きょうだいは、

生まれた順番や、

性別に関わらず、

できる限り、

平等に扱いたい。

 

でも、

 

子どもの年によって、

できることに差があったり、

 

同じものを与えても、

得られる結果がさまざまで、

 

できない子には、

更なるフォローが必要だったりする。

 

そもそも平等とすべき、

物差しはなんなのか?

 

機会?

お金?

結果?

 

機会を平等にしようとしても、

相性の良い指導者に出会えるかなど、

運に左右されることも多い。

 

お金を平等にしたくても、

上の子と同じことをやらせても、

下の子の時にはいろいろと値上がりしていたり、

 

子どもによって、

同じようにお金をかけても、

得られる結果がまちまちで、

 

不器用な子ほど、

再チャレンジなど、

余計にお金がかかったりすれば、

できる子ほど、

選抜コースなどと言う名目で、

余計に費用がかかることもある。

 

結果を揃えようとすると、

できない子に合わせれば簡単だが、

できる子に合わせようとすると、

ストレスにしかならない。

 

 

わが家では、

いろいろとやってきたが、

 

結果としては、

幼い頃は、

機会の平等。

 

それぞれの個性や、

向き不向きが現れてきたら、

各々の伸びそうな方向を尊重して、

個々が最も良い形を模索して、

完全なる個別対応になってきた感じ。

 

一人づつ、

ありのままを見つめて、

その子が一番良い形はなんなのかを、

考える。

 

本人が、

一番納得できる事を目指しているから、

あいつだけずるい。

と言う話には、

今のところなっていない。

 

当初気をつけようとしていた平等は、

何一つ達成できていないが、

強いて言うなら、

 

将来性を、

同じくらい、

信じてやると言う、

平等かな。

 

 

あとは、

 

勘のいい子は、

大抵のことは、

難なくできて、

 

そうでもない子は、

いちいち引っかかるけど、

 

それぞれ、

良いところと、

気をつけて欲しいことは、

見ながら塩梅を変えていて、

 

程度の差をつけて、

個々には、

同じくらいの負荷を、

かけ続けるようにしている。

 

子どもたちは、

お互い、

 

それぞれの、

良いところと、

悪いところを分かっていて、

 

対等でいられている。

 

そうすることによって、

特別な子どもを存在させず、

お互いの、

居心地の良さに、

繋がってるんじゃないかな。

と思っている。

 

誰かが大きく成功すれば良い。

 

ではなく、

 

みんな、

自分の持てるものを、

最大限活かして、

個々が自立して、

納得のできる人生を、

歩んでいって欲しい。

 

そう願っている。