野に咲く花から | よくいうかいえ ( Cahier)

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古布リメイク作家のつれづれ日記

         百花繚乱、どの花もそれぞれ可憐で優美であでやかでと美しさを表す言葉は数知れず・・・

         花屋さんで買う花は、白くて凛としたカサブランカやカラーが好きだが、野に咲く花はコレ。

         「金鶏草」という。 しばしば土手や河原、空き地に群生しているのを見た事があるでしょう。


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         子供の頃、生まれ育った芝浦の自動車修理工場内に、あつ~い夏 風にそよいでいた

         「菊いも」という、余り可憐でない名前の花も良く目にする。

         「金鶏草」に良く似ているが、中心は茶色くてまるで、ひまわりのベビー版という感じである。

         この花の群生を見ると、必ず蘇ってくる子供の頃の原風景とCoCoRoに描いた憧れ。

         それは、”自分の好みの家できままに暮らす事。” 

         雑誌を繰っては、こんな家が良い、こういう風に暮らしたいと哀しい位に憧れを募らせていた。

       

         家族8人で片寄せあって暮らす芝浦の社宅・ 東麻布での貸家生活・狸穴での持ち家・

         親が2階に作ったアパートで3回移動・神宮前のマンション・たまプラーザ団地暮らし・

         子供を伴って移り住んだ伊豆高原の家・・・途中パリで4回のアパルトマン生活。

         そして、再びたまプラーザへと10回目の「住み替え」である。

         ”好みの家”は伊豆高原で一応達成したと感じたのは、丁度40歳を迎えた春であった。

         それでも、この家がおかしくなってしまう、閑静な環境が破壊されてしまうという
   
         不穏な夢を何度見たことか。 それ位家に対する執着が強いのである。


         そして、”きままに暮らす事”も取り合えず叶った今、 この花を見ると蘇る「これが、

         子供の頃に思い描いた事」 なの? お蔭様で、そうなって感謝して生きていかなくちゃ。 

         がしかし、煩悩に支配されている自分は、目の前ある2軒の家の問題に圧迫され過ぎて

         いるようだ・・・

         

         昨夜、この家に移り住んで半年、暖かくなったので初めてベッドに横たわって本を読んだ。

         読書は通常、日中に店番(というのも余り似つかわしくない程に、営業は成り立っていない。)

         しながらするものなので、夜ベッドで読書するのが、初めてなのである。)

         

         田辺聖子著「夢の櫂こぎ どんぶらこ」 田辺さんの大好きなぬいぐるみ達が擬人化して

         丁々発止のやり取りを繰り広げる愉快なエッセイ集である。

         其の中で、ギョっとした事。    そのまま引用します。

         ・・・(人生の目的って、一つずつ、荷を軽くしてゆく事かもしれない)なんて思う。

         人生の出発時点では重いリュックを神サマに背負わされ、もう負えません、と悲鳴をあげると
 
         <アホか、ゴールまでいかなしょうないやんけ!>と神サマにおしりを叩かれるが、

         (なぜか神サマは大阪弁である)ありがたいことに先にいくに従い、一つずつ荷を落としていける。

         才能や出世欲や美貌のお荷物を。・・・・(もちろん最後まで重荷を負い続ける人もいるけど)

         愛するものとの別れも、人生の荷を軽くすることなのかもしれない。・・・・・


         家の問題を重荷とは思っていないが、煩悩にうごめくといつまでも荷を落としているようで

         CoCoRo は軽くならないのかもしれない。 と思うに至った。


         野に咲く花を見て、感じた事である。




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