小学6年生の二学期終わり頃。
相変わらずの三人部屋。
当時、小児科病棟では、男の子部屋と女の子部屋の六人部屋があったけど、
私は、透析をしているからという理由で三人部屋でした。
感染とかコワいからね。
そんな中、初めての腹膜炎を起こす。
お腹が痛くてつらかった。
改めていかに清潔に扱うを考えたよね。
軽く済んだのか、カテーテルの入れ替えはしなくて済む。
ようやく学校へ通えるようになる。
大学病院に入院して半年が経過していました。
(当初の予定だと入院期間半年と言われていましたが、何もないまま)
病院内にある養護学校は同じ階にありました。
ベッドで学習していたときは、パジャマのままだったけど、学校へは洋服に着替えて通う。
腹膜透析の空バッグを入れるためのポシェットを母がたくさん作ってくれた。
今でも仲良くしている友達の一人と出会う。
年末、年始。
体調の良い子たちは外泊。
私は、感染が怖いのもあり、また、透析の道具を持っていなかったこともあり、
外泊は出来なかったけど、外出許可がおりて
年末、年始数日ずつ外出をしました。
久々に帰った家は懐かしかった。
家族や親戚にもあえて嬉しかった。
けど、薬の副作用でかなり太っていたためなんだか恥ずかしかった。
そして、
透析をしなければならないため、家にはあまり長くはいられない。
病院に戻るのは寂しかった。
病棟では、当時、テレビは面会室にしかなかったので、
小さなテレビを持ち込んで紅白歌合戦を見た。
あまりよく見れなかったけどね。
この後も何度も年末、年始を病院で過ごすことがある。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
kirara
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