今回は祖父の病気の話になりますので
重い話を見たくない方、
全く興味のない方は閉じてください。





離乳食をスタートしたその日の夜、
叔父から突然電話がありました。

老人ホームにいた祖父の体調が急変したため
大病院に救急車で運ばれて
現在 祖父は集中治療室に入っている、と。


昨年秋に祖母の容態が悪化するのと同時に
一緒に暮らしていた祖父まで
同じように半身不随になって歩けなくなり、
地元の病院では脳梗塞によるものだと診断されて
病院でリハビリを受けていました。

当初はリハビリを積極的に続ければ
自力で歩けるようになる見込みがあるとの話で
リハビリ重視の特養老人ホームに移りましたが、
会いに行く度に明らかに状態は悪くなっていて
先月 見舞いに行った時には
もう目もほとんど開かず、
発語が全くないため会話もできず、
自分では上半身を起こすこともできない
完全に寝たきりの状態。
肩をさすりながら大きな声で話しかけても
反応は何も返ってきません。

でも唯一、祖父の手を握った時だけ
信じられないくらい強い力が返ってきました。
何かを伝えるかのように
ギュッギュッと強く握り返してくれたので
それが奇跡のように思えました。

けれど数日前 集中治療室に面会に行った時には
もう手を握っても何の反応もなく
頰や額を触っても目を開けることはなく…
以前よりも傾眠状態が進んでいました。

たしかに体温は感じるのに
意思疎通ができないというのは悲しいです。

今回入院している病院側の話によると
実は脳梗塞だけでなく
脳腫瘍(すでに3cm)があり、
肝臓にも影が見られるため
それによる発熱と痙攣の可能性が高いとのこと。
当然ながら体力的に今からはもう何も
治療はできないと言われました。

母も、祖母も、そして今は祖父までも
大切な人は皆 がんで苦しめられているのか。
今回の祖父の場合は特に為す術がなく
あまりに無力だなと感じました。

私が昨年7月上旬に実家に帰った時には
祖母も祖父も以前と変わらず元気でした。
笑顔で娘と遊んでくれました。
最後は2人とも家の外にまで出てきて
私たちを見送ってくれました。

あれから約9ヶ月。
今は実家に帰っても誰も住んでいないため
しんと静まり返っています。

すでに結婚して家庭を持っていながら
こんなことを言うのはおかしいのもしれませんが、
生まれ育ったところに帰る場所が無く、
私を迎えてくれる人もいないんだなと思うと
やはり寂しいです。

産後、多少無理をしてでも
ふたりが元気なうちに
もう一度会っておきたかったな、と思いました。



最近は毎晩、子どもたちを寝かし付けてから
娘の幼稚園入園に向けて
持ち物に名前を書いたり縫い付けたり…
そして制服のサイズ直しなどの面倒な裁縫も
ちょっとずつしているのですが、
こういった作業も祖父母は得意で
私の保育園着や小学校の制服などは
いつもあっという間に祖母が直し、
鉛筆1本1本に至るまで
祖父が綺麗な字で名前を書いてくれていました。

そんな作業を夜な夜なしながら
ふたりのことを思い出しています。