日本のスタッフ達 ’73 | よくいうかいえ ( Cahier)

よくいうかいえ ( Cahier)

古布リメイク作家のつれづれ日記

1973年 パリ鈴屋に出向して1年、秋のコレクション・ショーを終えた頃
ボスが日本人スタッフをドーヴィルへドライブに連れて行ってくれました。




ボス・シャンゼリーゼ店長・サンジェルマン店長・会計士・ディレクター・デザイナー
そして、現地採用のアタッシェ・ド・プレス総勢7名です。


 よくいうかいえ(Cahier)

ドーヴィルは高級避暑地で映画「男と女」の舞台となったところで
白砂の美しい海岸が広がっています。

とても皆はしゃいだ様子です、一体誰がムードメーカーだったのでしょう?
サングラスを掛けた女性はとても古風なスタイルで決めていますが
フランス語を流暢に操り、外部との交渉に長けていて真面目、熱心。

細いのにそれはそれは大食漢でして、グルメであり 度々パリの
美味しいレストランへ案内してくれました。

「キャビアの正しい食べ方」を訓えてくれたのも彼女です。
フライド・チキン専門店へも連れて行ってくれ、ジェアンという最大級の
ボリュームの盛り合わせを注文するのが常でした!

それを手づかみでモグモグ、ペロっと平らげます。
勿論、お喋りしながら皆に気配りしながら・・・お見事!

自己主張する時は、全くのフランス人と(それ以上かも?)同等に激高しますが
実はとてもナイーヴなCoCoRo を持った女性でした。

(初めて彼女がオフィスを訪ねてきた時の事を思い出しました。
ご覧の通り、全くの日本人なのです。
彼女も私を見て日本人と分かるでしょうに

流暢なフランス語で話し掛けてきました。
慌てて、言葉が出て来ない状態が暫く続いて、やっと日本語に切り替えてくれて
ボスのところへ案内出来たのです・・・ スノッブ!と思いました。)

2004年に私がパリへ行き、クリスティーヌのアパルトマンにステイした時に
クリスティーヌから知らされたのは、彼女の突然の死。

それまでの空白の期間が長く、当時の人々との連絡がとっくに途絶えており
懐かしさが蘇った頃には、そんな切ない訃報を聞く事になっていたのです。

何にも分からない状態でした。
パリにいるのに何もしないでいるのがいたたまれず
私一人当時尋ねて行った事のある彼女のアパルトモン近くにあるカフェで
パスティスを注文し、彼女の冥福を祈りました。

そう、お洒落に関しても影響を受けています。
例の「モード・フリゾン」のブーツ・オーダーの下り
彼女が履いているツートンの素敵なブーツに憧れて
特注するに至った訳です。
(その件については、こちらを ・・・)


いつの日か、素敵な彼女について語りたいと考えていました。

懐かしさを抱いたまま、放っておくともう間に合わない事があります。
この苦楽を共にしたメンバーの中で、もう一人の訃報も聞きました。

自分ひとりの感傷かもしれませんが、
素敵な当時を綴って行きたいとしみじみ思うのです。