このところ公傷制度の復活や年4場所にしたらという提案をブログに書いているが、まああまり賛同の声は聞こえてこない。友人に聞いたら、「大相撲なんてもうどうでもいいよ。相撲協会も上層部はクズだし、相撲取りも肥り過ぎだろう。怪我しやすいのも自業自得ではないの」と伝統文化の保存という観点は全くなかった。モンゴル人力士が強いのも、日本人力士が弱いのも、背景を考えれば当然だろうという感じである。小学校に土俵があるのは何%になったことなど何も知らない。もう相撲をやろうという子どもはいないよと言う。お金にもならないし、少しばかりお金を持つと、利権を離さない。名誉とか、相撲の伝統文化なんてどうでもいいと考えているのだと、もう突き放しているわけだ。

 しかし私は面白いと思っている。先場所優勝の大の里が連敗した。三日目でようやく白星を挙げたが、相撲内容はあまり良くない。対戦相手はかなり研究しているようだ。元大関が今場所は5人もいる。霧島が関脇に落ちているが、10勝以上あげれば大関復帰である。現在3連勝である。角番大関の貴景勝は1勝2敗である。見ていて気の毒である。思い切って2場所連続休場をして、首を完治して、霧島のように関脇で10勝以上を目指して、大関復帰を狙った方がよくはなかったかと思うほどである。朝の山も万全ではないようだが調子を戻しつつある。高安が残念ながら2日目から休場である。これでだいぶ番付を落としそうである。御嶽海も初日大の里を破って、力のあるところを見せた。優勝3回は伊達ではない。このところ平幕優勝が多いので、結構優勝を意識している力士は多いようだ。今場所も初日に大関全滅だったので、どうなることかと思ったが、横綱照ノ富士が結びを締めている。後ろに下がったら膝が持たないのであろう、出足よく前に攻めている。実力は1枚も2枚も抜け出ている感じはするが、問題は15日間持つかどうかである。膝への負担でもう横綱相撲を取れないと思ったら、潔く引退したいだろうが、一人横綱だからそれも出来ない。横綱候補としては琴桜であろうが、ちょっと甘い。二世力士、三世力士が増えたが、期待されながら低迷している。体格に劣る若元春や若隆景も、昔の基準で言えば決して小兵力士ではない。二人とも怪我に悩まされているようだが、先々場所優勝の尊富士は十両落ちをしている。無理に出場しない方がよかろう。怪我による休場でも、相変わらず黒星扱いである。土俵上の怪我による休場は、せめて黒星を半分位にしてほしいものである。怪我をしても無理して出場して負けている力士の方が上だという考えもわかるが、尊富士の場合は優勝争いをしていて、怪我を押して出場して優勝を果たした。立派だと思うのだが。ほら見ろと言わんばかりに十両落ちとは、審判部は何を考えているのだろうか。来場所は幕下に落とすつもりなのかと言いたくなってくる。

 新小結平戸海は注目力士である。学生相撲出身の力士が多くなった今、中学卒業して角界入りをして、役力士にまでなっている。まだ24歳、有望力士に挙げられるが上背がないので、どこまでやれるか見物である。上背がないと言えば、宇良や翔猿だが、体重を増やして押しにも力を見せている。無差別だから面白いという要素があるからな。小兵力士が大型力士を倒すところが、醍醐味と言えば醍醐味だからな。しかし結局は大型力士が勝っていくのが相撲だからな。体を大きくしようという欲望はついて回るのであろう。立会いの汚さはどうにかならないものかと思う。学生相撲の出身者に多いのだが、駆け引きと言う以上に汚い。トーナメントの性格上一回負けたら終わりだからな。アマチュアだったら仕方が無い面もあるだろうが、プロの大相撲である。観客がいるわけだし、相撲中継もある。過去の映像も流れることが多い。栃若が理事長を勤めていた時代は盛んに「立ち合いの正常化」は叫ばれていた。行司の権限を強くしてもいいと思うのだが。「待ったなし」と言っているのに、待ったをする。「手をついて」と言うのに、なかなか手を衝かない。昔は敢闘精神に欠けると言って負けにされていたと聞いたことがあるが、陸上の100m走でも、フライング1回でも失格である。行司の言葉に従わない力士が負けにされても仕方があるまい。審判は行司の裁きに異論があれば物言いをつけてもいい。待ったがいけないのか、フライングがいけないのか、見定めればいい。

 ビデオ判定になって、微妙なところで、昔ならば負けにされるだろうという場面でも、足が残っていたというだけで、勝ちになる。体が飛んでいるとか、体がないというのが、死語になりつつある。自分が怪我をしないような行為でも、先に手をついたとか、足が出たというので、負けにされる。勝負審判が5人、行司が一人、控えの力士も物言いをつけてもよかったはずである。「かばい手」とかいうのも許されてもいい筈である。「つり出し」の際先に足がついても良かったはずである。むしろ投げ捨てるよりは品が良いとされた。「うっちゃり」も体が割れていれば、うっちゃった側が勝ちになったはずである。先に体が落ちたことよりも、体が割れたかどうかが判断の基準だったように記憶しているが。ビデオ判定よりも人間の目を先ずは優先させるべきである。判断に苦しむようであれば、補助手段として、ビデオを見てみるぐらいでいいのではなかろうか。

 大相撲中継を見ている人は、どの勝負について言っているのかわかるであろう。土俵の高さについても、もう少し低くてもいいのではと思っている。安全基準が強く叫ばれる世の中で、あんなに危ないものはないと思うのだが。「うっちゃり」なんかしたら、下手すれば両方とも怪我するのではないかという高さである。怪我をしないような体づくりをしているというが、体罰禁止なので、竹刀で叩いたりするのは厳禁になっている。竹刀で叩かれるより土俵から転げ落ちる方が危険である。稽古場の土俵は別に高くなってはいない。土俵際にクッションが置かれることは無いのだろうか。見苦しいということになるのだろうか。力士の怪我予防に、もう少し本気で取り組んだ方がよいと思うのだが。その昔東西制の頃、幕内力士も毎日出場したわけではなかったそうである。今の幕下以下同様、取り組みがない日が設けられていたそうである。年4場所制に戻すことが出来ないのであれば、15日間制を検討した方がよい。相撲協会は年寄株の争奪戦や既得権益の保護に邁進するのではなく、大相撲の未来と普及に知恵を絞ってほしい。