あと二日で、あきらの3年生生活も終わりです。
早かったなーと思います。
あきらは毎日それは楽しそうに学校に行っていますし、今のところ勉強も楽しい様子です。(宿題はきらい)
給食も美味しいし友達とのサッカーも楽しいし、幸せなことだと思います。
3年生を修了するにあたって、今までの小学校生活をぼんやりと思い出してみると、先生方にもとても恵まれたと思います。担任の先生方は、あきらの様子をとてもよく見て下さっているなぁと思います。
1年生次の担任の先生と2年生次の担任の先生は、それぞれ、1学期の個人懇談で同じような事を仰いました。
1年生次の担任の先生は
「あきらくんに好きな事だけをさせてあげられたら、どんなすごい子になるかと思います」
2年生次の担任の先生は
「あきらくんに好きな事だけをさせてあげたいんですが、学校ではそういうわけにもいかないので…」
あきらは、私から見ると、どうにもこうにも何をするにも時間がかかります。
「動作が遅い」のではなく、やるべき時にやらないので、人より遅れを取ってしまうのです。
では、「やるべき時」に彼が何をしているのかというと、違う事をしていたりぼーっとしていたり友達の事が気になっていたり他の事が気になっていたり…という感じです。
例えば、連絡帳を書くべき時に書いていないので、先生の字で連絡帳が書かれてある日もありました。みんなが漢字ドリルをやっている時にやらないので、毎学期の終わりが近付くと、溜まりに溜まったドリルを埋めるのに相当な時間を費やします。
2年生の時には、プールの後の着替えが次の授業開始までに終わらなくて、次の授業が始まっているのにまだ下着姿だったとか、理科のトマトの観察が時間内に終わらなくて、次の授業が始まっているのにまだトマトを観察していたとか…そんな感じでした。
でも「周りと同じ時に同じ事をしないのはだめだ」という意識が薄く、また、遅れをとることに対して「恥ずかしい」という思いがなかったのだと思います。
というよりも、色々な事を知っていて、「なぜ?」「どうして?」と興味を惹かれる事柄が多すぎて、「周囲に合わせなくてはだめだ」とか「恥ずかしい」とかは彼にとってはどうても良い感情だったのかもしれません。
1~2年生の間は、「彼のそういう部分(色々な事に興味を持って知りたいと思う事)は、得ようと思って得られる資質ではないので、それは彼のとても良い部分だと思う。そういう良い部分を失わないようにしつつ、でも学校という枠・1時間目2時間目という区切りのある生活の中で出来るようになっていけるよう見て行きたいです」と、先生方も仰っていました。
私もそう思っていました。
私も、
彼の良い部分は残しつつ、
せめて、枠のギリギリあたりでもいいので、
何とか「普通」の枠に納まってくれないか
と思っていました。
そしてそれを、3年生の担任の先生(つまり今の先生)にも、1学期の個人懇談でお話しました。
すると先生は、
「普通」がそんなに大事でしょうか
というような事を仰いました。
びっくりしました。
目からウロコが落ちました。
先生がそう仰った途端に「普通」が大事じゃなくなった気がしました。
今までの先生もあきらを良く見て下さり、彼の良い部分も、まだ足りない部分も理解して下さった上で指導して下さいました。とても感謝しています。
そしてさらに3年生で巡り合った先生は、彼の良い部分も、まだ足りない部分も理解して下さり、さらに、「それでいい」と言って下さいました。
「それでいい」とはいえ別にあきらを放置するのではなく、3年生として普通に指導して下さっているだけで、ガッツリ叱られることもあるし、勿論居残りだってチョイチョイあります。ちゃんと、厳しく、そして根気強く指導して下さっています。
そんな先生に見守られ、さぞかし彼は楽しい3年生生活を送れたことだと思います。
この1年間、あきらには、先生からお電話をいただくような出来事が多く(課題が終わっていないだとか友達とけんかしただとか)、私は先生とお話する機会が多かったです。まずその事に、ある意味でとても感謝しています。
先生とお話する機会は、多ければ多いほど良いと私は思います。
先生と毎日お会いしていた幼稚園時代とは違い、学校での様子は、こちらが知ろうという姿勢がない限り、見えない部分が多いからです。だから私は今年一年、先生とお話する機会が多くてよかったと思っています。役員をしている事もあって学校にもよく行っている事もよかったと思います。
先生とお話をするたびに、「あきらくんはとても頑張っています」と言われます。
私から見れば、相変わらずやるべき時にやらないし、あいかわらず漢字ドリルが溜まることもあるし、新聞づくりなどは必ずといっていい程期限内に仕上がらないしで居残りも多いし、集中力もなくて宿題をしていてもすぐにボケーっとなるし、あいかわらず字がものすごく汚いし…同じことを何度も何度も注意しているのに治らないため、どこがどう頑張ってるのかサッパリわからない時もありますが、先生は「頑張っています」と言って下さいます。
だからきっと、そうなんです。
あきらはあきらなりに、頑張っているのだと思います。
そこをちゃんと評価してもらえて、彼は生き生きと3年生生活を送ったことと思います。
そろそろ周りの目が気になる年齢になってくるそうです。周りと同じ時に同じことをしないで遅れを取るのは恥ずかしい…というような感覚は、そのうち自分が気づくのではないかと先生は言われます。4年生になって、あきらが気づいてくれることを祈るのみです。
今のところまだ気づいていませんので…。
でもあきらがそういう部分に気づき始めて、私が前に求めていた「普通」に納まる日が来るとしても、彼の、色々な事に興味を持つ、彼の良い部分は失われないでほしいと思います。
なかなか身勝手な願いですが。
ところで、自転車転倒事故により腫れあがっていた彼の頬ですが、2週間以上たちまして、無事目の回りは綺麗になり、目にも異常はありませんでした。でも、頬の腫れと変色だけは相変わらずで、頬はこぶみたいにポコっ!と膨れています。本当に異常ないんですかねこれで…と、外科の診立てを疑い始める私です。
今週末にピアノの発表会がありますが、ちょっと残念な写真写りになる事が確定です…。