あの時は自分の人生の中の分岐点だったな…と、後で思う事がいくつかあります。

会社を変わった。新しい仕事を始めた。これも人生の分岐点ですが、それより自分の内面で起こった事の方がより鮮明に覚えているように思います。

私の場合、一番印象深いのがあるCMのリハーサルでのことでした。

そのCMのメインキャストは誰もが知っている、演技ができて、歌って踊れるアイドルタレントの方でした。そのCMは、そのタレントさんが歌って踊るバックで50人ほどの人がツイストを踊っていると言うもので、オーディションでは何人かが組になって曲に合わせてツイストを踊ると言うものでした。晴れてオーディションに合格して、撮影前のリハーサルに呼ばれ「新宿村スタジオ」と言う、ミュージカルや舞台の稽古などでよく使われるスタジオに行きました。

行くと、50人程の人が広いスタジオの一つに集められていて、皆それぞれストレッチをしたりしています。しばらくして、名前を呼ばれました。行くと制作の人がついて来る様にと言い別室に案内されました。

そこには、私と同年輩の壮年の男性と若い女性二人、そして、シルクハットを被った怪しげな格好の背の高い男性とキビキビした女性が一人いました。

すると、その怪しげな背の高い男性が振付師の◯◯です。◯◯さんと、◯◯さんには社長と専務をやってもらいます。こちらのお二人は受付嬢の役です。という事で、その場でいきなり全く新しい振り付けをされて踊る事になりました。

受付嬢役の二人は現役のバリバリのダンサーです。

後で聞くと、専務役の人も元ダンサーで振り付けをしたりする人で初めからキャスティングに入ってたとの事でした。

私の方は何の準備もありません。準備どころか初めての体験です。兎に角、その場で振りを覚えなくてはならず、全神経を集中させるのに必死でした。その時ふと、次はどうやって…を考えるのではなく、アステアになるんだ!と心の声が叫んだのです!この瞬間、僕はフレッド・アステアだ!アステアに成り切るんだ!と無理やり思い込みました。もう誰がどう思おうと関係ない、出来るだろうか?なんて関係ない。俺はアステアだ!と気持ちよく動く事に専念し、手も足も身体も思い切り伸び伸びやる様にしました。

ところが、問題なのは、二人の受付嬢が踊りの最後に社長と専務の腕にそれぞれ飛び乗り、抱き抱えられながら商品のペットボトルを高々と上げる!と言うシーンがあるのです。 

受付嬢役のダンサーさんが飛び乗って来るのを受け損ねて落としてしまい怪我でもさせたら大変です。

1回目は案の定、ハラハラ、ドキドキしながらやっていたため、受け損ねてしまい崩れてしまいました。

その時、ダンサーの方から「私が飛び乗るので、受けようとしないでください!

腰を下げて位置を低くしたりしないでください。

私を信用してください!」と言われたのです。

その気迫に、私は忠実に従う事にしました。受け止めようとはせず、彼女を信じて、彼女が乗りやすい様にただ両手を水平に広げて、腰を下げすぎず、彼女が飛び乗りやすい位置を想定して腰を入れて待ち、彼女が乗ったらしっかり彼女を掴むんだ!と言う事に専念しました。

すると、モノの見事に決まりました。

ただ、彼女をキャッチして抱きかかえて終わるのですが、抱き抱える時、左手が彼女の脇の下になるので、彼女が不快にならない様に極力触れない様にしようとしましたが、すると抱きかかえて立つことはできても、彼女が不安定な形になってしまいました。そこで三回目は心を鬼にして、彼女が飛び乗ったらしっかりと脇の下を支える様に抱き抱えると、綺麗に決まりました。

すると今度は振り付けの先生から、左手が彼女の胴まで抱えて持つ様になるので、左の腕が出ない様にと言う難しい注文がきます。

そこで次には、彼女が飛び乗ったらすぐさま左の腕全体ではなく、左手を滑らせて彼女の脇の下の肋骨を下から支える様にしました。

彼女は彼女でそのタイミングに合わせて、パッと私の首から右肩に手を掛け、分からない様にバランスをとりました。

私は凄い人だな…と感心してしまいました。私が変に気を回したことがかえって恥ずかしく思えました。

それからは

彼女を受け取ってから、抱き抱えて建つまでの流れが、いかに綺麗に見えるか?自然に見えるか?を工夫する事に集中しました。

例えば、飛び乗って来る彼女を受け取る時にスクワットの様にお尻を後ろに突き出したり、膝を曲げて、どっこいしょと言うふうにならない様にするにはどうしたら良いか?それには、彼女が飛び乗る寸前まで膝を伸ばしていて、飛び乗る瞬間で、腰を少し下げて受け止めるようにタイミングと体の扱い方をその場で工夫しました。

次に大事なのは、彼女が飛び乗ったら、そのまますぐさまスクっと立ち上がれる様に身体の重心の持って行き方を工夫しました。そして、徐々に彼女との息がぴったり合う様に成りました。

ところが、次に「CMの商品を片手に持ちながら」と言う指示が出て、次から次へとハードルが上がって行きました。

何とかリハーサルを終えることができましたが、

本番は一週間後で、緊張の糸は張り詰めたままでした。

本番は旧IBMの本社の広いロビーを使って撮影されました。主役のタレントさんに絡む役なので、幾つかのシーンを撮る事になり、いよいよあのダンスシーンになりました。心の中で『頼む!一発OKで行ってくれ!』と念じていましたが、同時に背景の50人の人たちもツイストで踊るので、その人達のうち一人でも間違えると、やり直しになります。テスト、そして本番。何度かやり直しがありましたが、お陰様で私と彼女はその間、一度も失敗する事なく無事撮影を終える事ができました。

思えば、新宿村のリハーサルで別室に呼び出され、いきなり、ダンスを振付られた時に、『もう、やるっきゃない!』と心に決めたことが全てでした。

自分のそれまでのキャパに無いものでも、キャパを少し超えたものであっても、それに向かっていく、乗り越えようとする“心”、スピリッツ、マインドこそが、大事なんだとその時つくづく思いました。

世の中にはこうした事はいくらでもあるんだ。ある意味それは日常当たり前にある事なんだ。準備した通りにはならないんだ!

私の人生の大きな転換点となりました。

やるっきゃない!

具体的には、その時、咄嗟に俺は今、アステアなのだ!

そして、すぐさま

”That's Entertainment”に出てくるフレッド・アステアを思い描きながら、アステアがジンジャー・ロジャースと踊ってるシーンやアステアがオードリー・ヘバンとガーシュインのスワンダブルを踊ってるシーンを思い出しながら、

それを真似て身体を大きく優雅に使う様、意識しました。

やるっきゃない!から、

なり切るんだ!楽しむんだ!に気持ちを変えて行きました。

今から思うとその振り付け自体はそんなに難しい振りではありませんでした。然し、生まれて初めて!ダンスをする。然もそれが公共の電波に乗るという事になると、

流石に萎縮したり緊張したりするのです。

ただ見ているのと、実際に自分が、”やる”と言うのとでは、いざその現場に立ってみると大違いなのです。

ともあれ、この経験があってから、それ以降と言うもの、自分の任を超えたものであったとしても、多少のものならば、あえてチャレンジして行くことが大事なんだと肝に銘じる様になりました。