京都市出張を利用し、互いの家族に嘘をついて、ひっそりと古都の夜を二人きりで楽しんだことが一度だけあったけれど。
 男はいつでも助平なものだが、根が真面目な女性は、少々疎遠な関係になってしまうと、徐々に現実へと引き戻され、罪悪感にさいなまれるようになってしまうようである。
 ふと気が付くと、ベッドの布団にくるまって、一人涙を流している令子さんを2度見てしまった。
 こうなると、こちらも助平心と申し訳ない気持ちの板挟みになってくる。
 
  僕は奇妙なところで見栄っ張りで、迷いがありありと見える人に強引な誘いを掛けたり、ストーカーじみた未練を見せたくはない。
 会う回数も、付き合い方も、徐々に淡泊なものになっていき、ついに関係は消滅した。
 令子さんは、メールアドレスを変えるわけでもなく、着信拒否をするわけでもなかったが、次第にメール一つ送るのも減ってしまい、半年に一度のメールが1年に一度になり、忘れた頃にメールを送ると、単なる昔の仲良しみたいな返事しか返ってこなくなり、僕はメールを送るのを止めてしまった。


 詳しくはもちろん書けないが、令子さんのメールアドレスは、僕とのちょっとした想い出にちなんだもので、最後にメールを遣り取りしてから十年近くが経っていた。
 今夜と同じように、妙に人恋しくなって、僕はふと思い立って令子さんにメールを出したくなった。
 まさかあの当時のアドレスが変更されずそのままのはずはずがない、そう思いながらも、淡い期待を持ちながらメールを送ってみた。
  驚いたよ。返事が届いたんだから。
「ごぶさたしています。お元気そうでなによりです。」これだけだったが。

 そしてこのメールから約半年、今夜また、メールを送ってしまった。
 当然のように、今のところ返事はない。果たして返事は届くのだろうか。 ・・・待つ身はツラいね。


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 本当は、もうちょっと雅(みやび)な作文をしたかったんだけど、何やら妙な気分で、どうしても今日中に記事にしてしまいたい。
 なので、推敲もままならないまま、一気に書き上げたのをアップしちゃいます。

 

  数日前のこと、回るお寿司屋さんで一人カウンターで食ってると、向かい側から女の声が聞こえてきた。
 
★ 「どうせ一緒に寝るんやったら、楽しい人がええやんか~。」
 「そらそうやねぇ」
 
  おやっと思い、寿司が回るローラーの真ん中にある仕切り板の下、わずかな隙間から覗き込むと、二十代前半と思われる女二人が話していた。
  特に盛り上がってるという感じでもないが、思わず両手を耳にあてがい、聞き耳を立ててみた。
 
 「京都市まで出かけたら会うことになってるねん。」
 「ふーん。もう一緒に寝るって決めてるの?初対面やろ? 楽しい人やなかったらどうするん? 」
 「もう時間決めたし。」
 「へぇ~。そしたら、ナメペコリンかぁ。」
 「そうそう。とりあえずシャブペコリンやねえ。」
 「楽しくない人とでも、シャブペコリンなん?」
 「まぁねぇ、先にお風呂入ってくれたら、別にええわ。」
 「しょーもない人でも、ペロペロリンしたら、おいしいことあるもんなぁ。」
 「え~! あんなもん、おいしいことってあるん?」
 「ん~。あるよ。」
 「どんな風に美味やったん?」
 「なんかねぇ、このお茶碗蒸しに入ってる銀杏(ギンナン)みたいな。」
 
    茶碗蒸しではなく、『お茶碗蒸し』 と言ったのがチョット愛嬌があった。
 
 「それで、ズンズクポンは、中に出されてもええん?」
 「その人によりけりやな~。気に入らんかったら、見せて、ペロペロリンだけにすることもあるで。」
 「へぇ~。そやけど無理矢理ズンズクズンされへんの?」
 「やめてっ!!」 て言うたら、それ以上されたことないわ。つまらん人でも、ペンペロリンだけは上手い人も居るしねぇ。」
 「でも、どうせ京都まで出るんやったらぁ~~・・・・。」
 
 声のトーンが下がり、聞き取れなくなった。
 退屈なので、期間限定の中トロとタイにトロサーモンを注文して、流れてきた赤貝を取って食べた。注文した2皿目が流れてきたとき、向かい側の女2人のけっこう大きな笑い声が聞こえてきた。
 
 「あっはっは。じゃあニュートロリンだけでおしまい?カワイソー。でもそれでアンタはムズムズしたりせえへんの?」
 「うん大丈夫。そのときは島田君呼ぶから。島田君、楽しくないけどズンズクポンだけは上手いから。」
 「生ダクも大丈夫なん?」
 「うーん、そのときの気分か、生理の巡り合わせかなぁ。やっぱりゴムポコポンかな~。
   島田君お人好しやから『できたぁ・・・。』て言うて行ったら、お金出しよるんちゃうかなぁ。あはは。」
 「えーっ!。島田君てあの島田君?。キモー!!」
 「確かにキモオスやけど、ズンズクポンは上手やで。」
 「島田君やったら、まだ河井君の方がマシと違うん?。河井君、ペロペロリンが思いきりシツコいけど、すごい良かったよ。」
 「へえ~。河井君とはキスベロベロしかしたことないなあ。あ、サーモン食べ比べやてぇ~。3つ入って百円のお皿や。安いやん。
   ウチも今度初めて会う人と島田君と河井君、3人食べ比べしてみよかなぁー。」
 「やるなーキミ。でもそんな上手いこと取っ替え引っ替えできるん?」
 「そんなん、どんな時間でも、雨が降ってても、電話したら原チャリ乗って喜んで来よるで。
   『ホテル代割り勘で』って言われたこともないし。」
 「まあそやねえ。」
 そしたらウチ、京都行くのに気合い入れなあかんから、ここ奢って。」
 「うん…まぁええけど。アンタあんまり食べてないし。」
 「ありがとー。最後にわらびモチ食べへん?」
 「わらびモチやったら、赤だしの方がええなぁ。」
 
 
  けっこう普通にかわいい女の子の二人組だったが、
回転寿司屋で周りに聞こえる声でする話、か、のう。
  エロゲロリンな話やないか、のう。
 
  余も、テンションの高い日なら、
「あ~もしもし。ワシもキモいカンジのおっちゃんやけど、ズルベロリンやったら自信あるで。
なんやったら、ここ奢ったろか。ついでに黒蜜のタピオカドリンクもいかが?」
なんて風に声を掛けたかも知れないけど、眠たくて調子悪かったから、のう。
 
   またどこかで出会ったら、
ズンズルポンしませんか~~!!」
と言ったら、
◎  ええけど~。」  と応えてくれる、か、のう。
 
 
  ええなあ、島田君は。 ズンズクポンできて。
 
 河井君は、
 ペロペロリンが 思いきり シツコいんかあ。
 
 どんなヤツらなんか、のう。
 
 
 

ヤフーブログをやり出した初期のことです。

 余は 記事には大して拘り持たず、

何となく気に入ったところに コメント投入するのが好きでした。このスタイル、ヤフブロ閉鎖まで、最後まで変わらなかったな。

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 通称「元生意気な女子高生」のブログ。

当時、元生意気な女子高生は、高校生にもなっていない、中学校の1年か2年、その後、県下有数の進学校を経て とある旧帝国大学の工学部に進み、更に大学院に2年間通って、東京のどこかの大手企業のエンジニアとして就職した、みたいだ。

 院卒業を機に、ブログはピタリとストップ。

「あいつ今頃 どこでどうして どんな男と居るんだろう?」と、また頭の中に 高倉健が歌った「居酒屋兆司」が流れるのです。

それというのも、ブログを始めて、初めてできたブロ友が その「元生意気な女子高生」だったのです。

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 戻っ生意気な女子高生の お初のブログ記事

記事タイトル:「友達」

 

私の友達がね・・・言ってたんだ
「カタツムリってある角度から引っ張ると、簡単に抜けるんだよ」
・・・・・抜けないだろ。間違いなく。夢の中の話か?
「ウチ、本だけあれば幸せ。」・・・・・ふ~ん。 
「ハリーポッター、28分で読めるよ。」・・・絶対ウソやろ!・・・いやいや人を疑っちゃいけない。っつか!はかったの??
「道徳の本、全部読んだよ。えっ時間?12分。」
・・・・・読むなよ。ただでさえ退屈な道徳の時間、君はどうやって過ごすんだい?
「牡蠣とか・・・ナメクジだし。」・・・嫌いなんだ~。ほかの表現方法はなかったかな?


以下、コメントの応酬

ほかの表現ができたかどうかはともかく、どう表現してもそいつの自由だということを忘れてはならない。
ところで、カタツムリは 確かに抜くことができるよ。知らなかったのか。
…ちょっと恥ずかしいヨ

2008/5/29(木) 午後 8:49

あのね あなたのブログ、なんだか気に入っちゃったヨ♪
ナンセンスといったらいいのかな…不思議な、そこはかとないをもしろさがあるね。ファンになることにしたよ。
 

ご訪問ありがとうございます。そしてお褒めの言葉、ありがとうございます!
その、カタツムリの件ですが・・・恥ずかしいかぎりです。
ですが・・・生命の維持なんかを考えなければ、もちろん人間にぬけないワケがない! みたいな意味だったりしますか(゜▽゜)
それとも、カタツムリはナメクジに生まれ変われますか??

2008/5/30(金) 午後 6:50

 

あのね、確かにカタツムリとナメクジは親戚かもだけど、ナメクジがカラをかぶったのが、そのままカタツムリになるワケではないよ。
機会があれば各1匹ずつを並べ観察してみればいい。
人相からして相当ちがうハズだから
生命の維持は…大丈夫なんじゃないの多分。ヤドカリとカタツムリは親戚だし

2008/5/30(金) 午後 11:40

 

ヤドカリとカタツムリは親戚じゃないっすよ~。月とスッポンの、10万分の1くらいの違いがあると思います。
とりあえず、ナメクジはカタツムリの進化形らしいですからね~
今度、顔みわけられるようになるくらい、観察してみます。(個々の顔を見分けるんじゃないですよ)2008/5/31(土) 午前 5:51

 

そうか…
ナメクジはカタツムリの弟で、カタツムリとヤドカリはアカの他人てことね。じゃあ すっ裸になったカタツムリの生命維持はどうなるんよ?
また実験の上、結果レポート頼みます2008/5/31(土) 午後 7:35

 

私の考えだと、カタツムリを殻から出すとお亡くなりになるかどうかの実験は、とてもとても、難しいですよね。
きっと、殻どうこうの話の前に、殻からだそうとする、つまりカタツムリの体に相当な負担をかけるんですよね。
普通に死にますよね~。とか 本気で考えてる私はなんなんでしょう。2008/5/31(土) 午後 9:42


この記事だよ多分。俺がこのブログに初めてやってきたのは。
第1コメ…初対面で
「ちょっと恥ずかしいヨ」と書いたけど
「いや~、恥ずかしい限りっす。」っていうリコメに、ボクは何とも云えぬキミの「センス」を感じたのだヨ。
一方のラッパさん(記事が既に削除されてるが)、多分、当時のラッパさんは中学進学の感動で勉学にも燃えてたんだろうな。
「次の英文を翻訳しなさい」って記事だった。英文そのものが少々イビツな感があったが、「翻訳」という言葉にしても、英文そのものの難度も中1にしては随分「背伸びしてるナ」と思わせるもので^^
で、ボクは故意にデタラメな和訳をし、卑猥な言葉も交ぜ込み
「…なんや、このヘンな英語」と書いたところ、ラッパさん、
「何なんですかっ!失礼なっ!と本気で怒りだしたのだヨ♪♪
違う意味で
「なんちゅう面白いヤッちゃ~っ!(≧▼≦)」…ラッパさんとの出会いです
ここも、ラッパさん処も、なぜボクがたどり着いたのかは、全く記憶に残っていないデス

2009/4/12(日) 午後 0:02[ 側近ナオ子 ]



でまぁラッパさんとは、その後もアレコレと 悶着が起きるんだが、これ、ほとんど全てボクが単なるおフザケで書いてることをラッパさん真に受けて、本気で怒りだすからで、そんなラッパさんを面白がる ボクの気質にも少なからず問題ありとは思うのだが。
ラッパさん、何かと背伸びしたがるネエサンで、分からぬものを素直に分からんと言わない頑固さと、「そのまんま」にしか受け止められず カリカリと怒りだす
そんな「ラッパさん自身は全く計算していない」面白さが 一番の「ミソ」だナ
…こんなラッパさんの面白さ、ボクは忘れた頃に思い出し、ひょっこりラッパさんブログに顔を出しては、揉め事を起こして帰ってくる。こんなことを繰り返してマス♪♪
今回、ラッパさん
「ブログは閉鎖します」らしいけど、どうなるんかな~?  どうでもいいんだけどネ (・∀・)ノ

2009/4/12(日) 午後 0:41[ 側近ナオ子 ]



羅羽さんは本当に閉鎖してもうたのですか・・・。残念な限りです・・・。
こんな昔の記事にコメをいただいて…懐かしいですな~。
あんなコメのどこにセンスを感じ取っていただいたのかは理解できませんけどね♪
羅羽さんとのことでの、すべての原因は、中1ブロに卑猥な言葉を書いたことやぁないですかぁ^^^^^^。
リアトモのいる前でそのコメに粋な応答ができるやつぁそうそういねーでぃ親分・・・。
私なら、「いや~英語苦手なもんで~」とか、つまらん言い訳をしますわ。われながら悲しい・・・。2009/4/14(火) 午後 7:29


さぁ…    今後ラッパさんがどうするかは知らないナ。まぁ、ボクのことは気にせず、戻って来てもらいたいネ
それから、
「卑猥な言葉をちりばめて」と言っても、それは英文から引きずり出した、ちょっと強引な「誤訳」で、全く根も葉もない「猥褻語」を、まるで関係なく混ぜたワケではないヨ
「でたらめな和訳」にしても、構文を見極めず、単語だけで闇雲に訳すと、こんな感じになるカナ?(・∀・) って程度の「デタラメ」ですよ。
英文を踏まえた上で、デタラメ和訳という、高尚で教育的なことをやっていたのダ。ラッパさんに理解してもらえず、痛恨の極みでした…(シクシク(T_T)

2009/4/14(火) 午後 7:52[ 側近ナオ子 ]



ハイレヴェールッな教育を施していらしたのですね・・・。
いやしかし・・・その低めのデタラメ度で、怒らせるなんてすごいですね~。痛恨の極みだなんて・・・元気だして下さいな♪

2009/4/15(水) 午後 8:48



いや~ (//∀//)
いつも、閉鎖になったりしない内に引き上げてたんだけど、今回は、
「許さぬ。通報する!」に
「通報まだ~?  早くぅ~(o^o^o)」で、実際、ヤフーに通報したみたいだけど相手にされず(当り前だと思うんだが…) これが結構、気分的にコタえたみたいよ。
それに、何を書いても削除されるから、
コピーを取り、何度も貼りつけたりしてたのも「今までにないシツコサ」と思い、嫌気がさしたのかもネ
いやぁ~惜しい、あと一踏ん張りで多分わたくし、撤退してたろうに…
「もうすぐ(ボクが)飽きるから、あと少しの辛抱だよ」とのメッセージも送ったのにね…(T_T)

2009/4/15(水) 午後 9:06[ 側近ナオ子 ]


本当に通報したんすか…、本気だとは思いませんでした・・・。羅羽さんの根気負けですね。
くだらないコメント書く間に、金を稼げとのアドバイスは、素晴らしいですよ。

2009/4/15(水) 午後 9:13



あのですね、ここ、一頃ラッパさんが頻繁にお越しになっていたようで、言葉に気を付けてたみたいだけど、今や

「何か、ラッパさんに恨みあるの?」みたいな調子でw(°0°)w
「悩み相談」で中高一貫教育に関し、ショーモない回答をされ、関係あるのかないのか、メーケー不合格の腹いせに、
「ラッパめ!早く散れっΨ(`∀´#)」と思ってた、とか?(・∀・)ノ2009/4/15(水) 午後 9:23[ 側近ナオ子 ]



いっや~。そんなつもりは無いんですけどね♪ 羅羽さんにはかなわないだろうものの、メイケイと大差ないとこは入れましたので、これもすべて羅羽さんのアドバイスのおかげです^^2009/4/23(木) 午後 5:05


ところで、この記事の主役の「友達」はどうなったの?  カタツムリを引っ張り出して、速読できて、修学旅行ではワルサしたんだったかな?
その後を知りたいな
今も付き合いはあるの?2010/1/30(土) 午前 11:38[ だって殿 ]


それから、ラッパさんは最近どうしてる?  ちょっとアメブログに行って 探り入れてきてくれないかな?2010/1/30(土) 午前 11:40[ だって殿 ]



その後は、エドトリ高に行ったと思いますよ。ラッパさんは・・・知りませんよ。どうぞご自分で^^2010/1/30(土) 午後 5:56


エドトリ高って何ですか?

「行ったと思います。」とは、ずいぶんいい加減な言い方ですね。
ラッパさんは、引っ越し先を 以前のブログに書いてるから、行ってきてごらんなさい。きっと喜ぶと思う

2010/1/30(土) 午後 6:10[ だって殿 ]



エドトリって高校ですよ。江戸川取手。名門ですね。ラッパさん・・・さほど興味がないので・・・。

2010/1/30(土) 午後 6:46



エドトリ…江戸川取手
西日本の者に対して そんな、さりげなく言われても困る。

2010/1/30(土) 午後 6:53[ だって殿 ]


だって、話の流れから、高校だってこと、わかるでしょう?
名門っていう説明までつけてるのに、何がいけないんですか?
江戸川大学の付属ですね。偏差値が、茨城県1位ですね。

2010/1/30(土) 午後 7:31[ つきみ ]



ほぉ〜、賢い友だちだったのね。さすが ハリポタを20分で読むだけのことはある。ということは、やっぱりカタツムリをスポンと抜いて裸にするのは、本当に可能だったのね。

2010/1/30(土) 午後 7:42[ だって殿 ]



偏差値72の高校に行っても、人間の根本は、そうそう変わらないでしょう。
彼女の実力を知ってなお、30分も、カタツムリも信じない。己の目で確かめるまで。カタツムリは、もしかしたら実証できるかもしれない。

2010/1/30(土) 午後 7:59[ つきみ ]


なんか、カタいな

2010/1/30(土) 午後 8:27[ だって殿 ]

 夏、近所の子らが集まって花火というのは、親公認で夜遊びの許される特別な日。  花火の楽しさとは、花火の炎の儚い美しさよりも、夜遊び、「イケない火遊びをしてる」、その小さな罪悪感にこそ秘められているのかも知れない。
  幼稚園に通ってた頃の遠い記憶、当時は我が家も貧しく 長屋暮らしだった。その日 なぜか長屋のおかあさん連中は子供たちに甘く、相当遅い時間まで 花火の後の夜遊びを許してくれていた。
   細かいところは、既に覚えていないが、ふと気づくと、二つか三つ年上の、憧れのおねえちゃん、「みさきちゃん」と二人 寄り添うように座っていた。 
  しばらく時間が経ち、いつのまにやら余は、みさきちゃんに抱きついていた。しがみつく余を、みさきちゃんは拒むことなく、受け入れてくれた。みさきちゃんも余をダッコし返してくれたのだ。
   もうね、たまらない緊張というか、ワクワクと言うか、エロエロと言うか、お分かりいただけますか、この感覚。わかるでしょうね、皆さま方みんな大人ですもの。
   真夏の夜のこと、二人とも薄着で 肌は汗ばんで、抱きついても汗がベトベトする。そんな、普通なら不快な出来事も、この上ない気持ちの良さでした。
  それでふと思い立ち、みさきちゃんの肩の辺りの汗を、舌でペロッと舐めてみたくなった私は、勇気を振り絞ってかどうか、その辺の記憶も定かでないけれど、みさきちゃんの肩と脇の間あたりを、ペロッと、舐めちゃいました。
塩辛かった。
みさきちゃんの塩辛さが、なぜかおいしかった。
なぜ、こんなものがおいしいのか、大人の皆様方なら容易に理解いただけると思います。
   花火、火遊び、夜遊びに夢中になっていた、そんな幼児たちも、やがて皆一様に大人になって、更に本格的な大人の遊びを覚えていくのです。
   大人の遊びは本格的になり、汗の塩辛さを楽しむだけでは飽き足らず、
もっとスゴいことを平気で楽しむように成長していくわけです。
  みさきちゃん、今はもう苗字忘れちゃった。多分、その当時とは違う苗字になって、どこかで生きているんだろう、たぶん。
高倉健の歌った「居酒屋兆治」がBGMに流れてきて、
 
あいつ今頃
どこでどうして
どんな男と 居るんだろ
 
ねっ、人生 長くなると、何か思い出す度に「居酒屋兆治」が流れちゃう。そんなことはありませんか?
   みさきちゃんにもう一度逢ってみたいなあ。肩と脇の間辺りの汗をペロッとしたくなる、そんな女性で居続けてくれてるかは、もちろん不明ですが。
 

最近 余の興味津々なエリアの話を一つ。
ある日、眠くってタマらず沈没してゐたときのこと、余は躁うつ病で、何そううつ病と云ったところで、躁鬱なのか 気楽なオッサン病なのかも微妙なんですがね。 
(余の うつ症状の大半は、耐え難い眠気なのです。世間一般に認知されし典型的な うつ症状は極めて少ない)
ふと思ったんよ。
人が苦しいとき、しばしば宗教なんぞにすがってみたり、あれは一体何故なのだ?
 
神の存在がどうだとか、そんなことには殆ど興味がないが、
とりあえず分かってるのは、
いつの世も、
神さまは全く役立たずで、
無神論者を気取るワケでもないけど、
神さまなんぞ、居ても居なくても 大した問題ではない。
しかし、なぜ窮余の策として、人はなぜ宗教にすがる傾向にあるのか?
これは知ってみたいと思ったんだな。
 
そこで、もし入信するなら? と、無節操なことを考える。
宗教にすがりたいからではない、宗教の何たるかを、とりあえず覗き見たいと、それだけのことで、
余程の阿呆でない限り、誰でも分かってると思うが、宗教とは、神仏を担ぎ上げてる体裁があるのみで、実相はどこまでも人間の生臭みに満ちてゐる。
 
 仏教? いや、ありふれ過ぎてるというか、そこいらブラツく坊主の顔は見飽きたというか、まるで面白みに欠けるナ、
 
クリスチャンは、そもそも耶蘇教の伝道師の、本当の企みは、間違いなく日本の植民地化だったハズ。こんな奴らに用はなし。
 
イスラム、ボクは豚カツが大好きなのに「ブタ肉食べたらダメよ。」と云われてはタマらん。
 
天理教は、
天理市役所に200倍超の競争くぐり抜け、採用内定もらった過去があるから、今さら要らんし、
 
PL教団の本職は
花火職人と  野球屋養成、どっちも将来性を失くしちゃったショッパい経営。
儲けてナンボが、新興宗教の本分なのに、何を鈍クサい事を。
そんなだから、清原が覚醒剤~シャブ漬けになるのだ。ボクはお肉を胡麻タレでいたゞく、しゃぶしゃぶは好きだけど、覚せい剤は、放っておいても、ときどきアタマの中から湧いてくるから、アレに高い金払うヤツの気がしれないね。
PL教団は、祭礼の度、信者にヒロポンが振る舞われるんだって。知らんけど。
 
松本チヅオが母体の アレフ他、分派含めたなんぞ論外で、
 
幸福の科学で
クダラン本を大量に買わされ読まされる位なら、オナニーにでも 勤しむ(いそしむ)方が はるかにマシだヨ。
 
それで、
ふと思い付いたのが、ユダヤ教。
ところが、布教するのが宗教かと思ってたら、そうでもなくて、半端な努力でユダヤ教には入信できないよ。
ユダヤ教に 世俗的に入信してみた~いっ!!  でもそれは、叶わぬ夢のようですよ。
 ユダヤ人なりイスラエル人と、何の縁もゆかりもない者がユダヤ教に入信するのは、法曹界に入るなり、国家キャリアになるなり、また或いは医師になるよりも難しく、
ユダヤ教に入信するとは、即ちユダヤ人となること、みたいだ。
 
ユダヤ教徒になることの難しさは、
迫害、差別、追放、そして大量虐殺に晒され続けてきたことと、密接な関わりがあるようで、つまり、ユダヤそのものへの産業スパイが紛れ込んだり、テロリストが潜入する足がかりを与えることも許されない、わきの下の固い「教え」のようです。
だから、「一見さんお断り」の、一流料亭のごとくに、今日のユダヤ教はなってしまった。
考えようでは、「最高級の宗教」かもね。
ユダヤ教入信の道をあきらめたところで、ユダヤのあれこれが にわかに気になり出したワケよ!
ユダヤ人なりユダヤ教の何たるか、民族離散から二千年以上。
当然、混血も進んだはずだが、

ならば  !!!!
「ユダヤ人の、ユダヤ人としてのアイデンティティとは、一体  何ぞや?」
と考えたことはありますか?
 
稀有の知的集団 且つ天才集団でありながら、なぜ彼らは迫害、差別、追放され続け、そして大量虐殺、今もパレスチナに目の敵にされるのか、考えたことありますかぁ~?
 
これ最近、余がハマっている、神秘的な歴史の謎、大層興味深い一大テーマなのです。
 
まことしやかに云われるのは、例えばボクが今、ユダヤなりイスラエルの話を、無防備な形でアナタに送信するや、この行いは、たちどころに、イスラエルの諜報機関モサドや、イスラエルよりもユダヤ人が多いUSAの、それ相応の諜報組織に察知されちゃうそうな。
余は、これを多分、だいたい真実だと思ってるけど、心配する事はない。
 
CIAに KGB、
古く旧日本帝国陸軍の中野学校から、
日本国の警察庁なり外務省なり防衛省の特殊極秘任務は、一般人が、到底その実相にたどり着けるものではないだろうけど、特殊極秘の諜報活動のエゲツナいであろうことだけは 容易に推測できる。
 
「オヤ? 遠く日本の国で、ユダヤのことを書き送り、受け取る者あり。」
当然ハッキングなんだろうな、多分。
我らの身元・身辺確認を、誰がどのようにするのかは 闇の中だけど、取るに足らない小市民と断定されるのに、なんぼも時間は掛からぬハズ。
 
(つづく)