この記事を読んで思ったのです。

 

収入に限らず、私はブレーキをとても強く踏んでいるなと

 

ブレーキを踏んでいるからこそ、守られた経験があって

逆にやってこなかったこともある。

 

でも、何かに挑戦するには、いちいちブレーキを踏んで、石橋を叩いて渡らないというのはもったいない習慣だと思うのです。

出来ない自分を責めているともっとブレーキを踏んでしまうかもしれないし、その習慣を強化してしまうかもしれないけれど

 

ブレーキを踏みたくない私がいることも、自分に承知しておいてほしいのです。

 

だから、ブレーキを踏んでしまった事象が起こった時に

 

衝動的に、つまり今までの習慣をそのまま無意識にブレーキを踏んだのか

 

それとも

 

ちゃんと今考えられる範囲でブレーキを踏む「決断」をしたのかを区別したいです。

 

 

なんでも、ブレーキを踏まないのがいいなんて、今の私には口が裂けても言えません。

 

だからドが付くポジティブの人と一緒にいると溺れてしまうわけで

 

 

晃一さんがいう、自分の中にいる赤ちゃんの自分がブレーキを踏んでいる場合と

親が「知らないおっかない鬼」でブレーキを踏んでいる場合と

絡み合い方が複雑だと、見極められないかもしれないけど

 

とりあえずは赤ちゃんの自分を癒していこうと

 

そう思った記事でした。

 

 

もし、できるなら

 

 

親の中の「知らないおっかない鬼」も後々、癒してあげられるといいなぁ~