先日、夕飯を食べ終え何とは無しに妻とTVを見ていた時に、私が何かを聞いた時に妻が言った一言だ。

実は、妻から言われるまでもなく、ここ最近自分ではその思いを強くしていた。

一番初めに、自分でもそれを感じたのは、2021年の大河ドラマ「青天を衝け」の後半、主人公の澁澤榮一と徳川慶喜とのやりとりを見ていて、このシチュエーションはあり得ないと思った時に、初めて気付いたのだ。そうか…K先生が言っていたのはこの事だったのか…と。

ただ、そうした違和感はもっと前からずっと感じてきた事だった。2017年の「女城主 直虎」の中で家臣が主君の前に出るとき左手に刀を下げていたり、主君の前に出るときに太刀を持って部屋に入るのを観て、正直唖然とした。

そんな事をしようものなら、近侍のものに即座に首を刎ねられてもおかしくない所作だからだ。つまり、いつでも刀を抜ける臨戦体制の状態にあるからで、敵意をむき出しにするサインであり、殿様の首を取る!と宣言している様なものだからなのだ。

去年の「鎌倉殿の十三人」でも、主筋の者の前に出るときに下のものが、佩刀の鍔元、鯉口の所を左手で押さえていた。これも同じ。あり得ない。

大河ドラマも、地に落ちたか?と思い、そうか…観なければ良いのかと、観ない事にした。今回の「光る君へ」でも、六位、七位の者が、五位以上の高位のものしか着用できない長い(きよ)を袍(ほう)の後ろの下から上に掛けていたり、清涼殿らしき所で、関白以下束帯でいるのに、蔵人頭が「直衣」(のうし)でいたり、然も、その直衣が百人一首の絵札にある様な派手な色と柄の袍(ほう)だったりする。更に、左右大臣の「表の袴」(うえのはかま)が無紋だったり、五位のものが有紋の指貫(さしぬき)をはいていたり、時代考証の先生方は、どう思っているのだろう?と思いながら観ていた。

とは言え、そもそも歌舞伎だって、「仮名手本忠臣蔵」の大序や三段目(映画ならば松の廊下のシーン)で、大名が烏帽子、大紋の衣装にはなっているが、烏帽子は立烏帽子(たてえぼし)ではなく、引立て烏帽子(ひきたてえぼし)になっているじゃないか?それと同じじゃないか?と言われたら、そうだけど…としか答えようがない。あの黄金期の千恵蔵、右太衛門の東映の映画でも引立て烏帽子だった。然し、“リアル”と言う事で言えば、吉良上野介は従四位上。内匠頭(たくみのかみ)は従五位の下であるから装束は大紋でいいのだが、内匠頭の本家である広島浅野家が従四位下。従って、吉良は浅野本家より更に上となる。装束も四位以上は、格上の無紋の直垂(ひたたれ)であるはずだ。ところが、映画では、みな同じ様に大紋だったり、映画によっては狩衣(かりぎぬ)だったりする。

大河ドラマの「峠の群像」では、伊丹十三さんの吉良が茶の無紋の直垂であった。烏帽子も勿論、も立烏帽子だった。

あの大河ドラマは見応えがあった。

ただ、東映では流石に、下層の武士が、はるかに上席の武士の前に出る時に、大刀をただ右に置くのではなく、右斜め後ろに置いていた。 

そこはちゃんとしていた。

 

いずれにせよ、歌舞伎でもそうなのだから。そんなに目くじら立てることは無いだろう。と人は言うだろう…。

だが、俳優がある特定された人物になると言うことであるなら、その道程での心のあり様が、大きな影響を持つ。リアルな人物の造形と言う意味では、装束にしろ、所作にしろ無視できない大きな要素だと思う。

然し、そんな事を思っていたら…、そう…だから俳優には向いていない…と言う事になるのだ。そんな事に拘っていたら…。15年くらい前にupsアカデミーのワークショップに参加した。その時の講師の小野田良先生から「俳優は、脚本(ほん)と演出家の指示に絶対的に従わなければならない。そして、俳優は演出家の目を持ってはいけない!」と言われた。

俳優の勉強を始めた20 代初めの頃。今から45年くらい前の事。高校の音楽のK先生から「君は自意識が邪魔して、俳優には向いていないみたいだね…。」と言われた。

その時も、確か僕が何か言った事に対して、先生がそれとは関係なくそう言ったのだ。その言葉は、少し私の自尊心を傷つけた。そして、その言葉は解けない謎となって、私の心の片隅にずっとあった。長い間疑問に思ってきた事が、今漸く、その意味がわかってきた様な気がする。ここまで45年かかった。と言うと、もしコレを読んだ人は、なんと愚かな…、なんと不明な馬鹿なんだろう…と思うだろう。

悲しいかな、それは現実だ。

然し、もう一つ。「アンタは

本当に俳優になりたいと思ってるの?演技がしたいと思ってるの?芝居がしたいと思ってるの?」と思うのではなかろうか?

そうだ…。今までその事に気付かなかった。そうか…だから、オーディションの場で、ハイの一言でその人物の中に入れるのに「芝居」というものには、ある種の抵抗感を感じていた。

そうだ。これもK先生が言う「君は時意識が邪魔して俳優には向いていないみたいだね…。」と言っていたのと同じだ。