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あじさい 私の乳がんについて あじさい

 

ステージⅡ

ルミナルHER2

Ki67 : 15%

転移 : 恐らくなし

 

術前化学療法

  (ドセタキセル、カルボプラチン、ハーセプチン、パージェタ) 3週間毎に6クール終了

 

12月15日 全摘、同時再建手術

 

 

 

 

 

    

 

 

退院の日の朝

 

 

 

 

 

おはようございます晴れ

 

3週間と2日。 長かった私の入院生活を卒業する朝です桜卒業証書

 

1月5日の朝陽

 

 

 

 

楽しかったことだけを書いて終わろうかと思ったけど、やっぱりちゃんと書いておくことにします。

 

 

少し長くなりますお願い

 

 

 

 

 

私の退院が延びた理由・・・。

それは、乳頭乳輪の壊死がきっかけでした。

 

 

今の時点で、私に関わってくれた3人の先生方も たくさんの看護師さん達も、『壊死』という言葉は使いませんが・・・。

 

 

それなのに、なぜ私が自分の状態を壊死だと理解したのか。

それは、同室でお隣りのベッドの方の発言からでした。

 

 

私と同じ担当医のお隣りさん。

私と同じ、お腹の脂肪を取って、私の2日前に手術されてます。

 

 

私が壊死対策で軟膏を塗り始めた頃のことです。

 

 

担当医がまわってきて、私の次にお隣りさんのところへ。

 

 

隣  『(隣りの人は軟膏を塗ってるけど)私は塗らなくていいんですか?』

 

先生  『⚫⚫さんは塗らなくて大丈夫です。』

 

隣   『どういう状態の人が塗るんですか?』

 

先生   『皮膚の状態を見て、必要と判断した場合に塗ります。⚫⚫さんは経過もいいので必要ないですよ。』

 

隣   『それって、どういう色になったら塗るんですか?』

 

先生   何か近い色を見つけた様子で…『こういう色になったらですかね。でも⚫⚫さんは必要ないから大丈夫ですよ。』

 

隣   『それって壊死ですよね!』

 

 

その後、お隣りさんと先生が どんな会話をされたのか わかりません。

私が耳を塞いだので・・・。

 

 

 

その時は、こういう人もいるわ〜とスルーしました。

誰もが心配になる 壊死。

聞きたくなる気持ちは理解出来ます。

 

 

でも、自分は関係ない、大丈夫と先生に言ってもらったら、そこで終わりにしておいてほしかった。

私が隣りで やり取りが丸聞こえなのは、わかってたはず。

だからこそ 担当医は、言葉を選びながら『あなたは関係ないから大丈夫だ』と繰り返した。

 

 

 

その時はスルー出来たんだけど、次の日から 退院後の練習も兼ねて 自分で軟膏を塗ってガーゼをする練習が始まり・・・。

 

 

鏡で自分の胸を見て、軟膏を塗ろうと患部に触れてみると・・・。

 

 

枯葉のようにカラカラになった乳頭乳輪がありました。

 

 

こんなカラカラじゃ、いくら軟膏を塗ったって 柔らかくなる訳ないやん・・・。

 

 

そう思うと同時に、お隣りさんに言われた壊死という言葉が 頭に浮かびました。

 

 

一気に 私の目に涙・・・。

拭いても拭いても止まらなくて、お隣りさんに聞こえないように、声を殺して泣きました。

 

 

 

23日の夜のことでした。

 

 

いつものように 担当医がまわってきてくれて、私、サッと眼鏡をかけて隠したんだけど、泣きはらした顔に気づき・・・。

 

 

先生   『何か心配なことがありましたか?』

 

私   『大丈夫です・・・。』

 

先生  『お胸のこと?それとも そのほかのこと?』

 

 

 

そんなやり取りがしばらく続き・・・。

優しく寄り添ってくれようとした担当医に、私も寄りかかりたかったけど、お隣りさんが耳を澄ましているのがわかったので 出来ませんでした。

 

 

その後、看護師さんが来てくれて、『○○先生がとっても心配されてたけど・・・何か心配なこととか不安なことがあった?』と優しく声を掛けてくださり・・・。

ここでもお隣りさんが聞いているはずなので、『大丈夫です。』とお答えしました。

 

 

ヘナチョコな私の、せめてものプライドでした。

 

 

しばらくして また涙が溢れてきて、少しひとりになりたくて、最上階の あまり人の来ないところへ行って、夜景を見ながら いっぱいいっぱい泣きました。

 

 

きっと、デイルームに行けば 仲良しさん達が話を聞いて、慰めてくれたり、お隣りさんのことを非難したりしてくれたでしょう。

でも、デイルームをそういう空間にするのが とってもイヤだった。

 

 

その時の私は、少しひとりになりたかった。

 

 

 

 

次の日の朝、仲良しさんが、私が元気のないことに気づいてくれて、

『ちょっと、外の空気吸いに行こうピンク音符

と誘ってくれました。

 

 

 

病院内のパークをお散歩しながら、ベンチに座って それまでの話を聞いてくれて、私が泣くのを見守っててくれて・・・。

 

 

話を聞いてもらって、ひと泣きさせてもらって、私の気持ちも だいぶ落ち着きました。

 

 

その後は、デイルームに行って みんなと楽しくお喋りも出来ました。

クリスマス・イブの夕方でした。

ギリギリ、クリスマス・イブを笑顔で過ごすことが出来たのが うれしかったほっこり音符

 

 

 

その日の夜 執刀医が来てくれて、私が泣いていたことを聞いたのか聞いてないのかわからないけど、

 

『乳頭乳輪を厚めに残すと、胸は綺麗に残るけど、その分 再発の可能性が上がる。再発を防ぐために、壊死の可能性は上がっても ギリギリのところまで攻めて取りましたよ。その方がいいでしょニコニコ』と話してくださいました。

 

 

 

その話を聞いて、思い出しました。

 

そうだ!私はガンを治しに来てるんだ!

再建は、二の次の話やった!

 

 

 

その後、少しずつ 少しずつ、私の気持ちも落ち着いていき、自分の胸を 静かな気持ちで ちゃんと見られるようになってきたのが、大晦日の頃でした。

 

 

 

お正月は、自然と笑顔になれ、楽しく過ごすことが出来ました。

 

 

人より少し長くなった入院生活。

ドレーンの排液が減らなかったことが1番の理由ですが、乳頭乳輪の壊死の経過を見ることで、更に退院が延びました。

 

 

 

長い入院期間で、仲良しさん達といろんな話をしました。

 

 

ガンと気づいた時のこと

病院選び

不安に思った時のこと

ガンがわかって 1番泣いた時のこと

抗がん剤治療のこと

ウィッグのこと

いつまで生きたいか

遺伝性による予防切除について

 

 

話をするたび、泣いたり笑ったり。

まさに、ココでのやり取りと同じでした。

 

 

 

ドレーンが抜けてすぐに退院していたら、私は ちゃんと笑顔に戻れないままでした。

 

 

この病院の中で、親身になって寄り添おうとしてくれた 先生方や看護師さん達に見守られ、

同病の仲良しさん達と たくさんたくさん話をしたり 時間を共有して、

ひとりの時間では、ココでのお友達とやり取りさせてもらって、私の経過を見守ってもらってハート

私の心も元気になっていきました。

 

 

 

ひとりでは 立ち向かえない。

みんなが傍にいてくれるから、私は前に進むことができる。

 

 

まさに、それを実感することができた、私にとっては 大切な23日間でした。

 

 

 

 

 

あっ、そうそうびっくりマーク

私の大好きな主治医が 今日のブログに登場しませんでしたが、手術には関わってないから 本当なら 来てもらえないんだろうなと思ってたけど、時々 様子を見に来てくれました。

 

術後、朝イチで来てくれたのも主治医だったし。

 

オネダリして、メッセージも書いてもらいました。

私のお守りですハート

 

 

 

 

再建したら、気分晴れ晴れで再スタート出来ると お気楽に考えてた私ですが、そんな簡単ではありませんでした。

 

手術して、同時再建する方、二次再建に向けてエキスパンダーを入れる方、全摘のみの方、部分切除の方・・・。

 

いろんな選択肢のある手術だけど、皆さん 大なり小なり 乗り越えるものはあります。

みんなで話をしてて、それがよくわかりました。

 

 

ひとりで乗り越えることが出来る人もいると思うけど、そうじゃない人もいっぱいいる。

それって、みんな同じ。

全然 恥ずかしいことじゃない。

 

 

みんなで 手を繋いで、一緒に前に進んでいけたらいいなほっこりハートハート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黄色い花黄色い花 ひとりでがんばらないよ

みんなで少しずつ

前に進んでいけたらいいよね 黄色い花黄色い花

 

 

 

 

 

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