今日は父の祥月命日である。もう48年前になる。私が満25歳の時亡くなった。125歳まで生きると言っていたが、満73年と6ヶ月と2日の命であった。私は今年満73歳になった。中年の頃は親父より長生きしようと思った。人生を序盤中盤終盤と分けて、目標を75歳まで生きるとしたものである。後2年になってしまった。一時期80歳までと思ったこともあったが、今は流れに任せるしかないかなと思っている。流行りの「終活」は嫌いだ。人生の終わりを自分で決められるならば、ゴールを決めて、それに向かって「終活」するのもいいかもしれないが、「老少不定」である。自分で「最期」を決められないのだから、「終活」は気休めにしかならないだろう。「尊厳死」の問題も、私が生きているうちに結論が出るとは思えない。今は75歳から80歳ぐらいで、生き絶えるのが良いかなと思っている。

 父の祥月命日の前の日は9月11日である。風呂から上がって「明日は父さんの祥月命日だな」と思いながらTVをつけた。ニュースがあっていた。ニューヨークの朝である。日本は夜の10時近かった。既にワールドトレードセンターの北棟には飛行機が突っ込んでいた。しばらくしてもう1機が南棟に突っ込んだ。「事実は小説より奇なり」というが、現実に起こっているとは思えなかった。今だったらフェイクニュースだというかもしれない。放送局に抗議の声が殺到したかもしれない。TVの映像に釘付けになって見ていたが、その内にあの大きなビルが崩壊したのである。衝突の被害と火事が拡大するのを警戒していたようだが、まるで老朽化したビルを爆薬を使って破壊するかのように、脆くも崩壊していった。途中で何となく命日に入ったなと思ったことは憶えている。ケネディ大統領の暗殺も衛星中継されたんだったな、などという不謹慎な感想も記憶している。何時間ぐらい見たのであろうか。ビルの崩壊でとんでもない被害が出たことは分かった。

 それからテロとの戦いと言って、アメリカはシャカリキになって犯人を探し出して、「復讐」しようとした。しかし首謀者のウサーマ・ビン・ラーデインが殺害されたのは10年後であった。首謀者が殺されてもテロが無くなる訳ではないのは、すぐにみんな理解することになった。もう23年が経過した。昨日はあまり「9.11」関連のニュースはなかったように見えたが、今日はアメリカの様子を伝えるニュースが流れていた。

 TVで大きな事件や出来事を知るというのはいつからだろうか。東日本大震災の津波の映像もTVで見ることになった。私が最初に見たのは、仙台空港の津波で次々と車などが吞み込まれていた。「9.11」から約10年後である。「3.11」である。因みに父の誕生日は3月10日である。不幸な出来事に関係づけるのは良くないだろうが、何となく記憶してしまっている。