明け方鳴り響く緊急事態の携帯音。
大雨警報で避難しろと言う後。
この音は記憶にある。
3年前の西日本豪雨の時に経験した音。
あの時は父が肺炎になってて会いに行こうと思ってたけど新幹線が止まってしまい、7/8の始発で帰ったんだった。
地元に着いた時の地元の空気は重く、低気圧を感じさせた。
病室へ着いた時、父の酸素が水で沸かしてあるものになってて一瞬で悟った。長くない。今日逝くかもしれない。
お父さん、私よ!来たよ!
と言う問いかけに、お父さんが目を開けて
おう!
とだけ言った。
これが最後の会話。
母や兄に伝えるもピンときてない様子。とりあえず東京にいる姉に電話して、ヤバいから帰ってきて。と言った。
その後、父の兄に電話してヤバいことを伝える…父の会社の人にも会いたいと言ってたので(父は絶対会いたくないと言ってた)最後だからあって欲しかったので連絡した。
多分、わたしが死んだ後お父さんに怒られそう。
勝手なことしやがって。
と。
なぜか始発で帰ると豪語してた兄(大阪在住)なぜか昼前に到着。
姉は夕方前に到着。
私は父の部屋で一日中過ごす。
耳の掃除してあげたり、顔拭いてあげたり。いつも通り。
夜になり、兄が明日仕事だから帰ると言い出す。
私は長くないからいてあげてほしいと言ったけど聞かずに帰った。
22時頃になって母と姉と姉の子供も帰宅。
私だけ病室に残って父といっしょの時間過ごした。
父が元気な時、母と私と三人でカラオケに行った時よく歌ってた、ガロの学生街の喫茶店を流しながら。色々話した。
いよいよ脈が乱れてきてそんな時に大阪に帰った兄が許せなくて、電話して、脈が乱れてるから三原に戻ってこい…今日逝くと思う。
と電話。兄、姫路まで行ってたけどトンボ帰り。
皆で再度病院へ集まる。
日付が変わって0時20分頃潮が引くので、その時刻過ぎたら一旦皆家に帰ろうと言うことになった.
時刻過ぎても父は生きてるので一旦私以外は自宅に帰宅。
私は簡易ベットで横になり父の脈の音を聞く。
AM1時を超えた頃から頻繁に脈が乱れた。
様子を見にきた看護師さんに
まずいですか?
と聞くと、
そろそろ家族を呼んであげて下さい。
と言われた。
ははにでんわして、20分ほどで皆到着。
AM2時過ぎ、心臓の音がピーだと言った。
医師が来て眼を見て、ご臨終です。
と言った。
この時期の豪雨は、本当私にとっては嫌な記憶しかない。地元の川が氾濫したとニュースで見た。
あの日もそうだった。
豪雨が嫌いだ、とてつもなく嫌い。
お父さんが亡くなってから、私は子供を亡くし子供産んだよ。
次男は、それはそれは良く怒る子で、いつもお父さんがとても可愛がってくれた長男と、こわ〜い。と笑いながら育児してるよ。
次男は、怒りん坊だったお父さんの生まれ変わりかなと思うくらい怒るよ。
お父さんが亡くなってから、七月が嫌いになった。
偶然にもお父さんが亡くなった一年後の7月に子供を死産した。
更に七月が嫌いになった。
でもそれでも悪いことばかりじゃないからやっぱり前を向いてだけ歩くよ。
この豪雨だけは本当に嫌いです。

