【311という数字】スタンドバイミー【画像】
911という数字が歴史に名を刻んで、約10年
そして、311という数字。
歴史に残る「数字」に新たに「311」が加わったあの日のことで、
今年のブログの書き納めとさせていただきます(`・ω・´)
あの日、何をしていましたか。
僕はあれですね。三限授業でキャッホオオオオオオオオオオオオってなっていた時の、
臨床医学の授業の時でした。
前のクラスの女の子がケータイを出して、みんなに知らせてくれたのがことの始まりでした
「東北、宮城県沖で震度7」
最初に入ってきた情報はそれでした。震度7。
もちろん、最初はみんなも僕も「へぇ」ボタン並みの意識の薄さでした。
帰ってみると、巨大津波が到達して間もないころでした。
焦る声と怒号が聞こえる画面に、見たことのない場所が写っていました。
そこで初めて、それが「津波」というものだということ、それがとても真っ黒で、
おぞましいものだということの認識をすることができました。
「出来ることが無いか」なんて初めは考える余地もなかった
九州だし、できたとしてもすぐに動くものではねーだろと思った
そこで「インターネット」の活躍です。
アメなうでも拡散RTが沢山流れたり、安否を確かめたりをしていて
僕も、関東や東北地方の皆さんの安否が知りたいと焦り出したのは、
そのニュースからちょっと経った頃でした。
ひとまず、ネットで知り合った皆や、地方へ就職したリア友の安否が分かり、
それだけで泣きそうにホッとしたのは言うまでもありません
何よりも、心を動かされたのは、ツイッター。
「繋がること」の意味が分かるのは、その日からでした。
その日は金曜日でしたので、あとはひたすらツイッターに入り浸って
自分も医療事務生の端くれですから、災害保険のこと、薬の種類のこと
病気のことを教科書を床に散乱させて、疑問形TLにお答えしたり、
拡散を流したりしていました。ガセネタ騒動もいろいろあったけど、
信じるか信じないか、助かったか助からなかったか、ためになったかならないかは、
最終的にはツイッターを使う自分自身なんですよね。
1日目は「情報回せ早く!」
2日目は「ヤシマ作戦なう」
3日目は「枝野寝た・°・(ノД`)・°・」
4日目は「ちなみに私は○カップです」
5日目は「石原黙れ」
6日目は「ありがとウサギ」
ええ、色々あったものです。
何より、悲しい壮絶な自然災害の中にも、たくさんのドラマがあって、
日本人ツメタスギワロタと言われていた僕らの人間性が、まだまだ未来ある
希望だったことも再確認できたというのもありますね。
震災後、そういった涙ぐむエピソードをまとめた
「play for japan」も、一躍話題となり、今では本も出版されています
http://prayforjapan.jp/message/
「世界が祈り始めた日」
今日まで、震災に関する事柄が数えきれないほどありました。
僕がお伝えしたかったのは、それらの背景が詰め込まれた一つの「ファイル」です
震災の日に、僕は「忘れてはいけない」という題名のデータフォルダを作成しました。
そこには、メモに残されているエピソードの数々や、震災に関する画像が残されています。
バックアップ済みです←
数ある画像の中から、いくつかの画像を、アップしたいと思います。
ここからは自己責任でお願いいたします
ONE LOVE / 上を向いて歩こう [SING OUT from JAPAN] 3.11,
えー・・・・
他にも色々とございますが、厳選した中での写真です。
あと100枚近くありますがさすがにUPできねえっす
これが現状なんだなと、人も街も、あと何年かかるか分からないけど
けど、それが「街が復興しない」理由には絶対ならないわけで、
どんなに時間がかかっても、100%じゃないけど、失ったものは取り戻していけると思う
来年からまた、頑張りましょう。
日本も、僕も。みんなで。
今年一年ありがとうございました
来年もよろしくなお前ら!!!!