このブログの書き初めは後何年生きられるだろう?と言うものでした。

今思えば老人鬱の始まりだったのではないか?と思います。そうとは知らず無意識のうちに自分のごくささやかな思いを、たとえそれが溜息であっても残したいと言う気持ちになったのは、無意識のうちに、自分で鬱に対する処方をしていたのではないかと思います。

勿論、ブログに思ったことを書き連ねるだけで鬱というブラックホールから抜け出せるとは思っていません。正直、完璧に鬱の闇に引き込まれそうになった時は、本気で治療も考えたのですが、最終的に鬱の淵から抜け出す事ができたのは身体を動かす事によって、自分の内側から変わって行くことが出来たからでした。

もしも、このブログを書く事が、自分を鬱から救う薬の一つだとするならば、身体を動かすと言うことは、もっと効き目のある薬だったのだと思います。


身体を動かすと言うのは、

私にとって、自分で自分に合ったエクササイズを自分の身体に訊(き)きながら、自分専用のメニューを作って行うという事です。

前回書いた緑山塾のカリキュラムの中に「野口体操」から専門の先生を招いて行われた授業がありました。

“自分の身体に訊く”と言う言葉はこの時初めて聞いたのですが、それこそ“目から鱗”となりました。

それと、高校の体育の授業で徹底的にやらされたラジオ体操の「極限まで身体を使う」やり方と併せ、自分の中でコレは使えると思っていました。

ただ、それを実際に、自分のエクササイズとしてやりはじめたのは、それから20 年以上も経った45歳を過ぎて腰が痛い、肩が痛い、首が痛いという様になってからでした。

初めは、その痛みが筋肉が凝り固まっている=血管が鬱血しているからだと感じて、その痛みから解放されるためにはストレッチをして凝り固まった筋肉をとぎほぐす事ができれば治るはずだと思いました。ただ、固まった筋肉を伸ばしたりするのは、初めのうちは痛みを伴います。ところが、その痛いと言う気持ちの先に、少しでも、”でも、気持ちいい”と感じる所があるのに気付きました。ただ、そこを通り越して本当に痛い所まで我慢してやり続けるのはかえって良くないのですが、その“痛キモチ良い”まで、その痛いのを我慢してやると言うのを続けて行くうちに、身体がほぐれて行くのが分かりました。

そこから、かつて教わった日舞の準備体操や、一刀流の稽古の前に宗家から教わった気功法、剣道の素振りの中の四挙動と言う足腰と手を大きく使う素振りのやり方、バレエのプリエなどを自分で組み合わせて、自分独自のメニューとして体系化したものを作って行きました。

結構、ハードな筋トレも含まれていますが、全部やると大体30分程かかります。

でも、このおかげで酷い肩こりも、腰痛も、そして鬱さえも、深刻な状態になる前に回避する事ができるのです。

ところが、若い時はそんなに集中してやらなくても良かったのですが、65歳を超えた辺りから。この、”ストレッチ筋トレ”をやった後の、次の”ストレッチ筋トレ”までのインターバルが段々短くなってくるのを感じる様になりました。

例えば、かつては1ヶ月に1回でも効果は続いていたのに65歳を超えると一週間に1回はやらないと直ぐにまた元の凝りに戻ってしまうようになるのです。

それが70歳ともなると、3日に1回はやらないと直ぐに元にもどってしまいます。

毎日だと、負担が大きくなり、かえって身体を痛めてしまうので、衰えている筋肉を休ませることも大事なのだと思います。従って3日に1回でも、4日に1回でもやる事で、身体のガタを騙し騙しでも使えるようになると言うことは、この“ストレッチ筋トレ”は、自分にとっては健康維持のためのサプリメントと同じなのではないか?と思うようになりました。

身体用のサプリメントや疲労回復用の錠剤とかありますが、私の場合は、まずは自分の身体に訊いて、自分の身体が欲している事を、やってあげる。それが、健康を維持するための薬なのだと思って今も続けています。