『ニュー シネマ パラダイス』という1988年のイタリア映画をご存じですか?
もう、何年も前のことですが、この映画を確か東京フィルハーモニー管弦楽団の生演奏で鑑賞するというシネマコンサートがあり、友人に誘われて行ったことがありました。
映画はイタリアの片田舎のまだ映画館が人々の娯楽の中心だった時代を背景に描かれていきます。
映画館に入り浸たり、映画に魅せられていく小さな少年トトは撮影技師との温かい交流を通して成長し、やがて映画の世界で成功します。
成功したものの、都会でどこか殺伐とした生活を送るトト。
ある日、撮影技師の訃報を受けて故郷に戻ったトトは廃屋になった懐かしい建物に足を踏み入れ、自らの人生を回顧します。
トトの思い出がエン二オ・モリコーネの美しい旋律と共にスクリーンに映し出されていきます。
私はその映像の世界に没入しつつ、ふと東京フィルの生演奏によって現実に引き戻されるような不思議な感覚になりました。
映画に入り込むと演奏を味わい切れず、演奏を味わうと映画に入り込めないというジレンマに陥りました。
音楽と映像がどこか乖離して、演奏と映画の板挟みになってしまったような気分でした。
映画という完璧な幻想の世界と目の前のオーケストラの演奏という完璧な現実が重なって、現実というホログラムが形成されているような不思議な感覚でした。
上手く説明できないのですが、現実の圧倒的なパワーに引きずられつつも、その現実はホログラムでもあるのだと知覚させられるような、三つ巴の世界を行ったり来たりしているような不思議な感覚になったのを覚えています。
このような体験をしたシネマコンサートでしたが、この映画のテーマミュージックは私の一番好きな映画音楽になりました。
友人がこのエン二オ・モリコーネという作曲家の解説動画をYouTubeに上げていたので、この経験を思い出しました。
現実はホログラムだと言われても、これまではあまりピンとこない感覚でしたが、AIの急激な台頭によって、そのことが何となくわかるような気もします。
SNSの映像などは生成AIによって合成されていることも多く、ディープフェイクに至っては本物かどうかの識別は不可能に近い精巧さです。
現実と幻想の境界線が曖昧になっているように感じられます。
さらにこの先AIの技術開発が進むともっと区別がつきにくくなっていくでしょう。
人間がAIに支配されてしまうのではないかという危惧もありますが、AIが進化するためにはその前に必ず人間の進化が必要なはずですから、その心配はないのではないかと私は思います。
私たちは近い将来、この世界が現実であると同時にホログラムであるということをしっかりと認識できるようになるのではないかと思います。
そして、そのことが認識できたとき、AIの技術はさらに急速に発展するのではないかと思います。
さて、どのように私たちは進化し、それがどのようにこの世界に反映されていくのか本当に楽しみです。