私は花とか、おいしいもの(➡特に期間限定に弱い)とかなにか書いたりすることが大好きです。
グダグダ寝てるのとか、
日向でダラダラしてるのも好き
これは人によって違うと
思いますが、だからこそみんな違うんですよね
チャンネルリモコンで理想のチャンネルを予約したら
あとは宇宙を信頼しておまかせ。
ただひたすら気分よく過ごすことに、
自分の声を聞いてとことん気分がよくなることにフォーカスします。
もちろん現実世界からいやなことをいっさいなくすことは不可能です
でも、考え方の思考のバランスを
いつでも調整することはできます。
自分が気分がよくなる行動をしていると
現実化が始まります。
それは一見自分の願いや願望とはまったく関係ない、直接関係ないことかもしれません。
損をしているような、無駄なことのような
お金にもならないような
でもそれでいいんです。
いや、それがいいんです➡真顔
「どうやってその願いが叶うんだろう。」
「いつになったら叶うのか。」
「これって無意味なことなんじゃないだろうか・・・」
願いに執着しすぎるとこのような不安や疑いのような感情がでてきてしまいます。
宇宙さんは「喜び」にはさらに飛び上がりたくなるような「喜び」を
「わくわく」にはさらに心の底から湧き上がるような「わくわく」を・・・
「不安」にはさらに「不安になるような現実を」
「疑い」にはさらに疑わざるを得ない現実を・・・げっ!!!
本心から「叶っても叶わなくってもいい」
「どちらでもいい」➡中庸
になるとますます加速していきます
「あなたがほっとできることはなんですか?」
「時間を忘れてしまうほど打ち込めることは?」
お花を眺めるとか散歩するとか、趣味にのめりこむとか
お茶を入れてほっとする・・・とか人によってご機嫌アイテムが違うと思うんです
でも、いい気分でいることと前向きになれってこととは違います。
自分にとって心がほっとするのであればネガティブももちろんオーケーです。
ポジティブはいい、正解。
ネガティブは悪、不正解ではないんです。
ありますよね
いかり狂うこともあれば、悲しい気持ちのときもある。
もちろんマイナスなことばっかり浮かんでくることだってあります。
それを自分が「あ~、またマイナスに考えちゃった」
罪悪感を感じる必要ってない。
悲しみたいときは思い切り悲しんで
つらいときは思い切りつらさを感じきって
くやしいときもあるし、すべてをほおり投げたくなるときだってある。
心の声を感じ尽くしたら
やっぱり「じゃ、自分はどうしたいの?」
「どっちを選ぶ?」
そこに戻ってきて時間はどれだけかかってもいいから
また気分がいいを存分に味わってください
皆様に良きことが雪崩のごとく起きます。
ありがとうございます×あじまりかんあじまりかん×88888888888888888888888888888888888888888回を送ります