KiraraTakahashi〜Essense of my Life Log〜

KiraraTakahashi〜Essense of my Life Log〜

大学生。社会の本質を見極めたい。
ドラッカー、スティーブンRコーヴィー、ビジネス書
詩を読む、家庭菜園、文学に出来ること、コトバ、Web
「大切なことは目に見えない」『星の王子さま』

はじめまして、管理人の高橋輝です。アカウントは、KiraraTakahashiもしくはkirara914のどちらかです(^^)各種SNS等も参加していますので、ぜひお友達になってやってください♪
Amebaでブログを始めよう!

久しぶりにブログ書いてますね。

何でこんなもん書くんでしょう?よくわかんないですね(笑)

最近僕は、またしてもSNSの運営をよくやってます。

Ameblo、Facebook、Twitterと、オウンメディアの連携ってやつですね。

自分の経験値から言うと、、、
コミュニケーションの目的/目標の設定をしないと
ほぼ確実にSNSの活用は徒労に終わります。

また、SNSメディアを使って
「とりあえず売ろう」とか
「とりあえず拡散しよう」って言うのは最低です。


コミュニケーションの目的ってなんやねん、と思うけど

例えば
・いつも返信をくれるようなファンを作る
・拡散をお願いしたときに拡散してくれるファンを作る
・新製品の感想をいち早く言ってくれるファンを作る

などなど、いくらでもあり得ます。

自分が一人のユーザーだったと仮定してみて、そのユーザーを客観視してください
「あいつはこういう性格だから、こうゆうコンテンツ出したらうけるだろうな」

次に、リーチしたいターゲットのことをリアルに想像してみて同じことをしましょう。

想像力は、本や、会話の中で培われるものです。

そうやってニーズを想像し、シーズを作り上げて行く。

そういうのを内部モデルとして確立していると、すごく強いですね。

これはSNSコミュニケーションにとどまらない話ですが。



SNSに限った問題点で言うと最も多いのが
「そんなところに割いてる人材が不足してまーす」というやつ

つまり、時間がないから出来ない、というやつ

SNSは、時短のためのツールだと思ってるので、会社全体のコミュニケーションポリシーを見直してみるいい時期なのかもしれません。

ちなみに、今やってるインタピーではメールコミュニケーションはほんの一部でしか使いません。クライアントとのやり取りもほぼFacebookを使っています。

セキュリティ面や、ダウンなど、まだまだインフラとして不十分な面もありますが、スタートアップとかなら十分すぎるツールです。

何より無料で、みんなアカウント持ってるから、最高ですね。
今までのメールクライアントと比べた時の圧倒的に見やすく、処理のしやすいUI/UXを考えただけでも、コミュニケーションツールの一歩先であることは疑いようもない。



SNSの運用で大事なことを3点で書いてみました。

・コンテンツのリサイクル
様々なSNSを有機的に連携させて行くための
 /予約投稿の活用
 /同時投稿機能の活用
 /シェアや、拡散の機能の活用

これらをやって行くことは、時間的なコストの削減にも繋がりますし
過度な広告費を投入する必要のなさを実感できますし
社内ブランディングの観点からも非常に有効です。

・リーチとリスト
同時に、何千、何万ものユーザーと同時にコミュニケーションできるのがSNSの最大の魅力でしょうか?
この段階になってくると、再び忘れがちになります。
そう、ユーザーは広告が嫌いです。
届くリーチの範囲を自社が無料で出稿できる広告枠だと
とらえた瞬間、今までの努力は気泡になります。

その情報は、本当に何万人もの人にリーチさせる価値がある情報ですか?

リーチさせる範囲の限定性を持たせたり、必要のないコミュニケーションはしないようにするために「顧客リスト管理」をする必要があります。

本来ならば、一人一人を対象に処理していた問題を
SNSを活用することによって、同時に何千人にも配信しているのです。

その逆ではありません。

何千人ものユーザーに同時に配信する目的でのSNSの活用は自分が1ユーザーだった場合に少し、おかしいような気がしませんか?

「これは役立つからシェア」とか
「ここに行ったら面白かったよ」とか

そういうコミュニケーションを瞬時に、同時に行う場所がSNSの基本です。

友達が増えてきたとき、また、リーチ範囲が広がって来たときに改めて確認したいものです。

・スピードコミュニケーション
SNSを使ったコミュニケーションの多くは、ケータイやスマホ、タブレットを使って行われています。

SNSのもう一つの特徴は、「通知がその場で来る」ところにあります。

ユーザーの関心が高まったその瞬間を「リアルタイムで」とらえることが出来ます。

そのために、大切なのは、ユーザーからのリアクションに瞬時に対応が出来ること、これにつきます。
瞬時に対応した場合、コミュニケーション回数がぐっと増えます。

メールでの問い合わせで、問い合わせてから3日後に返信が来た場合、たいていのメッセージへの情熱は冷めています。それが賞賛であれ、クレームであれ。

しかし、チャットや、コメント、@リプライなどでのリクエストに瞬時に対応が返って来た場合、その後のキャッチボールがどんどん多くなります。

多くの場合、それが呼び水となって爆発的な拡散力を生み出します。



________________
________________
こう書くと、やっぱり大変な工数と人件費がかかりそうですが・・・

上手に運用して行くことによって、そのリスクは軽減できます。
まず
TweetDeckやTwittBot、ManageFlitter、各種Facebookアプリの活用
これによって、開発コストをほとんどゼロで運用を開始出来ます。

次に
コアなファンを育てます

そして
コアなファンが、次世代ファンを育てます


これをSNSで生み出して行くためには
ダイレクトメッセージコミュニケーション、グループポストコミュニケーション、イベントコミュニケーション、ハッシュタグコミュニケーションなどなど
いろんなアプローチからファンを楽しませて行かなければなりません。


飽くなき努力をするなら、SNSの活用は必須です。

その場しのぎの売り上げに走るのであれば、とにかく広告を出してみればいいんじゃないでしょうか?

僕は、広告断固懐疑派です!



夢の地図を浮き彫りにする 

ェブマガジンIntapir(http://intapir.com/)が間もなく本格オープンする。上智大学法学部4年生となった私が、学生生活の集大成として始動させたプロジェクトがインタピーだ。インタビュー(Interview)とユメクイ(Tapir)をかけ合わせてこのプロジェクトの名前を決めた。ロゴにはバクをモチーフにしたキャラクターをデザインした。



「あなたの夢はなんですか?」

 インタピーのインタビューで用意されている質問はこれだけだ。私たちは、徹底的に「夢」というものを追いかけ続ける。失われた20年に育った私たちの世代、ゆとり世代の私たちは「夢がない」と言われ続けて来た。大人達が口を揃えてその言葉を言うたびに、私たちは「夢」を語ること自体に臆病になって来たように思う。

デジタルデバイスの普及のせいか、閉塞感漂う世相のせいか、私たちは見知らぬ人とコミュニケーションをとるにことすら抵抗を感じる。「知らない人と話しちゃいけません」そう、世界には知らない人があふれていて、新しい「何か」を教えてくれるのはいつだって「知らない人」なのに、「新聞を読みなさい、ニュースを見なさい、先生の言うことをよく聞きなさい」私たちはそう教えられて育って来た。新聞やテレビは、いつだって私たちにとっては何の訳にもたたなそうな情報ばかり教えてくれた。おかげで私たちは今、世界中で戦争が絶えず起こり続けていることや、少子高齢化で日本の未来が暗いなんていう未来のことまで想像できるようになった。遠くで起こっている戦争を、まるで自分のことみたいに悲しめるようになった。これがグローバルリーダー教育なのだろうか。私たちは、あたかも素晴らしい国際感覚をもっているかのようだ。でも実際のところ、暗いニュースばかり見ていると、自分の夢なんて到底叶わない現実なんだとどこかの誰かに言い聞かされているみたいだった。 


 大学生になってみて、就職活動なんかを目の当たりにして、社会ってものに放り出されそうになった時に、今度は大人たちが口々に「最近の若いやつはろくに口もきけない」とどやして来た。いったい私たちは何のために「成長」して、何のために「働いて」いくんだろう。日々の鬱憤はたまるばかりだ。

 私たちが夢見ていたウルトラマンや、アンパンマンはいったいどこに飛び去ってしまったんだろう。「弱いものいじめをしちゃいけないよ」って何度も習って来たけど、社会科の勉強をするたびに虐げられているのはいつも社会的弱者だと痛感した。いじめは、社会というものと密接に絡み付いている。そう感じ始めた頃から、いろんなニュースが信用できなくなって来た。あらゆるマスコミュニケーションに露出する広告が信用できなくなって来た。極めつけは、東日本大震災のあと、後手後手に情報を差し替え、すり替えて放送される原発事故の現状だった。偏向報道は、これまでもこれからもずっと続いて行くのだろう。


「僕たちが信じられるのはいったいどんな情報なんだろう」


 情報への疑いを晴らすべく、私は昨年3月12日に仲間たちとVolunteer Japanというウェブマガジンを立ち上げた。そこには、自分たちが見聞きした、自分たちが信じられる情報を載せて行こう、そう思っていた。今でも、そんな活動をし続けたいと思っている。だけど、世間は意外と冷たくて、半年も経てばほとんどの人があの地震で起こったことを過去の思い出に昇華しつつあるのを感じた。Volunteer Japanへのアクセス数を見れば、それは一目瞭然だった。

 私は、その思いを捨てきらずに、新たなウェブマガジンを作りたいと考えていた。
 時が経っても廃れないでほしい、そんな情報を発信して行くウェブマガジンを作りたいと思った。
 そんな時、自分は進路の選択に迫られ、エントリーシートに自分の夢を書きながら、何度も手が止まってしまった。「この企業に入っても、私の夢は叶わない」と感じたからだ。それは、今までの私を育てて来たこの社会を作って来た一企業だったからだった。そんな企業に、自分の夢は託せない。未熟ながらにそんなことを思い、私は就職活動を打ち切り、自分の夢は自分の手でかなえてやろうと思った。



 私の夢は、ウルトラマンになること。弱いものいじめをするやつを、助けてあげることだ。夢を描けないで悩んでいる自分の身の回りにいるたくさんの仲間に、夢を叶えるための応援をしてやることだ。


「一人じゃ幸せになれない」


 そう、私たちは、社会の中で生きている。社会を幸せに出来なければ、本当に自分が幸せになることなんて出来ないだろう、そんなことを思っている。


 私は、インタピーというウェブマガジンを通してそんな当たり前のことにみんなが気づいてくれたらと思っている。そして、一人一人が、幸せになることを本気で望む社会の中で、私は同じように幸せに生きていたい。そのためには、自分の夢や、自分の好きなことを諦めずに一人一人が努力し続ける必要がある。そして、夢なんてものは一人一人全然違うものでいいんだから、恐れず、恥ずかしがらず、一言口に出してみよう。あなたの夢を誰かが「それはいいねぇ」と言ってくれたらどれだけ励みになるだろう。インタピーで作り出すのは、私の夢の第一歩目。みんなが好きなように生きるキッカケを作り出すこと。


logo

「一歩目を踏み出すことは、三歩進むより価値がある」


 私はそれを信じています。私のこんな小さな夢を、応援してくださるなら、ぜひインタピーにアクセスして、SNSを通じて私に応援を届けてください。次は、私が「あなた」の夢を聞きに行きます。

そうして夢がつながって行くと、きっとインタピーには大きな未来へ向けた夢の地図が出来上がります。覗き見したくなるようなあの人の「夢」を、ユメクイと一緒に追いかけましょう。
マスコットキャラクターのインタピ君もよろしくね!





シリアで人がたくさん死んでいる。

http://mainichi.jp/select/news/20120903k0000e030152000c.html


現在は内戦状態。

これから先は、どうなっていくだろう。

難民がどんどんトルコに流れる。

シリアのデータを少し見た。

識字率 84.2%
ネット普及率 18.0%
乳児死亡率 14%
一人当たり国民総所得 2,410ドル
アラブ人が 90.3%

石油の埋蔵量が底をつき始めていると言われている、が確かかどうかはわからない。

アサド政権は、好戦的な政権。

シリアの政治を動かしてきたのはいつも軍事力だ。


国境は

イスラエル・レバノン・トルコ・イラクと接する。


東西文化の要衝、シリア。


東側にレバノン・イスラエル、西側にイラク、北側にトルコ


内戦解決の方針をアメリカとトルコが綿密に協議

生物兵器を使用した場合にはフランスも軍事介入の意向




これのどこが、内戦なんだろう?

敵が誰だかわからないから内戦は怖い。
そう、それは現場にいるジャーナリストや、子どもたち、一般市民にとっては何よりもそう。

誰が敵で、誰が味方なのかよくわからない恐怖の連鎖は、虐殺を起こしかねない。

そういう意味で、内戦の抑圧は、意味を持ち、人道介入を合理的に思わせる。


ただ、思ってることは、これのどこが内戦なんだよってこと。


内戦という名前を使ったメディア戦争だし、汚い利権争いだ。


この絵をご存じだろうか?


ナイフを握るのは子どもたちかもしれない。

そのことを忘れちゃいけない。目を曇らせずに世界中に想像力を羽ばたかせてほしい。


シリアの利権争いは、歴史的に見ても非常に重要なポイントになってくる。


今後の国際情勢ががらりと姿を変える年、2012年を、しっかり目に焼き付けよう。



人が人を殺さずにすむ世界を作ることがきっと可能だと
信じて生きていきたい。


信じることを諦めないことしか、人間には希望は残っていないと思う。

そこに一筋の光があれば、信じてそこに進んでいく。


テントウムシと、僕たちは、本質的に何も違わない。

信じられる光を、心に持とう。





いつのまにか降り出した雨の音
急ぎ足で行く季節の終わりを告げている
ふいに窓を閉じかけた手が止まる
しばらくは君のこと思い出さずにいたのに

http://grooveshark.com/#!/s/S+C+N+B/4oEdi7?src=5 
BGMにどうぞ
山崎まさよしの『全部、君だった』

雨

雨が降ると、いろいろなことを思い出す。

雨が降ると、忘れていた記憶が蘇ってくる。

雨は、いつも感傷的で、夏の終わりに降る雨が僕は苦手だ。


___________________________
___________________________

最近、Twitterでのつぶやきが1万件を超えたのを契機に

きららの迷言BOTを作ってるんです(笑)

という、名目のもと自分の過去のTweetを全部振り返り週間なわけです。


ひどい呟きもたくさん。

人のことを傷つけるようなことも、自分のことをよく見せようとするようなものも。



でもまぁそんな中でも、自分で見ていて笑ってしまうほど

天気・食事・飲酒

に関するTweetが多いです(笑)

で、雨が振るたびに、雨は嫌だと呟いてる(^_^)


でもほんとに、人は天気に影響されずに生きていくことなんて出来ないんです。

イギリス人ばりに、僕は天気の話をよくします。

見知らぬ人と話すときも、挨拶よりも先に天気の話をします。

それは、「アッツいねぇ」だったり、「冷房きつくないですか~?」だったり・・・。

___________________________

___________________________

あめ



去年のこの季節にも、僕はいろんなことを考えていた。

考えすぎて、自殺しそうになってた、夏の思い出。

長崎にいた時も、やっぱり雨は憂鬱だった。

考えすぎて、自殺しそうになってた、夏の思い出。

この雨は、僕からやる気と活力を一気に奪おうとする



どれだけ精一杯生きてみても、雨が降るとダメ。


だから、雨降る日には頑張らないと決めています。



音楽を聞いて、アツいコーヒーを飲んで、今日は本から勉強中。

こういう日には、10冊も20冊も一気に読んでしまうのがいい。


今年は、自殺なんてしたくならない程度に頑張ろう。

きららは肩の力をぬきつつ、全力疾走中です(>_<)

雨は、やっぱり嫌だよねぇ?



photo:01



今日は浅草「本とさや」で焼肉を食べました。

最近、暑くてあんまり食欲が出ていなくて。野菜とか、そばとか、素麺とか。涼しげなものばかり食べていたんですね。


したら、なんとなく今日はあんまり元気がなくなって来ちゃって・・・。

夏バテ!これ夏バテだわってことで・・・。

カルビを頬張り、テグタンスープで思いっきり汗を流しました。


photo:02



これは、草津の白根山。

前の休みにフラッと弾丸旅行で行って来ました。

この頃から、「暑さを避ける」生活が始まっていたんですね。

それにしても、やっぱり草津は素敵です。

温泉もそうだし、街の雰囲気も、「旅人を迎え入れる」という古き良き文化が残っているんですね。


草津は、交通の便が悪くて、いまだに未開発の観光地でもあります。

同じ代表的な避暑地の軽井沢は、新幹線が開通して、アウトレットが出来てから、大きく変わった街でした。


箱根にも、ロマンスカーが出来てから新しいお店がどんどん増えた。


交通の便が悪いのは、地方の過疎化にとって大きな敵ですけど、文化の保存という大義名分を掲げれば大きなメリットなのかもしれません。


僕が大好きな草津の文化はこれ。


photo:03



「歩みいる人に安らぎを、去りゆく人にしあわせを」


こんなに素敵な観光地は、なかなかありません。


草津にお金を落としたい

そんなことをシンプルに思えるような街でした。


近年では、「湯畑」から、「湯の花」といういわゆる入浴剤があんまり採れなくなったらしく、お土産屋さんは少ししんみりとしてしまったのかなぁ、なんて印象を受けました。



最後に、草津節を

草津よいとこ 一度はおいで
お湯の中にも コーリャ 花が咲くヨ

忘れしゃんすな 草津の道を
南浅間に コーリャ 西白根ヨ

朝の湯けむり 夕べの湯もや
草津は湯の町 コーリャ 夢の町ヨ

お医者様でも 草津の湯でも
惚れた病は コーリャ 治りゃせぬヨ

草津よいとこ 里への土産
袖に湯花(ゆばな)の コーリャ 香が残るヨ

積もる思いと 草津の雪は
解けるあとから コーリャ 花が咲くヨ


この歌の中に出てくる「湯の花」は今や歌の中にだけ出てくる幻の入浴剤になってしまった。


でもね、だからこそまた、直接足を運んで草津の温泉を浴びにいきたいなぁと、思ったわけです。


湯の花を伝説にしたのは、
観光都市「草津」の最後の生き残り戦略なのかもしれない・・・。


なんてことを思いました。



皆さん、お盆は、どのように過ごされましたか?





「人間は学校でなんでも習う。

でも、お尻のふきかたと子供のつくりかただけは意外なことに教わらない。
この二つ人生でもっとも大切なことなのにね。」
「綺麗にお尻がふけるようになったら一人前よ。」

『99才のまで生きた赤んぼう』ー辻仁成









僕たちは毎日たくさんのことを学ぶ。

毎日新しい何かに触れる。

死んでしまうまで、毎日毎日新しいことが起こり続ける。


その中で、生きていくために大切な二つのこと。


・お尻のふき方

・子どもの作り方

こいつは学校じゃ教えてくれない。


学校で教えてくれるものは、この世で生きていくために必要なことのうち

どれくらいのことだろう。


大好きなことわざがある。

A man may learn wit every day.

毎日怠らず学びなさい。

そういうことわざだ。


学びや、成長は、人間の本質だから、それを止めちゃいけない。

「自分は完璧だ。もう学ぶことは何もない」

そんな状態は訪れようもないこと。


傲慢になっちゃいけないよ。

毎日を赤んぼうになったつもりで、よく注視して見たほうがいい。

昨日は機嫌のよかった上司が、今日は少し落ち込んでる。

何が変わったんだろう、あの人に昨日なにが起こったんだろう。。。


些細なことにしっかり注視して、それをきっちり知ろうと努力できる人は

ぐんぐん成長していく。

「変わり映えのしない毎日だ。この日常はあと何十年も続くんだろう」

感覚がマヒすると、日常の中の些細な変化には気づくことが出来ない。


赤んぼうのように、いろんなことに興味を持ち続けよう。


昨日の風と、今日の風は、違う風。


その違いから、日々何かを学び、成長し続けていきたい。


そんなことを思った、日曜の午後。


月曜から、また毎日を楽しみながら過ごしていきます。

今日も、しっかり楽しむ!!




僕は18才まで、小説をなかなかガシガシ読んできました。

小さいころから、意外と読書が好き。

一度物語の世界に入ると、全然抜け出せなくなってしまうたちで

小学生のころからよく徹夜して一晩で一冊の本を読んでました。

そんなに高尚な文学は読んでないから、自慢できるような読書じゃないかもしれないけど、マンガより、映画より、ゲームより、小説が大好きでした。


「おいしいことばがたくさん溢れてる」

そんな風に思っていました。

たった一つの机から、いくつものドラマが生まれては消えていく。

それはまるで夢の世界。

いつしかmixiを始めるようになると、自然と言葉を書くことに目覚めました。

今日思ったこと、昨日思ったこと、明日やりたいこと。

そんな日常の一かけら(One Piece)に、いくつもの「事情」が絡まっていることが面白くてしょうがなかった。

一番読んだ作家はおそらく辻仁成。
次いで太宰治か、作品数的には芥川龍之介。
夏目漱石も読んだし、樋口一葉もすごく好きだ。


そんな中でも、辻仁成の小説はほとんど読んでます。

若い作家だから、単純に読みやすかったっていうのが大きいかな。

週刊誌の連載とかは読んでないけど、彼の言葉には愛とユーモアがたっぷりある。

ECHOESの「Zoo-愛をください-」の詩も、すごくいい。

時々無性に聞きたくなります。


undefined

いろんな小説家がいて、いろんな物語がある。


人は言う。
「あの小説家はすごくいい。あの小説家はくだらない色恋沙汰の話ばかり書くからよくない。あの話はまだまだ浅いよね。くだらないって感じ。」


そんな話こそ一番くだらないと思う。


読みたいと思ったものを読めばいい。

それでいいんだと、ずっとそう思ってる。



みんながヘッセを読んで、デカルトを読んでたりしたら気持ち悪い。


その時代にあった、その時代なりの文学があって、文学の役割は時代の奥行きをやんわりと伝えることにあるんじゃないかって僕は思ってる。


高度情報社会に生きる身だからこそ、言葉は大切にしたい。


言葉が安くなる時代じゃない。
言葉が高くなる時代だ。



伝えるべき言葉は、自分で選び取らないといけない。



ロックを聴いて育ってきた。
フォークを聞いて育ってきた。
ブルースを聞いて育ってきた。
ラップを聞いて育ってきた。

ポップスもたくさん聞いて育ってきた。


口ずさむ音楽がそれぞれ違うように
使う言葉もみんなそれぞれ違っていい。


無理して難しい言葉を並べたてられても
こいつの心から出てきてる言葉じゃない、ということがすぐわかる。


言葉はリズムだし、グルーブだ。


今の日本の人たちが使う言葉で、その同じ言葉を使って
自分が人にどれだけ響かせられる言葉にできるか。


何を書こうか考える時点から、読者とのコミュニケーションはとっくに始まっている。


そういうことを考えながら、日常生活の中で使う言葉も、ネットで使う言葉よりもっと大切にして生きていきたい。


言葉は人を傷つけもし、救いもする。


それを肝に銘じておくことが肝要だ。



こんにちわo(^▽^)o

お久しぶりの記事です。レタス、ハーブはもう毎日のように収穫しては食べてるんですが…

ついに実がなった!花が咲いた(^^)

photo:01




可愛いでしょ(^o^)
オクラです!

母はこう言います。

子どもを育てるのも、花を育てるのも同じことなのよ、と。

毎日お水をあげなきゃならないし、肥料をあげないと立派な実は結ばないの、と。


ぁあ、僕の母は神様だ!

そんなことを思いました。

勉強も教えてくれたし、料理も教えてくれる。お花の名前も教えてくれるし、カラーの先生として、洋服のアドバイスもしてくれる。


生物学的に、メスは母親の真似を、オスは独立自的な生き方を志すらしいということを最近知りました。

僕はきっちり母の真似もして来た。

父の背中を見て育って来た。

こういうことを、次の世代に伝えなきゃいけない。

そんな使命感に駆られる、今日この頃なわけです(^^)


お嫁さんをもらえるように、男の子は立派に育たなきゃならない。

女の子を守ってあげるのは、男の子の役目なのです。


たった一人、幸せにするために、世界中にバラの花を咲かす。その人が悲しまないように、寂しい時にもバラの花がその人を幸せな香りが包んでくれるように。

世界中に、バラの苗を植える。


バラは、人間が食べるための植物ではない。
バラは、人間を幸せな香りで包み込むための植物だと思う。


photo:02





サンサンと輝く太陽のもと、身体を鍛え続けてる今日この頃です(^^)


長生きしたいo(^▽^)o

オクラ食って、水泳して、バラの匂いに包まれる。

文句のつけようのない、絶対的な幸せってものもある。

それを教えてくれた母に、感謝。

今日もたくさん笑って過ごします(^^)

iPhoneからの投稿


わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色(こんじき)の稲穂
     
わたしを止(と)めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃(はばた)き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音

わたしを注(つ)がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮(うしお) ふちのない水

わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
座りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風

わたしを区切らないで
,(コンマ)や.(ピリオド)いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩

新川和江第五詩集『比喩でなく』(1968年)所収



_________________________
_________________________



私は、いったいどこから来て、どこへ向かう生き物なんだろう。

自然の雄大さを知り、認め、その中に本質を見出す。

詩人の詩人たる詩人らしさの意思表明の詩だと僕は思います。

束ねられちゃってる自分に甘んじていませんか?

個として生きていくことは、辛く、険しい道のりです。

自由であること、自然であること、バランスがとても大切だということ。

すこしづつ、気付いていけるものなのかもしれません。



今日も明日も明後日も、大切な人と、大切な時間を、大切に過ごしたい。

そんなこと思う、木曜の午後でした。





photo:01



バランスは、崩壊を。不調和は調和を志す。

誰しも抱え込む二面性を、受け、入れ、出さなければ。

本気だから悩むんだ。怖い。
感じているすべてが真実で、それこそ現実。

現実の苦悩を抽象化する行為は、現実を捻じ曲げようとする人間の希望だ。

苦悩も希望も同じところにある。何を思おうと、人は一人では生きられない。

生かされてる。それを感じることが生きることだ。

すなわち、歩くことと、話すこと。食事を楽しむことと、眠ること。

深く深く思えば、軽やかに生きることが出来る。

しなやかで、愛のある人間に僕はどれだけ近づけているんだろう。

近いようで遠い。それが現実なんだ、と改めて気付かされる。

愛情は、その狭間にぼぉっと現れたり、消えたりする。


photo:02




人生は偶然の連続でしかないのに
その堆積を人は繋げようとする。

そこに一すじでも光が差し込むなら
人はそれを信じようとする。

信じたものも、いつかは必ず崩れ去る。

それでも希望を繋げるために、人は夢を見る。

夢の世界が無限であるからこそ
それだけは途切れることなく続く。

思想は根本的に自由だ。

それは人間が考えるときに言葉を使うことが出来るからだ。

しかし、言葉は不便にも矛盾する。

矛盾こそバランスであり、偏りであり、価値である。

我思う、故に我悩む。

矛盾するから、人間なのだ。


そして、人間はその矛盾を埋めるために歩く。

未知なる道を行き、夢の続きを見に行こうとする。

その先に待つすべてのために歩く。


人間は、歩く生き物だ。

photo:03




そこからすべてが始まる。

今日、新しく人生を始めるために歩いた。

明日も歩くだろう。

もっと遠くへ。もっと近くへ。