西南戦争最後の決戦地、延岡 俵野、行ってきました。
観光客が、多かったです。
薩摩軍として、最後の軍議を開いている様子です。
薩軍解散布告令
我が軍の窮迫此処に至る。
今日の事、唯一死を奮って決戦するにあるのみ。
この際諸隊にして、降らんとするものは降り、
死せんとするものは死し、士の卒となり卒の士となる、
唯其欲するところに任ぜよ。
(訳)
我が軍は戦いに負け、追い詰められた。
今日より後はただ命をかけて最後の戦いをするだけです。
この際、諸隊においては、降参する者は、降参してもよいし、
戦って死ぬ者は死んでもよい。幹部も部下も身分の差もなく、
自らの判断で好きなようにしなさい。
林真理子氏は、今年のNHK大河ドラマ「西郷どん」の原作者ですね。
北川陵墓参考地
和田越の戦いに敗れた西郷隆盛は、ここ俵野の可愛山陵(えのみささぎ)が、
天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)のご陵墓だと知っていて、あえて袋小路のような
この場所に宿陣したことが,近年、資料や証言から明らかになりました。
西郷は、政府軍が天皇家の先祖の墓に向けて砲撃できないであろうと考えたのです。
そして事実、政府軍は3日2晩にわたって攻撃をしませんでした。
西郷たちは瓊瓊杵尊に守られて一時の安らぎを得ることが出来たのです。
最後の軍議で可愛岳突囲戦の方針に決した西郷は、
俵野に傷病者を残して行くことを決めます。
その中には、西郷の息子、菊次郎もいました。
西郷は、菊次郎に永遠の別れを告げるとともに、
政府軍の陸軍中将として延岡に来ている、
弟の西郷従道に会って投降するよう諭しました。
この時に西郷家に長く使えていた永田熊吉が、
菊次郎を背負って、投降したそうです。
大河ドラマでは、
西郷隆盛は、鈴木亮平さん、
西郷従道は、錦戸亮さん、
永田熊吉は、塚地武雅さん、です。