国道沿いを歩いていると、

お世話になった

養護学校の通学バスが

今も、時々、通り過ぎていきます。

 

それを見るたびに、

懐かしさで胸がいっぱいになります。

 

 

*****

 

次女が生まれた頃、

今から30年近く前、

障害児に関して

様々な支援制度もできつつあり、

先輩ママさんに比べると、

とても恵まれた環境での

療育でありました。

 

次女は療育施設を卒園後、

養護学校へ入ります。

気管切開で、経管栄養、

かなりの重症児ではありましたが、

先輩ママの運動のおかげで、

養護学校にも看護師さんが常駐され、

通園バスに乗って、

母親付添い無しで、

登校していました。

これはかなり画期的なこと。

 

つまり、辰子は、

次女が学校へ行っている間、

自分の時間が持てる、

ということなんです。

 

それ以前は、

ずっと母親が付き添った状態での

登校でした。

 

普通校に比べると、

親の出ごとは多いですが、

それまでは、年に数日の

ショートステイのみ

だったわけですから、

それは雲泥の差。

本当に有り難い。

 

 

養護学校では、

様々な行事もありました。

遠足やプール、クリスマス会では、

校長先生がサンタ、

教頭先生がトナカイ、

母親たちも歌ったり踊ったり。

それは楽しく過ごしました。

 

先生方が、次女にも

いろんなことにチャレンジできるよう、

様々な用具を工夫して下さったり。

それは温かい環境での数年間でした。

 

 

ただ、やはり学年が上がってくると、

いろんなことを考えてしまうことも

ありました。

 

 

辰子が養護学校通学バスの乗降地点は、

幼稚園のそばで、

下校時間によっては、

幼稚園児さんたちのお迎えと

一緒になります。

 

 

「今はママと手を繋いでいる

   この子たちが、  

   恋人と手を繋ぐようになっても、

   私は 養護学校の通学バスを

   ここで待っているのだろうな」

 

 

そんなことを思いながら、

待っていたものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

辰子は次女が亡くなった

10歳までですが、

 

今も次女と同級生だった子たちは、

いや、もうすっかり大人なんですが、

1人で帰ってこられない限りは、

お迎えが必要な生活が

続いているかと思います。

 

親の方も歳をとっていくわけですから、

あの頃とは違った悩みが

出てきているかと思います。

様々な支援制度が、

子どもたちにとっても、

親にとっても良き方向へ

向かっていることを切に願います。

 

 

*****

 

時々、夫が聞くんです。

 

「どの時点に戻りたい?」と。

 

その答えをいつも考えるのですが、

正直なところ、

辰子はどの時点かに戻って、

何かをやり直したい、とか、

選び直したい、

とかは思いません。

 

どの時点でも、

しんどいこともあったし、

楽しいことも、

喜び事もありました。

 

その中で、自分の出来得る限り、

一生懸命やったので、

もう充分かな。

 

 

同じような時間を生きてきた中で、

大仕事を成し遂げた方の話を

聞いたりしますと、

 

私は、

何者にもなれず、

何かを成し遂げもしなかったな、

 

と情けなくは思います。

 

ま、それも、辰子の人生だし、

これだけ次々といろんなことが起きた中で、

 

 

やれることは精一杯やったで、

 

 

という自負もあります。

 

 

いつも思うのですが、

人生にはいくつもの道がある、

というのは幻想で、

いつも自分が進んでいる道だけが、

自分の人生。

 

 

最期まで、

歩き続けるしかありませんね。


 

次女との思い出話は

明日を最後にしようと思っています。

 

 

長々とお読み頂いて

ありがとうございました。

 

たくさんの方に

辰子ブログに寄って頂いたみたいです。

 

嬉しい限りです。

 

でま、また明日👌🏻

 

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