やはりその基となった渡航の経緯をも綴ってみたくなった。
鈴屋入社からその軌跡を辿ってみようと思うに至るのは
述懐ツールとして最適のブログに馴染んだからだろう・・・
暫くまた、お付き合い下さい。
入社2年目に受けた海外出向試験に合格した。
羽田空港でデザイナー仲間に晴れやかに
見送られた先は、Paris。
1972年 私、結婚したての24歳。
夫は同時期にロンドンに駐在員として出向し、
「ロン・パリ」状態でヨーロッパ・ ドーバー海峡を挟んでの別居生活となった。
間もなく、鈴屋がシャンゼリーゼ通りのアーケード(Gallery Les Champs)にブティックをオープンした。
その店長として夫はロンドンからパリへ呼び寄せられ、
最も美しいと言われるアレキサンダー橋沿いのアパルトマンで共に暮らすようになった。
下の画像の上2枚が僅かに残るシャンゼリーゼ店の様子である。
<Champs Elysees>et <Saint German des Press>
![よくいうかいえ(Cahier)](https://stat.ameba.jp/user_images/20110905/12/kinuawase62/1c/da/j/o0335048011463850209.jpg?caw=800)
その後、破竹の勢いでファッション・ショーを開き、欧米メディアに次々と取り上げられ
サンジェルマン・デ・プレに2号店をオープンさせたのである。
オープニング・パーティの蒼々たる顔ぶれに驚いたものである。
高田賢三氏・三宅一生氏・山本寛斎氏・岸恵子氏・松本弘子氏(モデルの)・・・
パリのセレブが一同に!
若かったデザイナーの私はそれはそれは緊張すると同時に
成長し続ける会社の一員として非常に誇らしく感じたものです。
<Lyon>
![よくいうかいえ(Cahier)](https://stat.ameba.jp/user_images/20110905/12/kinuawase62/fb/b3/j/o0410048011463851323.jpg?caw=800)
その後、南仏のリヨンに大きな店をオープンさせる。
特に美食の地であり、出張の愉しみが増大した事は勿論である!
<Saint Tropez>
![よくいうかいえ(Cahier)](https://stat.ameba.jp/user_images/20110905/12/kinuawase62/40/d0/j/o0340048011463851322.jpg?caw=800)
そして、サントロペにもブティックを作ります。
もう、スタッフは大喜びで開店準備を手伝った後は、海でリラックス。
殆ど、プチ・バカンスに出掛けるような具合でした・・・
(サントロペでは、開店以前にリサーチと称して暫くバカンス気分で滞在し、
お洒落して遊びふけった思い出があり、後ほど当時のファッションの
紹介を致します。)
<New York>
![よくいうかいえ(Cahier)](https://stat.ameba.jp/user_images/20110905/12/kinuawase62/fe/a5/j/o0340048011463851324.jpg?caw=800)
さて、上の写真は海を渡ってニューヨークに1週間のリサーチ旅行です。
本当は大きなショーや展示会の後の”ご苦労さん・ご褒美旅行”を
ボスがプレゼントしてくれたのです。
ニューヨークには「Les Hall」という鈴屋のブティックがあったので
ご挨拶と交流を含めて、度々 ショップに通い、フランス人のスタッフの
案内で街を歩いたのです。
左下の建物の写真は、もう「ウェストサイド・ストーリー」そのものですね!
アレコレ、逸話が蘇ってきますが、写真もこの程度しか無いので以上。
デジカメもインターネットも携帯電話も無い時代です、
それはそれは今では信じられないエピソードがあります。
中央にある私の過激(?)なスタイルが災いしたという
”フライト搭乗拒否事件”がありました・・・
またの機会に致しましょう。
取り合えず、40年前に鈴屋が各地に開いた店舗の紹介でした。
そうそう、香港にも店があったのですが、私は何時でも行けると思っているうちに
高度成長期にかげりが出始めて止む無く店舗の閉鎖が続く中
香港への出張を逃してしまったのである。
未だにチャンスが巡ってきません・・・
プライベートで行けばいいのですが、どうもその気になりません。 ブツブツ・・・