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8月初旬の伊勢~津への移動で、初めて愛車のETCを使用したのだが、名古屋~沼津間で、2度目のETCを使用することになった。
伊勢~津をいっしょに巡ったマイミクの天さんから、金華山宮城県と東北でのご錘魔ノ誘われたからだった。
天さんとは共通の友人が複数いたものの、最初の出会いは伊豆のご錘魔ノ誘っていただいたのが最初だった。
伊豆でのご錘魔ヘぼく個人になんらかの関係があったようなのだが、どう関係があったのかは、はっきりしていない。
ぼくの先祖、初代平氏横江、平時景横江時景ときかげ/1144~?は『横江氏系図』『尾張群書系図部集下』によれば、「永歴元年1160、伊豆国より尾州愛知郡井戸田現名古屋市瑞穂区井戸田町に入った」とある。
平安時代のことだが、このことと関係があるのかもしれないと考えてきた。
それから数年、時間が空いて、8名が参加する結果になった伊勢~津のご錘魔ナも誘っていただいたのだが、このご錘魔ヘ結局、ぼくにもっとも関係の深いご錘魔ナあることがわかった。
誘っていただいた天さん本人にも、ぼくが彼女にぼくの先祖のことを説明するまでは、なぜ、ぼくだったのかは分っていなかった。
社会的にはまったく関わりの無い天さんに、なぜ、ぼくの情報が出てくるのかは今でも分かっていないのだが、今回、たまたま白石蔵王駅宮城県から東京駅まで帰りが一緒になった新幹線の中で、天さんが弁財天の性格というか、役割を担っていることを自覚していることを聞いて、ぼくと天さんの関係が少し観えてきた。
なにしろ、ぼくがmixiで運営しているコミュニティーのひとつが弁財天を中心としたものだったし、その弁財天を祈り出したという伝説のあるのが、もうひとつ運営しているコミュニティーの中心人物、役小角だからだ。
ふたつのコミュニティーはまったく別個に立ち上げたもので、立ち上げてから、役小角と弁財天の関係に気付いた。
そして、いっしょに巡った伊豆の複数の錘ミに祀られていたのは弁財天と関係のある龍垂ェ多かったのだ。
9月2日am9:30快晴バイクで出発し、宿泊予定の沼津に向かった。
短時間で沼津に到着するために20年ぶり以上で東名高速道路を利用する事にした。
東名高速から離れている間に第二東名、伊勢湾岸自動車道、名古屋市内の複数の高速道路が建設され、非常に複雑なことになっており、どのコースが最短なのかまったくわからない。
しかし、バイクなのでカーナビとは無縁http://www.telephone-hour.info/の生活だったが、iPad導入で一気に便利になった。
iPad対応アプリ「なびすけ」により、大高の名古屋南JCTから伊勢湾岸自動車道に上がり、豊田JCT豊田市で東名高速に乗り入れ、沼津に至るコースを選択した。
約3.5時間の道程だが、第二東名利用の指示は無かった。
さらに、iPad購入にともない、1年間無料になるWi-Fi環境マクドナルドを利用しようという魂窒ネので、事前に訪問先周辺のマクドナルドをチェックしておいたが、今回はテストしたのみで、PlayStation対応電子地図で事足りた。
浜名湖サービスエリアで昼食を摂り、東名から沼津で降りて、沼津のカプセルホテルの場所をチェックした時にはpm2:00になっていた。
カプセルホテルに駐車場が無いので、そのまま、バイクが無料駐車できる場所を探しに南に位置する中央公園に向かった。
中央公園は伊豆の清流・狩野川かのがわに面しており、体験的にバイクの無料駐車ができるスペースがありそうだと感じていたからだったが、地図で場所をチェックしているうちに、狩野川に架かる中央公園内の橋のすぐ脇に「水錘ミ」とあるのを発見した。
愛車を守ってくれそうだし、ホテルまで620mあまりの距離で、遠くはない。
愛車でそこに向かうと、水錘ミは表通りから入る「川郭通り」と呼ばれる扇型の路地に存在することがわかった。
現在、扇型は東海道360号線と153号線の交差する大手町交差唐Sにして狩野川に向かって開いた270mほどのお洒落な石畳の路地になっている。
公園の案内板により、この川郭通りが旧東海道であったことがわかった。
そして、中央公園はここ沼津が城下町となった元になる沼津城の本丸跡地であることがわかった。
153号線から360号線に向かう川郭通りに入ってゆくと、通りの上をあゆみ橋が通っており、その橋下に自転車やスクーターが駐車されているスペースがあった。
しかも橋下で雨も防げる絶好の環境だ。
この日は日曜日で、駐車スペースは空いていたが、この駐車場は通勤の人たちの自転車置き場にもなっているらしく、翌日からは満車になったが、退社時間を過ぎると、空きができた。
駐車場をチェックして橋下を過ぎるとすぐ、右手南の狩野川堤防沿いに石鰍フ上に鰻の寝床のような社地があり、その片隅に銅板葺流れ造素木の祠が不釣り合いなほど大きな石鰍フ基壇の上に祀られていた写真左。
鳥居は無く、石段は3段のみ。
樹木はシロモのような樹木が2本延びているのみで、祠の隣にはアルミ製の納戸がある。
境内中央を縦断するように幅2mほどのコンクリート舗装の参道が本殿写真中に向かって延びている。
地面部分には全面に砂利が敷きつめられている。
境内に面したコンクリートブロックの壁をよじ登ってみると、社地はちゃんと囲いなどで仕切られており、社頭の3段の石段からしか境内に入れないようになっているのがわかった。
コンクリートの塀越しに向こう側を見下ろすと、狩野川沿いの堤防はコンクリートで護岸された公園スペースの続きになっており、下流方向に公園内から延びるあゆみ橋の掛っている風景を望むことができた写真右。
カプセルホテルは一般に、いちどチェックインしてしまうと外出できないので、陽が落ちるまで、狩野川沿いの錘ミをチェックしながら、駿河湾に向かうことにした。