10月5,6日の両日に第37期竜王戦が開幕した。佐々木勇気八段がタイトル戦初挑戦である。既に30歳になってしまった。小学校4年で小学生名人に成った時から将来の名人候補と期待された勇気少年は順調に奨励会を昇級していった。中学生棋士は今ほど注目されていなかったと思うが、谷川浩司少年が十七世名人になり、羽生善治少年が七冠制覇したりした頃から注目されるようになった気がする。三段リーグが有ったり無かったり、奨励会員が多かったり少なかったりしていたから、一律に中学生棋士が高い評価を受けてはいなかったと思う。加藤一二三少年がA級八段まで駆け上ったが、その後タイトル獲得がならず、名人位を獲得したのは42歳の時である。初タイトル獲得は18歳八段になってから10年28歳の時である。その後打倒大山を果たすかと思われたが

リベンジを許した後は返り討ちにあってばかりである。17歳四段の中原誠は「棋界の太陽」として打倒大山を成し遂げていく。20歳で初タイトルを獲得である。今でこそ10代で初タイトルも珍しくなくなったが、当時としては格段に早かった。結局のところ17,8歳で四段昇段は有望で、その後8年から10年でA級昇級というのが、スター棋士の標準みたいになった。その頃のタイトル保持者は大山康晴十五世名人が中心で、大山名人を倒してタイトル獲得に価値がある感じであった。中原誠十六世名人も最初は山田道美棋聖からだったので、話題にはなったが実力に関してはまだ疑問符がついていたように思う。大山キラーになってから名実ともに第一人者になったと思う。二上達也九段はタイトル挑戦は多かったが8割以上は失敗である。しかし打倒大山を2回果たしている。大山十五世名人は先輩棋士の塚田正夫名誉十段や升田幸三実力制第四代名人の他は後輩棋士に二度負けることは無かった。後輩棋士で二度勝ったのは二上達也九段が最初であった。随分と中原誠十六世名人に負けているから、後輩棋士に結構負けているように思われるかもしれないが、実際には山田道美棋聖、加藤一二三十段、内藤國雄王位などが一度だけ勝っている。二度勝ったのは米長邦雄永世棋聖であるが、大山名人晩年の事だから参考にならない。

 現在の状況は大山時代に似ているかもしれない。絶対王者の藤井竜王名人が君臨していて、タイトル戦無敗を記録していた。初めて奪取されたのは後輩棋士の伊藤匠叡王にである。では伊藤匠叡王がナンバー2と言えるか。伊藤匠叡王はもう一度藤井竜王名人に勝つとその強さが周知されるであろう。レーティングでは4位になっている。佐々木勇気八段に抜かれてしまった。

 佐々木勇気八段は急所の1局で勝っている印象がある。30連勝を止めた1局は内容はともかく、止めた事実は長く言い伝えられるであろう。昨年はNHK杯で2年連続決勝戦で当たった。佐々木勇気八段の不運を思ったが、見事勝利して、年間最高勝率の更新を阻止した。藤井竜王名人は記録には無頓着のようなので、あまり気にしていないだろうが、このまま年間最高勝率が更新されないならば、このNHK杯戦の敗局も語り伝えられるかもしれない。

 角換わり腰掛け銀でよく見る形になった。1日目の昼食休憩前の57手目6七歩を見て、佐々木勇気八段の手が止まった。昼食休憩を挟んで3時間近い大長考で58手目3四歩が指された。ここからじっくりとした、互いの手の殺し合いが始まった。59手目61手目の2手に藤井竜王は約2時間半を費やしている。62手目を佐々木勇気八段は封じている。午後はわずか5手しか進まなかった。残り時間はほぼ互角、形勢も互角である。佐々木勇気八段も1日目は良かったと言っていたが、2日目の再開直後の9五歩が自分の読みにない手で、不利を自覚したそうである。終盤は少し面白くなったかなと思っていたが、110手目の6六歩を後悔していたようだ。しかし才能豊かな佐々木勇気八段は最終盤で2五桂を打つ。「敵の打ちたいところに打て」という格言通りの好手であるが、もう藤井竜王には寄せの構図がはっきり描かれていたのであろう。115手の1七桂が「名人に定跡無し」の格言通りの好手である。119手目の3三金を見て潔く投了した。自玉に詰みなしを読み切っての必至狙いの手である。局後の感想戦は面白かったが、まだ1局目だからそんなに話していいものかとも思った。「そんなに悪い手を指していないので良かった。楽しかったです」という佐々木勇気八段の言葉は印象的であった。ようやく倒し甲斐のある相手を見つけた感じである。永瀬拓矢九段がライバル視するだけの才能の片鱗は見た気がする。