今日、以前から噂されていた、朝倉未来のストリートファイトに勝ったら1000万の企画が始まります。

朝倉未来自身、元々プロ格闘家であって、以前からプロ試合は行われていたけれど、今回は試合というより、喧嘩。

ストリートでのガチンコ殴り合いが舞台との事。

ちなみに元々これ自体、朝倉未来自身が企画したものだと思ったら、どうもABEMAではこの1000万企画というのをやっていたらしいんですね。

まぁ、もちろん本人の朝倉未来もあれですけど、企画するABEMA自体もどうかと思いますけどね・・・。

 

ABEMA本社といえば、渋谷は宇田川にあるABEMAタワー。

センター街の井の頭通り側をまっすぐ行った先にあり、自分も営業でちょくちょく来ることがあります。

んで、その渋谷センター街って言ったら、新宿歌舞伎町や上野アメ横と次ぐ、都内でも治安カーストの常習場所でもあります。

しかも2020年での町別の犯罪発生率だと宇田川町が歌舞伎町を凌ぎ、新宿3丁目に次ぐ2位なんだとか。

コワいですね~。

最近はコロナで渋谷は滅多に行かなくなりましたが、行きつけの立ち飲みバーやクラブに通ったりしていた頃は、確かに頻繁に路上で急に怒鳴り散らしたり、取っ組み合いとかありましたね。

わざわざ治安の悪い所に腰を据える放送局。

とすると、喧嘩の本場、渋谷が提供する喧嘩決戦・・・っといったところでしょうか?

 

で、このABEMAの出資元ってテレビ朝日なんですね。

テレビ朝日といえば、親元は僕ら大好きおなじみの朝日新聞ですね。

つまり、この1000万企画の大元の大元を探り返せば、朝日新聞ということなんですね。

まぁ右翼の人がここまで見た時に何を思うかは、特に重要ではないですが・・・。

 

そんな僕ら大好き朝日新聞の傘下、ABEMAのこの企画。

ストリートファイト1000万に僕は疑問を持つのです・・・。

今まで行われてきた1000万円企画は、たとえば亀田兄弟とボクシングや、朝青龍と相撲を取ったりとか、いわゆる素人vsプロでそのそれぞれのスポーツ競技で賞金を懸けてやるものですが。

今回はそういったものとは全く違いますね。

ストリートファイト、いわゆる普通の殴り合いの喧嘩です。

なぜ、喧嘩の取っ組み合いを賞金で賭け、そしてそれを放映するのでしょうか?

 

ボクシングや相撲だったら、まだわかります。

これらは競技であり、スポーツであり、格闘技です。

すなわち、暴力ではありません。

スポーツ競技には常に安全と保障がされています。

もちろんその中で不慮の出来事によって想定外に命を落としてしまった、というパターンも無くは無いかもしれませんが、そういう事が起こらないように全力でサポートされる。

それは試合でのサポートだけでなく、選手のメンタリティや、それを取り巻く周りのサポート、救急関係、全てが保証されたうえで行われるものです。

命の保証がされているのが、スポーツ競技です。

ですが、それを競技の枠外で戦い、殴り合う行為。

これは暴力です。

他にも、柔道や、空手、レスリング。

他にもアーチェリーやクレー射撃、フェンシングなどもありますよね。

これらは全て競技です。

ですが、これらは元々は武器ですよね。

アーチェリーは弓と矢、射撃は銃、フェンシングも剣です。

そしてこれらは相手が人間だったら、普通の戦闘であり、暴力です。

でもそれぞれにはルールが決まっています。

アーチェリーは的を射る、クレー射撃はクレーを撃つ。

フェンシングは相手は人ですが、それにもルールが決まっています。

そして重要なのは、どれも安全の保障がされていること。

そして競技として競うものであるということです。

 

では、今回のストリートファイトはどうでしょうか?

着衣OK、髪引きOK、それ以外の基本ルールなし。

しかも調印式を見ましたが、それぞれ参加者が書き込んだ誓約書の大まかなのは、「全て自己責任とする」という旨です。

つまり競技としての保証はされておらず、完全な暴力対決として成り立っている、という事なのです。

暴力というのは、いわゆる殺し合いです。

現に、出場者の中には、ほぼ「殺す」と言って出場する人もいますね。

つまり、競技やスポーツとしての殴り合いではなく、殺し合いとしての対決なのです。

 

で、ここまで来れば、なぜまずいのか、見えてきそうです。

それはつまり、ルール無の競技でもスポーツでもない、ただの暴力がエンターテイメントとして一般に放映されるということです。

映画や放送事故と違い、生の暴力を我々が身近に目にできる状況となってしまうことです。

あの企画がやらせかやらせじゃないか、そんな声もありますが、どうでも良いことです。

やらせにしてもやらせじゃないにしても、生の暴力を企画に視聴者の興奮を煽り、視聴の扇動を促すという行為が問題となることです。

まぁあの企画、やらせ感がかなり強いですけど、やらせじゃないにしても、自分たちは一般視聴の目前で殺し合いを見る事になります。

そして万が一、もし現場で朝倉未来か、または挑戦者4人がその路上に命と共に倒れる事が起きたら?

それはまた改めて我々の視聴する興奮を煽り、または我々の中にはそういった事態が起きることを、小さなどこかで期待しているでしょう。

だからこそ、ストリートファイトという、競技でも格闘技でもスポーツでもないもの。

暴力、殺し合いを観て、そしてその生の暴力、生の殺し合いに興奮や快感を求めるのです。

 

話は変わりますが、映画の話。

アメリカでハンガーゲームという映画がありますね。

ざっと簡単にこの映画のストーリーは、いわゆるバトルロワイヤルで、最後の一組になるまで殺し合いを強要し、それを国で放映するというものです。

こういったバトルロワイヤル系の映画の元祖といえば、高見広春の原作と深作欣二の監督によってできた、あの名映画、バトル・ロワイアル。

その後、バトルロワイヤル系はゲームへと移行。

代表となる、PUBG(PLAYERUNKNOWN'S BATTLEGROUNDS)から始まると、フォートナイトやエーペックスが生まれ、コールオブデューティーシリーズでもウォーゾーンというバトルロワイヤル系の派生も生まれ、今まさにバトルロワイヤルゲームは人気の真骨頂を見せています。

 

近い未来。

法改正が更に柔軟となり、殺し合いが身近に観れるものとなったら。

それは我々視聴者が暴力を、競技やスポーツを観るのと同じ感覚として、見始めるものになります。

そうなると我々は人の命や死に対して軽視し始めることでしょう。

戦後75年。

我々が戦争を生き残った人たちに教わった、命の大切さや尊さ、そして暴力から生む恨みや憎み。

ですがそれは時代と共に薄れていきました。

現代になり、暴力を企画に視聴者を扇動する番組が出来始めること。

近い将来、こういったものが更に数を増したとき、人間の本当の悪魔の姿に気づけるでしょうか・・・?

 

好きか嫌いか、と言えば、僕はこの企画は大っ嫌いです。

でも企画自体、普通に面白そう笑

 

 

 

 

自分はよくオンラインゲームをします。

主にPCで。

VRchatのようなVC(ボイスチャット)をメインとしたものも良く遊びますが、オンラインゲームのジャンルだとFPSは代表格で、その中でもリアル系FPSに部類されるArma 3はよく遊びます。

 

Arma3のオンラインサーバーで、日本のサーバーはあまりみかけず、アジア圏で特に多いのが、韓国と中国。

で、その中でも韓国のサーバーにはよく出入りして、遊んでいました。

韓国は同じアジア圏でかつ、Pingも安定していて、サーバーには入りやすく、また韓国のプレーヤーも英語や日本語が流暢な人が多い事でコミュニケーションもとりやすい。

そして尚且つ、多くのサーバーは入るためにmodと言われる拡張パックを別途ダウンロードしたりする必要がありますが、韓国ではそれの必要も無い所が多く、非常に手軽に楽しめました。

それで前までは韓国のサーバーも簡単に出入りできて、Coop(協力)プレイをしながら、遊んでいましたが、今ではどのサーバーもPing値や暗号化をして他国プレーヤーを入れないようにするところが増えています。

その訳をSteamの韓国の知り合いの一人に聞くと、どうも最近のArma3の日本人プレーヤーは民度が低く、韓国のサーバーに入るなり、差別・暴言や極端に偏った政治的な話をしてきたり、気に食わないとTK(味方殺し)をしたりしてくるらしく、マナーが悪いので出入りを出来なくしたり、プレーヤーのプレイ国を統一、ガラパゴス化したりしていました。

昔、ゲームYoutuberのオンラインゲームで韓国サーバーに凸して、竹島は日本の領土だと叫んでみる、とか悪口を言ってみる、みたいな事をして楽しんでる連中を覚えています。

 

で、じゃぁ自分は無いのかというと。

もちろんありました、そういう事言う人。

自分が日本人だと分かって「独島は韓国のものだぞ」等々言う人や、「日本人は出て行け」等という人、もちろんいました。

ですが、必ずその場に居たのは、それに対して自分を擁護してくれるプレーヤー。

正直、こちらの方が圧倒的に多いものでした。

自分に散々悪口を言う人が居ても、「kintaroさん、この人は無視してください。この人は、頭おかしい」とカタコトながらも日本語を駆使して伝えてくれる人居て、そういう人たちと一緒にプレイできる事もまた楽しさの一つでした。

中には聞く人もいました。

「俺は独島は俺たち(韓国)のものだと思ってるが、お前はどう思ってるんだ」という問いも、何度も受けたことがあります。

最初、ネトウヨ時代だった自分は真っ先に、「何を言ってるんだか。竹島は歴史的にも地理的にも日本固有の領土だ。それをお前らが不法占拠してんだろ」とヒートアップしていたことでしょうけど、もう今はそんな自然と目が閉じて眉間にしわが寄って、はぁ・・・ってなるような思考は致しません。

韓国と日本の間に生まれた自分にとって、(国籍は日本でも)竹島(独島)がどちらの領土かなどという問題は他の日本の抱える問題と比べると本当に微々たるものでしかないでしょう。

本音タイムのスタートです。

 

 

竹島が日本の領土だったとして。

・・・それで?

だから、なんでしょうかね。

仮に、竹島が韓国から日本に”返還”されて、国際的にも全てにおいて日本の領土として認められて、それでそれが何なんですかね。

そしたら、自分らには何か得はあるんですかね?

貧困層の手当が増えますか?

ガソリンが安くなりますか?

高速道路が無料化されますか?

消費税が減りますか?

待機児童が無くなりますか?

地域格差が緩和されますか?

コロナ新薬が開発されますか?

少子高齢化が減速しますか?

子供からお年寄りまで、経済的かつ社会的にも安心して生活できる環境が整いますかね?

じゃぁいいです。

せめてPS5ください。

・・・どうですかね、ダメですか。

だめでしょうね。

そんなことあるわけないでしょう。

あの雀の涙にもならない小島数個を取っ返したところで、国は僕にPS5の一つもくれないんですから。

得をするのは全部、国家の自己満足と政治家の顔立て程度でしょう。

これは逆に僕が韓国人だったとしても、きっと同じ事を言います。

もちろん領土は竹島だけじゃありませんよね。

尖閣諸島しかり、北方領土しかり、その領土が国益的にも有利であったとしても、一般庶民の僕らが何ら得することはこれっぽっちもありません。

あ、そんじゃこうしましょう。

領土を認め、かつ返還が保証されるなら、PS5と最新作のグランツーリスモ7を貰えるっていう。

ハンコンも欲しい所ですが、ここは百歩譲って自腹を切りましょう。

え?だめ?

ソフトだけでもいいんだけど・・・。

・・・ダメぇ?

だってそんなに主張するくらいならその島にはそれくらいの価値があるって事でしょう。

そんなら下の下の庶民一人にGT7のソフト一つくらい買い与えるくらい屁の河童じゃないんですか。

もうオリンピックでさえ自分らのウン兆円の血税を自分たちの楽しみのためにぱぁーっと使って、その中でもほんの1億や2億の無駄遣いはあったでしょう。(まぁ個人的にはオリンピック自体結局いろいろと無駄だったとは思うけど)

GT7のソフトなんて、たかだか7、8000円、高くても1万弱ですよ。

それくらい良いじゃないですか。

けちんぼっ!

 

それじゃぁ、おさらいです。

僕ら左翼・・・少なくとも僕は。

PS5をくれるんなら、まぁ100歩譲って竹島は日本の領土っていうのを支持して”あげても良い”です。

本当は上記の問題全部解決してほしいけど、まぁ無理だろうけどね。

それを100歩承知したうえでの答えです。

でもどうせくれないでしょう?

くれないんなら、どうも思う事はありません。

 

無いですかね。

国土や島よりも大事なものって。

 

おめでとうございます!

 

 

 

 

 

 

 

 

あまりにもいろいろとイイタイコトがあっても、なかなか言えない今日の中。

今回は僕の普段思っている事、考えている事をここで挙げたいと思います。

この間、興味深い動画を見つけました。

昔はこんなテレビ番組もあったんですね。

一挙に各国の外国人を集めて、それぞれの主張を言い合って、それぞれの視点を見比べる、といったもので。

ただ、こういうの系って中身は確かに第三者の客観も大いに含まれているのはいいんですが、内容の展開の仕方がもはや口喧嘩に発展していってて主義主張がめちゃくちゃになっていっちゃってること。

あんまりこの点は好きじゃないですね。

こういったテレビ討論系の番組はどれもそんな傾向があるみたいで、でもこういう番組を面白いとみる点、こういった話題もある意味そんな感覚くらいの興味なんじゃないでしょうかね。

 

所で、この番組の議題であった、お国のために命を捧げるという観点。

こういった観点というのは現在はまぁほとんどはそれほど大きく捉えない点もあるようですが、ただ一般の人の認識もこの点は共通できる所があるんじゃないかなとは思います。

例えば、先代の太平洋戦争、特攻などでお国のために死んでいった人達がいったお蔭でこそ、今の日本があり、今の我々が生きている、という思想もたとえ戦後80年、積極的平和主義に則った政治や国家であっても、根強く残っている一種の文化のようなものであり、それに則っとられてさらに一部の人を靖国神社へ足を運ばせているんじゃないかなとも思います。

一応僕個人としては、この番組の中で、56番のドイツの人、そしてテリー伊藤が補足したものが賛同できるものですね。

ただ中東の人たちがこの「お国のために命を捧げる」という思想の強さが高いのは、恐らく民族紛争になるとそれこそ自分の置かれてる家族や立場が国家間とも近いからこそ、「お国のために命を捧げる」=家族の為という思想にもつながっているんじゃないかなって思いますね。

でも丁度このタイミング、アフガンがタリバンに制圧された今アフガンの人はどうしてんでしょう?

もう、空港殺到じゃないスカ・・・ww

だって生まれ育ったアフガンですよ。

命掛けて居るんじゃないんですか?

死にもの狂いで飛行機乗ってますけどwww

まぁそれはさておき。

対して太平洋戦争の時はどうだったでしょうか。

例えば、日本が朝鮮や満州を統治下に置き、フィリピンや沖縄など、本土から大きく離れた場所でもなお戦いを続けていましたが、それに対して本土はどうなっていたかというと・・・。

もう、全土、焼け野原。

首都である東京さえも綺麗に跡形も無く消し去られ、広島や長崎に至っては、都市さえも壊滅されるという有り様。

この中で”日本を守る為”という名分で、フィリピンや沖縄、はたまた朝鮮や満州で義勇団や迫りくるソ連と戦っていた、つってもつじつまが合いませんからね。

 

仮に作り話をします。

太平洋戦争の下、東京で生まれ育った人がいたとします。

そこには愛する奥さんがいて、子供がいて、隣人がおり、親がいます。

愛する家族が東京にいました。

赤紙が来て、出兵します。

「”お国の為”、”家族の為”、命を懸けて戦う。それが立派な帝国軍人である」という大義名分で出兵し、異国の地で戦います。

そして戦いの最中、負傷したとします。

戦争での負傷、それはまさに「お国のために命を捧げた」という確固たる証拠ですね。

もちろん生き延びて戻ることになりましたけど、でも下手すればそれは「お国のために命を捧げ」てたかもしれないのですから。

少なくともお国のために戦ったという証拠にはなります。

そして終戦を迎え、東京に戻ります。

すると、どうでしょうか?

焼け野原。

家もなく、人もなく、そこにあるのは瓦礫と散乱する死体。

その人は自分の家族を探して自分のあった家の所へと戻ります。

すると、そこにあったのは何でしょうか?

横たわる黒ずみの人影が。

そう、彼の奥さんと子供達です。

それが焼け焦げた黒炭と化し、両手両足もありえない方向に放られて、そこに横たわっています。

彼は、お国の為、はたまた”家族の為”に日本を出兵し、異国の地で戦っていたのです。

お国の為、”家族の為”に、ね。

そして命を捨てる覚悟で負傷しました。

お国の為、”家族の為”に。

さて、彼は何を思ったことでしょうか?

例え家族が無くなっても、自分の愛する人が見るも無残な姿の最期でそこに横たわっていたとしても。

国のために栄誉ある死を遂げた、名誉をもって戦った、として誇りを胸に生きることでしょうか?

 

今現在も自衛隊の広報などを見ると、その文句の一つに「愛するものを、守るため」といった文句を使われているものを多く見ます。

それを見ると僕はいつもこう考えを変えます。

大切な物、愛する物。

それは「国家」なのか、それとも「家族」?

そしてほとんどがその両方をとるために「国のため」+「愛するもののため」と付けて、広報を行います。

でも自分が愛するものはどちらか一つです。

上記した物語は僕の空想ですが多分あの当時、恐らくこのような同じ話はあったんじゃないかなと思います。

ましてや、今日の戦争。

現代戦の大きなキーは、歩兵力や火力よりも情報戦能力や、制空能力、特殊作戦能力などが大きな一つであって、火力にしても、いまやICBMなどの弾道ミサイルや無人攻撃機などの時代なんです。

そんな現時代、歩兵一人が、お国のために!っつって張り切っても、現場における戦力は殆ど0に近いでしょうね。

話はそれましたが、つまり、僕がイイタイコト。

それは、お国と愛するものは分けなさいよ、って事。

それから改めて何のために命を捧げるのか、という事を考えてほしいってことです。

 

そんな中にはそれでも国が第一!お国大好きっていうような厨房の人もいるでしょう。

そういう人って、よっぽど人からは愛されてこなかったんでしょうねぇ。

人を愛すとか愛さないとか、そんなんプーちゃんだから、国に愛情の矛先がいくんでしょうかね。

別にこの点は人の好みですから、いいですよ。

ただね。

世の中、愛情の仕方にも程度がありますよ。

例えば、動物が好き、自然が好きという人、レズビアンやホモセクシャルのような同性愛、あるいは建物や物体などに対して愛情を感じる、対物愛情、などがありますが、どれも、愛する行為に等しいものですし、そういった愛の形というのには大抵理解のあるつもりで僕はあります。

ですけど。

国家が愛情の対象なんて。

ねぇ。

さすがに僕はそこまでの理解力はありません。

すいませんねぇ。

でもそこまで必要なら、同性婚の認定に加えて、国家婚も認定させたらいいんじゃないですかね。

そしたらそれこそ愛する「お国のために命を捧げる」こともできますね。

 

んじゃぁ、僕はどうかというと。

勿論家族、愛する人のためです。

だって、人間は国のために生きてるわけじゃないですからね。

まぁもっとも昔、ネトウヨだった時代もありましたし、その頃の思想は今も鮮明に覚えています。

でも今、己が生まれ育って、好きな人と結婚して、全ては自分と、そしてその周りの人や愛する人が幸せになるために生きているんですから。

そこに国家は関係ありません。

動画でドイツの方が言うように、僕はたまたま日本に生まれたってだけでそれだけが理由に、だから生まれた国を好きになるなんてわけじゃありませんから。

なんなら自分は万一にも韓国で生まれてた可能性だってあったわけで、その場合自分はどうだったでしょうか。

ネトウヨだった時の自分は幸せでしたね、そんなことも考えなかったし。

でも今自分にとって幸せなのは、国ではありません。

日本で生まれた事も、仮に韓国で生まれたとしても、自分はそれを誇りに生きるとか考えもしません。

純血で生まれた事を誇るよりも、混血として生まれた事の方が自分は誇りに近いと思います。

そうでなければ純血には誰にも分からない複雑な思想も、国家に執着する向上心よりも重要なものも見えてくるし理解できるからですね。

でもそれもまだ可愛い方です。

人として愛する親から生まれ育ち、そして今愛する人と一つ屋根の下で子供に恵まれながら、生きることが出来る。

これが、自分の誇りです。

じゃぁ、もしそれが脅かされる時が来たとき。

それこそ右翼の決まりセリフのように、「もし日本が侵攻されたら?」「それによって生活が危うまれることが起きたら?」「武器を取って戦うと思わないか?」。

答えは簡単。

国を捨てます。

日本を抜け、家族や愛する人が幸せに過ごせる場所を探し、移住するなり、亡命するなり、します。

全世界、195ヶ国あるんです。

そんな中、一か国ぐらいどんな状況になっても幸せに過ごせる国は絶対存在します。

愛するもののために、国を捨てる。

そしてそのために生き、場合によっては命を掛ける。

それが真の愛するもののために命を捨てるってことなんじゃないですかね。

 

まぁ自分にとって、国家なんて、所詮は生活の道具です。

ポンコツ自動車に蹴りを入れて使うくらいのでちょうどいいんですよ。

もちろん下手すればうっかり暴走して、最悪他人に怪我させたりもしますからね。

だから管理はしっかりしないと。

 

もう一つ、「国のため死んだ犠牲の上に今日がある」ということについても一つ考え方を言っておきます。

まず、この考えは完全に間違いだと思います。

もちろん、だからといって特攻隊員が頭のおかしい集団だとは思いませんし、むしろ一部日本軍として戦った人達もある種の尊敬の念が全くないわけではありません。

でも、だからと言って、そういう人たちが死んだ為に自分たちが生きてる、とは全く思いません。

仮に死んだ犠牲の上にあるとしても、じゃぁそれはどうやって知れたんでしょうか?

そう、現代に生き残った人たちです。

特攻の人たちの手紙も、命がけで戦った人の武勇伝も。

沖縄や原爆の悲惨な現実や、戦場の悲しい惨状も、全ては生き残った人が改めて語り部として伝えてきたからこそ我々もそれを忘れないように生きることが出来てるんです。

そんで逆に、「国のため死んだ犠牲の上に今日がある」というのは、つまり真実ではないんですね。

だって、「国のため死んだ犠牲の上に今日がある」っていうのが本当だと分かるなら、誰か生きてる人がその言葉を残したからであって、誰も無しに言葉だけで出てくるわけゃないんですよ。

そう考えるとつまり、言葉がネトウヨ厨房さんの大好きなその歴史修正の観点の中で誇張され、生まれたからこそ、この言葉が生まれた訳なんですよね。

そしてそこからそういう、歴史修正もできる現代ができたのも、何を隠そう、実はこの言葉が生み出された生きる人たちの為です。

それを今持てるのはそういった諸々も戦争を生き延びてこそ今、伝えられているわけなんですから。

一億玉砕を必死になって防いだ人達がいたからこそ、今軍国主義の旧日本帝国と決別し、日本国という民主主義かつ平和主義国家が出来た訳であって、それはどのようにできたのか、軍国主義と戦争の銃弾の雨から抜け出し、戦後復興と発展に従事した人たちは?

そう、生き残った人たちです。

 

今僕がこうして生きているのは国のお蔭でも、「国のため死んだ犠牲」のためでもありません。

僕がこうして生きているのは、その昔父方の祖父がフィリピンで戦っていた時、「お国のため命を捧げる」軍国精神を捨て、「全員生きて祖国に帰る」ために、最後の8/15の射撃中止命令まで戦って生きて日本に戻ってくれたからであり、また母方の祖父がその昔朝鮮戦争が終了したとき、板門店の帰らざる橋を渡って、北を捨てて韓国で母を生み育ててくれたからです。

そしてそういう人達を守るために戦場で死んだ兵士もいるかもしれません。

僕ならそういう人達には心を込めて尊敬と敬意を示しますし、そんな人のために祭られたのが靖国神社の存在であれば、僕はそれを参拝することに特別批判はありません。

 

それ以外で、僕が(というより左翼の多くが)気に入らないのは、そんなのもお構いなしに南京や朝鮮で己の欲望任せてブシュブシュ殺しまくった戦争犯罪人のサイコ野郎も一纏めにして祭られ、おまけに英名では神社というよりも、”戦争記念館”と名称され、戦争の悲惨さや反省を一ミリたりとも入れられず、帝国軍人がむしろ英霊やら軍神やらと祭られ、極めつけはおみやげコーナーには自衛隊のカレー飯や歴史修正主義や国防軍事大好きの右翼の本が沢山並べられている事にあります。

まぁこの辺はまた別の話題になるので追々。

 

というわけで、今回の僕のイイタイコト。

①「お国のために命を捧げる」ことについて

国と大切なものわけなさいよ、ってこと。

国はあくまでも自動車のような生活道具であって、劣化すれば直すし、それでもだめなら”捨てる”。

そして大切な物を守るため、幸せにするためにそれを”捨てる”ためであれば、命を捧げるよってことですね。

もちろんだから、

 

②「国のため死んだ犠牲の上に今日がある」というのは間違い。

あのまま戦争をやめずにいたら、「一億玉砕」して日本民族は絶滅しかねないところだったというのが実情であって、数百万の国民を死なせ、祖国を破滅の淵まで追いこんだ軍国主義と訣別したからこそ、今日の豊かな日本があるということ。
そもそも戦後の復興と発展は生き残った人々の民主主義社会での働きによるものであって、軍国的奴隷制度の下での犠牲者とはまったく関係ないということです。

 

是非、健全思想の方々には本当の大切なものを見つけ、そのためにこれからも生きるという尊さと大切さを、敬っていきたいものですね。

 

 

この度Yahooブログから移ることになりました。

と言っても、もう最後にブログを書いてから結構経ってますし、今回初めてですね。

本当はヤフーの所から移行が出来たのですが、移行期間のうちに移せず。

また移すの自体めんどくさく。

ってなわけで一からやり直しですね。

ここにミジンコのような小さな線香花火を上げたいと思います。

有象無象の皆さん、初めまして。ってなんで上から目線かって?

別に理由はありません。

普段からヘリにへりくだってるので、この際ネットの世界だったらちょっとくらい上から目線でも良いでしょ。

というわけで、久々にブログを始めます。

他の所でも色んな呟き、ブログを書いていますが、趣味の範囲だったりするので、私はそれを分けて投稿するので。

ここでは基本、自分の政治観と、個人的な趣味とは違う時勢等に関しての(やや過激?)な意見などをメインに書いていきたいと思います。

どれくらいかっていうと・・・。

あの、イングロリアスバスターズの最後の映画館炎上シーンあるじゃないですか。

これこれ。

この中の全員が、映画ではナチスの高官達ですけど、もし自民党党員、役員全員だったらなぁ~って想像するくらいです。

え?よく分からない?

まぁ気にしないでください。

過激かどうかは人が判断するわけですから、別にそこはどうでも良いんです。

 

あ、ついでに現在の状況も記しておきますと。

現在:忙しいです。

以上。

つまり、ネットとかあちゃんの作る飯とエロ動画で日々虫食いながら生きてるネトウヨや厨房とは違うってことなんで、そこんとこよろしくです。

勿論厨房とは違って忙しいので、更新もまちまちです。

下手すればこれが最初で最後って可能性も・・・まぁそれは無いかw残念ながら!www

てなわけで、有象無象の厨房の皆さん、よろしくお願いします。

 

ブログ内容はネトウヨ厨房同様に個人的観点が主ですが、第三者観点も一応念頭にしています。

なのであまりにも投稿内容の都合が皆さんにとって悪すぎて不快に思われる所もあるかと思いますが、あくまでもそんな皆さん同様に結局は個人的主観に基づいてるので、気にしないでください。

だって、その点厨房の皆さんと変わらないと思いますよ^^

皆同じ人間なんだから。

その辺は恨みっこなしで、ね!

気楽にいこうよ~

うぇ~い、スマイルスマイル^^

 

最後に以下。

まぁどうせこんなプサヨちゃんのブログなんて誰も観ないよなぁって思ってます。

だからこそ遠慮なくぶっつけてカキコしていこうと思います。

いわゆる自分のストレス発散です。

書いてる内容も何かのデータに基づいてるわけじゃないし、支離滅茶苦茶です。

なのであんまり本気にした方が良いのとしなくて良いのと混ざってるので、気を付けてください。

それでは気温とコロナと医療崩壊と、国民を殺しに来る自民党に気を付けて、これからも皆様、ご自愛ください。