丁度、一週間前の20 日。

込み上げてくる涙に困るほどの感動を体験しました。

そんな事は40年ぶりではないか?と思います。

2007年の7月7日、母校の高校の校舎お別れ会が催され、毎朝礼拝をしていたPS講堂で記念礼拝が執り行われました。

オルガンの前奏によって礼拝は始まるのですが、その日はなんとバッハの前奏曲とフーが変ホ長調のプレリュードの部分でした。あの豪壮、長大な曲を礼拝の前奏として弾くのか…そうか…記念式典だからか…などと思いながら黙想をしておりました。

通常、礼拝の前奏は3分ほどのものですが、この曲は弾く人によっても違いますが、プレリュード部分だけで8分〜9分もある長大、且つ重厚なゴシックの大聖堂を思わせるような曲なのです。

普通の礼拝では絶対に弾かれる事はありませんし、そもそも普通の教会のオルガニストでは弾けません。

誰なんだろう?どんな演奏かな…と思いながら黙想しておりましたが、ただの演奏ではないと直ぐに気付きました。気がつくと涙が止まりませんでした。

私はこの時の事が忘れられませんでした。

母校の中学も2019年に校舎を建替えし、始めて自前の礼拝堂を持つ事が出来、パイプオルガンを設置する事になりました。 

私もオルガン設置に寄付をしました。

そして、オルガン設置の記念礼拝、更に毎年4月にはオルガン設置の寄付者を対象にオルガンコンサートが催され招待されます。

今年は、あの2007年高校の校舎お別れ会の記念礼拝の時にオルガニストを勤められた、浅井美紀さんが演奏される事になりました。

私は以前から浅井さんの演奏を聴きたいとずっと思っておりましたのでやっと念願が叶いました。

演奏会の後で、もし機会が得られたらあの時の演奏のお礼を是非言いたいと思っておりました。

4月20日中学の礼拝堂での浅井美紀さんのコンサート

前半はバッハの曲、後半はメンデルスゾーンの曲で、休憩や曲と曲との途中で、曲の解説や学生時代の思い出話など色々な話を交えての贅沢な演奏会でした。

浅井さんの演奏は一言で言うと「愛」に満ちた演奏だったと思います。

曲に対して、音楽に対して、オルガンに対して、聴いてる人、コンサートに携わった人に対しても感謝と愛が注がれていると感じさせる演奏でした。そう言うと、それは演奏した曲が、優しい穏やかなメロディとか、曲調とかだったからなんじゃないのと思われるかもしれませんが、それは全く違います。ハードな曲でも、そこに「愛」が感じられる演奏だったのです。

そして、演奏会が終わってお客さんが礼拝堂を出た後、学校の先生方や浅井さんが同窓の人達と話しをされているのを離れたところから見ながら待っているとその機会がやってきたので挨拶をしたところ、胸に込み上げてくるものがあってキチンと話が出来ませんでした。そんな事はこの40年間、ただの一度もありません。いざ、浅井さんを目の前にした時、あの校舎お別れ会の記念礼拝で浅井さんの弾くバッハを聴いた時に涙が止まらなくなった理由が一瞬にして分かったからなのだと思います。例えて言うのならば、キリスト教の教会の中で話すには少し不適切な例えかとも思えるのですが、

もしも、あのPS講堂に「魂」と言うものがあったのなら、

2007年7月7日にPS講堂で演奏された浅井さんの演奏を聴いた「PS講堂の魂」は間違いなく“成仏”しただろうな…と思ったのです。

だから、涙が出てきたのです。きっとその思いは弾いていた浅井さんが1番強くて感じていたのではないか?と思います。

つまり、浅井さんのその思いが、聴いている私達の所にも伝わってきたのだと思うのです。浅井さんの演奏は、間違いなくPS講堂への感謝、PS講堂の長年のお勤めへの感謝に満ちていて、あの礼拝に参列していた卒業生、教師の気持ちを代弁していたに違いないと言う思いを確信したからなのです。 

だから、4月20日浅井さんとお会いした瞬間、そのことで胸が一杯になり、涙が溢れ言葉に詰まってしまったのです。こう言う事は、演奏のテクニックで紡ぎ出せるものではありません。

どんな上手なアーティストで、完璧な演奏だったとしても、そこに心が無ければ間違いなく、私の心は動かされず無表情のままだったと思います。

私は2007年7月7日のPS講堂、そして先週の4/20日の中学の礼拝堂でのコンサートで、演奏者が自分の“心”を聴衆に届けると言う事がどう言うものなのかを、そして「人の心を動かす」と言うことがどういうことなのかを改めて目の前で見る事が出来たと思います。とても幸せな体験でした。