ザアカイはローマ帝国の徴税人でした。
(帝国の命令で、
民衆から高い税金を取り上げる嫌われ者)
おまけに
背が低くて
民衆からチビ、ケチ、粗悪な取り立て人!
と毛嫌いされていて
お金持ちで立派な家に住んでいたが
友達もいなかった。
ある日 隣町で
盲人を触れるだけで治したという
奇跡を起こしたイエスという人が
ザアカイの住む町を通りかかった。
大変な人だかりで
チビのザアカイはイエスの姿を見れず
どうしても一目、見たいと
桑の木に登り、木の上からイエスを見た。
すると イエスが木の上のザアカイに向かって
「ザアカイ、急いで降りてきなさい。
今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」
と言った。
初対面で名前を呼ばれた事も驚きだったが、
民衆たちは
あの罪人のザアカイの家へ?
イエスさま、何故あんなやつの家に?
私の家へいらしてください
あんな家へ行ったら罪でけがれます
家の方が!私の方が!
と
自分の家にイエスが泊まったという自慢をしたいがために競り合っていました。
その後、ザアカイはイエスの愛によって心を入れ換え
民衆から取り立てた税金を倍にして返し
困っている人々のために食べ物を配って歩いた。
と、まぁ
ざっくり言うとこんな話。
お釈迦様の『 七慢 』の、お話も。
七慢
七つの慢(しちまん/うぬぼれ)についての動画。。
わかりやすいです。
増上慢
卑下慢。
~物語では、こんなのが~
ある日
お釈迦様が弟子たちと歩いていると
貧しい、足の悪い老人がいた。
お釈迦様はその老人に話しかけ
壊死して動かない足をさすり、
食べ物を分けてあげました。
弟子たちは次の予定が迫っているから、と
早く行きましょう、と促します。
その老人を蔑(さげす)みるように、眉をひそめている弟子もいました。
また歩き出すと
向こうの方で
こどもたちがケンカをしています。
お釈迦様は両人の話をよく聞いてあげ
仲裁をしました。
弟子たちは またか、という顔で
早く行かないとお約束が、、、と
面倒くさそうな顔です。
また、ある日
弟子たちの知らない若者と、お釈迦様が
楽しそうにお話をされていました。
弟子の一人は、
私たちにはあんな楽しそうな顔を見せないのに。
私たちの方が先生の事をよく存じている。
あの若者たちには、先生の言っていることはわかるまい。
それにしても、あの若者たちは先生に馴れ馴れしくし過ぎだ。
私たちの方が先生と長くご一緒しているのに
腹立たしい。
お釈迦様は弟子たちに
『あなた方は七慢という教えを知っていますか?』
言葉を学んで知っているだけで
体現出来ないのは
知らないこととは全く違います。
教えを知っていても行わない
それは大変おそろしい罪なのですよ、
と諭しました。
ザアカイの話も
お釈迦様の話も
町の人やお弟子さんたちが
自分でも気付かず
知らず知らずのうちに
慢 (うぬぼれ)
の心が湧いてしまっているお話でした。
勝手な嫉妬心から来る感情で
自らの心を不機嫌にさせている場面も。
イエスやお釈迦様ほどの方だと
お側にいたい 仲良くしたい
お近づきになりたい
目をかけてほしい
などなど
色んな欲で
集まってくる人もいたのでしょうね。
イエスもお釈迦様も
(入滅してからブッダ(悟りを開いた人 という名で呼ばれるようになった))
きっと 何方にも同じように接していたのだと思いますが
教えを説かれるために
わざとそのような振る舞いをされていた事もあったのではないのかな~?
今の世も
何ら変わらず
人間の、このような事が繰り返される
(自分にも思い当たることはたくさん。)
だから、いつの世も
いつの人生も
自分は出来てると思ったら
いつでも奈落の底へ墜ちていける
自分が師と崇める人の側にいたとしても
どれだけ仲良くなったとしても
気に入られていたとしても
慢心の落とし穴は、いっぱいだ。
昨夜、友人と話していてこれ、出てきて(笑)
この歌に出てくる、
悪のダイバダッダ(提婆達多)
の話が深かった。
反面教師の鏡だ!✨
いつでも
人は、この悪に染まっていく
甘い甘い罠がある。
言葉では何とでも言えるのだけど、
心はね、自分と、かみさまにお見通しなので
満月の動画~☺️ in西表島より
オリジナルのオルゴナイトのオーダーも、
同じメールにて承っています
色んな形や色、石、チャームなどを入れる事ができます❗️