寝る前にアカシアはちみつを買うという小さな選択と、ハンガリー産と中国製のあいだで揺れる心の話

寝る前って、なぜか余計なことを考える。

昼間なら一瞬で決められることが、夜になるとやけに重くなる。
たとえば、はちみつをどれにするか、みたいなこと。

最近、寝る前の習慣としてアカシアはちみつをスプーン一杯なめている。甘さがやわらかくて、喉を刺激しない。血糖値の急上昇も比較的ゆるやかだと言われていて、眠る前の儀式としてはちょうどいい。

クリックする指が止まった。

ハンガリー産アカシアはちみつ。
中国製アカシアはちみつ。

値段は、中国製のほうが200円安い。

たった200円。
されど200円。


なぜ私はハンガリー産に惹かれるのか

正直に言えば、味の違いなんて分からないかもしれない。
原材料表示だって、素人には見抜けない。

それでも私は、無意識のうちに「ハンガリー産」に安心感を覚えていた。

これが偏見だと分かっている。

ハンガリーと聞くと、ヨーロッパの草原、養蜂家、透明な空気、というイメージが浮かぶ。
中国製と聞くと、大量生産、工場、ニュースで見た食品問題、という映像が勝手に頭に流れる。

でもそれは、本当に正しい判断材料だろうか。


行動経済学で見る「200円の心理」

ここで冷静に考える。

人は「価格差」よりも「ストーリー」にお金を払う。

200円という数字は小さい。
しかし「安心」というラベルが貼られた瞬間、その200円は合理的な支出に変わる。

「外国産は危ないかもしれない」という過去の情報が、今の判断基準を固定している。

自分の中にある「なんとなく中国製は不安」という感覚を裏付ける情報だけを記憶し、それ以外は無視する。

つまり私は、味ではなく、イメージを買おうとしている。


偏見は悪なのか?

ここで難しい問題が出てくる。

偏見は悪いものだと、私たちは教わってきた。
けれど実際、判断の多くは偏見の上に成り立っている。

時間は有限だ。
すべてを精査することはできない。

だから人は経験則を使う。

ハンガリー産=なんとなく安心
中国製=なんとなく不安

これは差別というより、脳の省エネ機能だ。

ただし問題は、それを自覚しているかどうか。


本当に買っているのは何か

はちみつを買う行為は、甘味料を買う行為ではない。

私は「安心して眠る自分」を買っている。

もし中国製を買って、
「本当に大丈夫かな」と考えながらスプーンを口に運ぶなら、
その200円は節約ではなく、精神コストになる。

逆に、何の不安もなく選べるなら、中国製で十分かもしれない。

重要なのは原産国ではなく、
自分が納得できるかどうか。


結局、私はどちらを買ったのか

私はハンガリー産にした。

200円の差は、「安心して眠るための保険料」だと自分に言い訳しながら。

でもその瞬間、気づいた。

私ははちみつを選びながら、
自分の中の偏見とも向き合っていたのだ。


寝る前のスプーン一杯

瓶のふたを開ける。
透き通った金色。

スプーンにすくい、ゆっくり口に入れる。

甘い。

そして思う。

もしこれが中国製でも、
同じ味だったかもしれない。

でも今日の私は、
この選択に納得している。

それでいいのかもしれない。


寝る前のアカシアはちみつは、
ただの食品ではない。

それは、自分の判断と向き合う時間。

そして、
200円の差に揺れる、
人間らしさの話だった。