三木鶏郎氏(1914-94)は昔のCMソングや企業イメージソング(?)を多数手がけていて、それらを集めたCDも発売されていますがなぜか関西の企業のものがかなり多いですね。当時(昭和30年代はじめごろ)の大阪をはじめ関西は今と比べても非常に活気があったということと思われますが、


鶏郎氏は特に関西とゆかりが深かったということなのでしょうか?


『ナショナル劇場の歌』の古いバージョンを動画サイトで見たところ、『テレビ』の部分が関西人のアクセントそのもので、ネット上にはこの曲を関西人が作ったと思い込んでいるらしきサイトもあったほどです。(僕自身、さすが大阪のナショナル、と思っていたくらい)ただし、この時期よりかなり後の関西でも『テレビ』のアクセントは最初のテにきていたとする資料もあり、


おそらくは、かつて『テレビジョン』『テレヴィジョン』と専門用語風に呼ばれていたらしきものが『テレビ』という省略形の定着やテレビそのものの全国的な普及によって、テレビに関する話題が日常会話のなかに入ってきた結果、関西においては『テレビ』も関西弁のアクセントになっていったと考えられる可能性はあります。


氏の他の作品にも東京出身とは思えないほどきちんとした関西弁の出てくるものがあります。


『僕は特急の機関士』

(昭和28年。ちなみにこの当時国鉄の特急が走っていたのは東京~大阪のみ)


『京阪特急』 

(昭和33年。後に大阪市内地下線開通に伴う淀屋橋延長で歌詞が変えられる。その淀屋橋バージョンには3・4番がないがこれは同時期の浜大津直通の廃止のためと思われる)


(両方とも歌っているのは楠トシエさんですね。彼女も東京出身なのに歌詞の中の関西弁がうまい)


それ以外にも、関西弁は出てこないですが南海電車や近鉄特急の歌もつくっており関西にはとても親しみを感じておられたのではないかと思われます。某動画サイトにもこれらはすべて収録されているのですが、その中の書き込みに『近鉄特急の歌に(沿線の重要な観光地であるはずの)京都が出てこないのは京都好きの鶏郎氏にしては変だ』というものがあったので、そこから考えると『京都』は氏の作品の大きなテーマだったということなのでしょうか。


当時を知らない僕にそのあたりのことを教えてくださる方いらっしゃいませんか?