キラキラレコードのブログ
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参院選を終えて

 投票日の21日。僕は前日に引き続き大学時代の旧友たちと一緒に京都巡りをしていた。早朝の東福寺座禅から始まり、ル・プチメックでの朝食、下鴨神社のみたらし祭を経て、今宮神社のあぶり餅に丸太町十二段家のお茶漬けランチなどなど、優雅なのかせわしないのか判らないような京都巡り。3時過ぎに東京への帰途につく友人たちを京都駅に送り、帰宅。そこから家族と一緒に近くの小学校へ投票に行った。

 そして8時。開票速報開始と同時に自民圧勝の結果予測が。まあこうなるのだろうと諦めに似た気持ちを最初から持っていたので特別驚きもしないが、やるせない気持ちはやはり隠せない。なぜこうなると予測したのか。早い話が野党の分裂である。野党がそれぞれ勝手なことを勝手に言っているのでは、自民に勝てるはずが無いのである。

 理由は簡単だ。非自民の票が割れるからである。その結果選挙区での上位には割れていない自民が入ってくる。1人区では最上位の得票を得た候補が当選する。野党の票をすべて合わせたら決して自民に負けていない選挙区ばかりだろう。しかし野党が割れるから自民が勝つ。それだけのこと。単純な話だ。

 では数合わせだけで選挙協力をすればいいのか。それもダメだろう。数合わせで選挙協力をしても、結果として個々の候補者や政党が持っている理想や意見が違うのであれば、当選しても結局途中で意見が衝突する。それも木を見て森を見ず的な些細なことでだ。最終的に国民のためになどはならない。これまでの政権交替もそうだった。宮沢政権が野党に転落したときの細川政権は、社会党の離脱によって瓦解した。民主党による政権交替は、菅野田前原枝野仙谷らによる内部分裂工作によって民主党そのものが割れ、瓦解した。小沢一郎は細川政権の時には政権内の主流派で崩壊に至り、民主党政権の時は反主流派で崩壊に至っている。

 今の政治状況を考えると、野党が割れるための仕掛けが幾重にも仕掛けられているようにさえ感じる。

 まずは維新とみんなだ。この両党はスタートが自民党であると言ってもいいだろう。みんなの党は渡辺喜美による政党で、公務員制度改革を訴えている。彼は第一次安倍政権の時の規制改革担当の大臣である。その主義主張は一貫しており、政治姿勢は真っ当だとも思われる。しかし、公務員制度改革の核心は天下りの廃止だ。この点に斬り込んだ場合に官僚の反撃はものすごいものになる。はずである。だがそこまでの逆風を受けているという様子は無い。小沢一郎はあれほどまでの逆風を受けているというのにだ。それは何故なのか。ここから先はまったくの推測であり妄想でしかないレベルではあるが、渡辺喜美が自民党を離れてみんなの党を小さい規模で成立させることの意味は何なのかということを考えてしまう。非自民といいながら政界に一定の小規模集団がいれば、小選挙区や参院の一人区では非自民の票を割れさせ、結果的に自民をアシストする役割を担う。このことは実は大きい。

 維新は橋下徹が大阪府知事時代に始めた動きだ。彼自身は当初から自民だったわけではない。だが維新が政党となり、幹事長として松井一郎が加わった辺りから様相が変わる。松井氏はそもそも自民党大阪府議団の政調会長だった人だ。昨年には自民党で無役だった安倍晋三と橋下徹が密会し、安倍晋三が維新に入るのかとまで言われた。

 その維新とみんなの党は合併に近いところにまで行きかけた。それに反対していた渡辺喜美を党代表から外してでも合併するべきと動いていた江田憲司が強力に押し進めていた。だが土壇場で橋下徹の慰安婦発言問題が起こり、合併の話は完全に消えた。あの発言は何故行なわれたのだろうか。これも完全に妄想の域だが、僕は両党が合併すると困ると考える人がいたのではないかという気がしている。今回の参議院選挙で参議院の過半数を押さえたい与党にとって、両党の選挙協力によって自民の議席が減るのはまずかったはずだ。そしてあのまま選挙協力が進めば、今回の選挙で一種のブームがおこるかもしれない。野党の中で突出する議席数を確保されたらまずい。1人区で自民が負けるようなところも出てきただろう。それは何よりマズいのだ。そのためには両党が合併できなくなるはっきりとした理由が必要になる。慰安婦発言は合併の障害としては完璧だった。その発言を意図的に橋下徹が行ない、それを受けた渡辺喜美が堂々と合併を拒否する。こんなシナリオがどこかで書かれたとしても何の不思議も無いという気がする。

 斯くして弱小野党が乱立し、自民が相対的に浮上した。けっして自民が支持されたわけではない。実際に支持されていないと思う。だが、結果として大勝した。これは丁寧な政策の訴えによるものではなく、事前の政党分断工作が着々と進んだ結果なのではないかと思う。

 もうひとつ気になっていたのは、みどりの風の存在である。今回の参院敗北によって、議員は亀井静香と阿部知子だけになった。落選した谷岡郁子は「みどりの風はその役割をたぶん終えた」と話している。役割とはいったいなんだったのか。政策的にはほとんど変わらない生活の党とどうしても合流することなく政党として参院選まで引っ張ってきて、参院選が終わった時点で「役割を終えた」と言われたら、なんの役割を担っていたのだと突っ込みたくなる。結局野党を分断することだけが役割だったのかと穿った見方をしたくなる。生活の党の比例得票が943,836票、みどりの風の比例得票が430,673票。合計すれば1,374,509票だ。社民党が1,255,235票で1議席を獲得しているということは、生活+みどりの風だって137万票あれば1議席は確保できただろう。なのにしなかった。なにをか言わんやである。もちろんこれも多分妄想の一種でしかないことなのだが。


 選挙結果が出た今朝、TwitterのTLで目立ったつぶやきがあった。それは緑の党から比例区で出馬した三宅洋平の得票数についてだ。「当選:ワタミ 渡邉美樹 104,176 / 落選:三宅洋平 176,970」というもの。得票数が多い三宅洋平が落選するのはおかしいということなのだが、これは間違っていると思う。比例代表の個人名はあくまでその政党の中での順位を決めるものであって、個人名を書かずに政党名を書いている有権者もたくさんいるのだ。ワタミの当選は自民党とだけ書いた人の数によって決まったものだというのが正しい解釈だといえよう。三宅洋平と書いた人はたくさんいるけれども、緑の党と書いた人が圧倒的に少なかったということである。

 要するに、比例区で出るなら大きな政党からということになるのだろうか。ルール的にはその通りであって、それに憤っても仕方が無い。ただ、こういう結果を見せつけられると寄らば大樹の陰という雰囲気が浸透していくんじゃないだろうかという気がする。政党で125万票が必要なのだとしたら、それを取れる政党でなければならない。より巨大な政党であればあるほど、個人の集票力が低くても当選しやすい。それは大きな会社の方が安定するというのと似ているし、不況の20年を過ごしてきた日本で、大きな組織に擦り寄っていく気持ちが高まったとしても不思議は無い。政治の世界はこれまであまり若い世代に関心が薄かったから、選挙の結果から若者の気持ちに影響を与えるということはこれまで少なかっただろうが、三宅洋平というミュージシャンの選挙フェスという戦法によってこれまで選挙に関心をあまり持たなかった若い世代にアピールしたというのは結構な事実だろうと思う。そしてその結果を受け、選挙制度のことをあまり知らない人たちが「ワタミより得票数が多いのに落選って納得できない」と騒いでいる。これが、落胆につながっているのは間違いないと思う。大切なのはこの落胆が再びより深い政治不信につながるということをどう避けるのかということなのではないだろうか。社会に生きる上で政治は無視できるはずも無い。だから意識無意識を超えて関わらざるを得ないわけで、そのときの関わる態度として、「寄らば大樹の影なんだな。いきがっても仕様が無いんだな」となってはマイナスだし、「政治つまんね。無駄なだけだからもう二度と選挙なんて行かない」ではもっとマイナスだ。やはり今回の現実を受け止め「次に勝利するにはどうしたらいいんだろう」というバネにするような、そんな気持ちになっていってもらいたいし、そうなるべきであって、今回若い有権者たちを政治に振り向けた三宅洋平という人にはその責任があると思う。それは当選して議員になるならないを超えたものであって、それが出来るのであれば議員ではなくとも政治家としての資質十分ということになるだろうし、それが出来ないのであれば、そもそも政治家の資質もなかった人ということになってしまう。そこがひとつの試金石になるんだろうし、今後の彼の活動は注目していきたいと思っている。あ、そもそも僕は彼に票を入れたりしてはいないんだけれども。

 長くなってしまったが、言いたいことはもっともっとある。でも、仕事もしなきゃいけないし、今回はこの辺で。

もやもや

 どうもこうもいろいろなことが立て込んでいて、仕事にならん。いや、仕事にならんというのはウソで、急ぎの割込み仕事をしているうちに、ルーティーンの仕事が疎かになるという、そして疎かになってペースが落ちることによって「もう取り戻せないなあ」という一種の諦め的な何かが心を支配するという、ある意味の悪循環に陥っているのである。

 こういう時はどうするのか。一旦リセットするということだろう。リセットといってもそんなに大げさなことではなくて、「ペースが落ちている」という意識を一旦捨て去るということ。そしてルーティーンをきっちりやっていた頃に戻るように、それを淡々とやるペースをとり戻すということだ。それはこのブログもそう。メルマガもそう。しばらく間が空くと「ああ、申し訳ないなあ」という気持ちになる。だがそれは誰に対する申し訳ないなのだ?有料でメルマガをやっているのならともかく、まだ誰に迷惑ということでもないはず。だったら、自分で自分の気持ちに整理をつけて、また始めれば良い。そうしてペースを取り戻せば良い。というか、そうやって取り戻していくことも織り込んだ上での、ペースなんだと勝手に理解すればいい。

 というわけで、モヤモヤした気持ちをはらすために、また再開します。別に「中断」とか「ブログ休止」とか言ったわけじゃないから、再開っていうのもヘンなんだけれども。

長男が立ちました

 今月に入って、その兆候はあったのだ。なんか立ちそう。嬉しくなって僕は息子(1歳と半月ほど)が僕の手につかまり立ちをする時に、なんとか立たないものかとそーっと手を離してみたりしていた。

 そんな姿を見つかって、奥さんにやんわりと諭された。まだ小さな子供なのだから、自分で立つのが恐いんだと。自分のタイミングで立つならいいけど、お父さんに手を離されて転んだりしたら余計に恐くなって、トラウマになっちゃうよと。そりゃそうだ。僕が悪かった。例えが適切かどうか分からないけれど、バンジージャンプみたいなものかもな。好きな人は全然平気そうだが、僕は絶対にイヤだ。それを父親に無理矢理飛ばされたら、僕も父親のことが嫌いになるかも。

 嫌われたら困る。それは困る。今のところお父さん大好きな感じの息子なのだ。嫌われたら生きていけないよ。

 というわけで、あまり無理には立たせようとしなかった。だが昨日、仕事から帰宅していつものように戯れていたら、僕の腿につかまって立っていた息子がそーっと手を離した。自分からだ。そして5秒、10秒、20秒と結構長いことバランスを取ってこっちを見ている。お父さん(僕)はちょっと呆然。新種の鳥を見つけたらきっとこんな感じなのかもしれない。驚くというより、なんだそれというような、感じ。でもそれが本当の気持ちだった。

 奥さんによると、昼間に1度立ったのだそうだ。でもその時は1度だけ短い時間立っただけで、その後はずっと立つ素振りも見せなかったのだと。それが僕が帰って来て早々に20秒以上立ったり、それを何度も繰り返しているのは、きっとそれまで立たせようとしていたお父さん(僕)に見せたかったのではないかと。そういえば立ってる時に見せる笑顔はどことなく誇らしげなドヤ顔だ。こんな顔も出来るのか。立てるようになったのと同時に、こんな顔も出来るようになったんだと、嬉しいような不思議な気持ちが沸き上がった。

 立つのはひとつの通過点だ。特別な事情が無い限り、普通は立つ。これまでも寝返りを打ったり、はいはいしたり、つかまり立ちをしたりしてきた。これからも歩くし、走るし、泳いだりもするだろう。そういうことのひとつの通過点に過ぎないのは分かっているけれども、ひとりで立てるようになるというのは、なんか特別な感慨があるような気がしている。それは、嬉しさと、反面の寂しさでもある。成長していくというのは不思議なものだ。

 かつて大学に行くために実家の福岡を離れたとき、僕は将来何らかの出世か成功をして、それから故郷に錦を飾ろうと考えて、休みにも帰省せずにいたりした。未だ錦を飾れてはいないが、今はちょくちょく帰省するようにしている。父が癌に倒れた時にその考えは間違いだと気付いたからだ。親に出来る孝行は、顔を見せることくらいしか無いし、それでいいのだと気付いた。入院している父の病室に行き、日中は仕事をしている実家の家族の代わりに僕が日がな一日病室に詰めたりしていた。詰めたといっても特に何もすることは無く、ただ病室の一画で本を読んだりしていただけだ。でも、それで良かったんだと思う。1週間ほどの帰省の間、僕はわりとずっと病院にいたような記憶がある。

 それが1993年のことだった。翌年には父は他界した。孝行はできたんだろうか。でも最後の1年の間、弱くなっていく父の姿を見たりしながら、僕は父子のつながりを深められたような気がしている。孝行ができたかどうかは、もうどうでもいいような気もしているのだ。

 それから20年後の1993年に、僕が父親として息子の自立を見ていろいろ考えている。不思議な話だ。まあ自立といっても自分の足で立てるようになったというだけのことではあるけれども。
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