リモートワーカーではあった。
でも、海外を自由気ままに旅するなんてできない、と思っていた。
ノマドニア受講当時、わたしは40歳。フリーランスとして独立して3年目だった。
会社員時代からパラレルキャリアで続けている、シェアハウス運営やイベント企画といった「場づくり」事業。
心血を注いでいるライフワークだしやりがいに満ちているけど、同時にこの事業がわたしを日本に繋ぎ止めているとも感じていた。
東京・大阪・福岡でシェアハウスを運営していて、海外に出られるのはせいぜい1ヶ月が限度。
その1ヶ月をノマドニアに使うと決めたのは、新しいコミュニティで人脈を増やしたかったからだ。新しく人と繋がり続けることがフリーランスには欠かせないので、毎年1つはこういったコミュニティに入るようにしている。
ノマドニアへの参加は、人脈には留まらない新しい経験に溢れていた。
わたしは海外経験自体は豊富だけれど、ほとんどが留学やボランティア活動や語学研修で、今までもろもろの準備はすべて旅行代理店任せ。自分で飛行機や宿をとるのも、SIMを買うのも、両替してドル札を準備することですら、ほぼ初めての経験だった。
ノマドニアが終わったらすぐに帰国する便をしっかり予約したうえで、私は日本を経った。そういえば1ヶ月も日本を離れるなんて、アメリカ留学以来20年近くやってなかったな。
そして来る日も来る日も課題に追われて、あっという間にノマドニア最終日のオフボーディング。「今後の方針」というスライドを埋めるのが最後の作業だった。
改めて、自分のこれからの人生に想いを馳せる。やりたいこと、やりたいと思っていたことは何だっけ。
空のページを睨みつけるうちに、いつの間にかしまい込んでいた気持ちがふつふつと込み上げてくるのを感じた。
わたし。本当は、旅人になりたかったんだ。
シェアハウス事業自体をやめる気はない。
でも、国内外問わず自由に好きな場所へ行って、好きな人と会うことも、やっぱり諦めたくはない。
「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」という句を思い出した。旅に生き旅に死んだ松尾芭蕉が、死の4日前に残した辞世の句。
わたしも根無し草でいたい、旅のさなかに死にたい。最期は野良猫のように、ひっそりといなくなりたい。
昔のそんな感傷的な妄想が、いまや現実感を伴ってもう一度目の前に立ち現れてきた。
わたし、旅したい。当てもなく、帰りも決めず、ふわふわとふらふらと。
アクティブに飛び回る人生を送っていたけれど、旅人と名乗れてはいなかった。そんな自由でカッコいいもんじゃないから。ノマドニアに来る前は、多拠点生活者なんて言っていたっけな。
シェアハウスの責任者として、現地を巡る日々。行きたい場所というより、行かないといけない場所がたくさんある。
充実しているし楽しいけれど、わたしにとってそれは旅じゃなかった。
ノマドニアに参加して、初めてすべての予定を自分で決めて、1ヶ月ものあいだ日本を離れた。
これがわたしの旅人デビューだったと思っている。
帰国して、わたしは赤字だった大阪のシェアハウスを知人に引き継ぎ、1ヶ月に1度大阪へ行かないといけない生活に区切りをつけた。10年以上、ほぼ毎月続けてきたオフラインのイベント企画を、必ず毎月やらなくたって良いしオンラインでやっても良いんだ、と思いきった。
その年の11月、チェンマイでのノマドニア3周年イベント。
わたしは初めて、帰りの飛行機を取らずに日本を離れた。すごくドキドキして、でもものすごくワクワクした。
初めてのチェンマイ、到着する前はバンコクにも寄ろうとか、ベトナムも周遊しようとか、いろいろ考えていた。でも蓋を開けてみたら、のどかなチェンマイを離れがたくて(どことなく故郷の福岡に似ている)、結局1ヶ月沈没していた。
そんな風に現地に着いてから当初の思惑と違うかたちで自由に過ごせたのも、帰りを決めない旅だったから。
その日その時の気分で、どこかへ行っても行かなくても良い、移動するだけが旅じゃないと思えるようになった。
そして今、わたしはノマドニアのファシリテーターとしてワークショップを担当している。
行き先も帰りも決めず、2ヶ月に1度はふらりと日本を離れる生活。国内でも石川や愛知など、行きたいところへ行って会いたい人と会って過ごしている。
ノマドニアに参加した1ヶ月。
この日々が、わたしを旅人に変えた。

