うちには子どもが3人いるので、
これ以上責任は抱え込めないと、
どんなに子どもが欲しがっても、
ペットは無理としてきたが、
そうは言っても、
何かとわが家にも、
様々な生き物がやってきた。
イベントでもらったカブトムシ。
イベントでもらったスズムシ。
アクアリウム製作体験でもらったメダカ。
海で汲んだ水に紛れていた稚魚。
縁日の金魚。
子どもが拾ってきたカタツムリなどは、
一晩観察させてもらって、
次の日、元の場所に戻させているが、
近くに放せないものは、
それなりに、
責任を持ってお世話をしなくてはならない。
魚類は、
水槽を買って、
エアーポンプや、
水の循環濾過装置など、
ああだこうだとやっているうちに、
何かと設備が整って、
稚魚も金魚も3年くらい生きて、
10センチくらいまで、
成長したものもいる。
海水魚は、
カルキ以外に、
塩分濃度を気にしなくてはいけないのが、
意外に大変だった。
メダカは、
親が産んだ卵や子供を食べちゃうとか、
稚魚が濾過装置に吸われるらしく、
機械が使えず、
まめな水槽掃除を頑張ったけど、
餌のバランスが難しく、
子どもがつい餌をあげすぎると、
水質があっという間に悪化して、
環境維持が、
とても大変だった。
虫は、
カブトムシはオスばかり。
スズムシはつがいだったため、
専用の土を買ったりもしたが、
繁殖までは上手くできずに、
ワンシーズンの付き合いだった。
スズムシの音色は、
本当に心地良く、
魂に染み入るように、
毎夜癒してもらった。
メダカと金魚は、
一匹では寂しかろうと、
仲間を買い足したこともあったが、
いずれも、
大きい体の方が、
小さい体の魚を、
執拗に追いかけ回し、
弱らせてしまう。
結局手作りの仕切りを作って、
それぞれを隔離して、
飼うことになった。
きっと寂しいということよりも、
縄張り意識とか、
餌の奪い合いの方が、
重大な問題だった、
ということなのだろう。
良かれと思ってやったことが、
必ず役立っているとはかぎらない。
あれこれ調べても、
後手に回って、
生き物たちには、
生き死にに関わる迷惑を、
掛けていたのかもしれない。
いずれにしても、
生き物の命を、
粗雑に扱ってはいけない。
そこだけは一貫して、
子どもたちと頑張った。
プランターの一つが、
今まで、
わが家で生きてきた生き物たちの、
お墓になっている。
最初の生き物のお墓を、
そこに作って以降、
子どもたちが、
生き物が亡くなると、
当たり前のように、
そこに埋めるようになった。
毎回、他のものが、
眠っていなそうな場所を選んで、
埋めていくのだが、
そんなに大きなプランターでもないので、
掘ると何か出てくるんじゃないかと、
黒ひげ危機一発みたいな状態になっている。
それにしても、
あれこれ名前を付けて、
精一杯お世話した生き物たちの記憶は、
子どもたちの中では、
いつまでも残っている。
個体に合った餌を適切な量、
与え続けなければならいこと。
生きていく環境を維持することの大変さ。
どんなに頑張っても、
命を全うする日が来ること。
たくさんのことを学ばせてもらって、
今ではむやみに、
欲しい。
飼いたい。
と言わなくなった。
生命力あふれる姿は、
とても魅力的だが、
失ってしまった時の、
喪失感や寂しさは、
やはり心に深く刻まれる。
不意にわが家にやってきて、
てんやわんやした日々と、
わが家に来てくれた命、
全てに感謝だ。