タイトルの言葉は、憲司さんの追悼番組で、憲司さんの盟友のドラマー村上”ポンタ”秀一の言葉。

私が憲司さんの死を知ったのは、1998年大阪のメルパルクホールで行われた遊佐未森のコンサートにて、MCの時、ミモリンの報告で。
憲司さんとミモリンは、同じ事務所だったし、憲司さんは、ミモリンのツアーに何度か参加して、
ミモリンは、憲司さんの25周年コンサートにゲストで参加した程の間柄でした。

前にも書きましたが、私が憲司さんの存在を知ったのは、ミモリンのアローハミモリータツアーに参加した憲司さんを見て。
それまで全くその存在を知らなくて、YMOのワールドツアーに参加した程のギタリストだという事も知らなかった。
私は、このコンサートで大村憲司のギターにはまってしまった。

当時、憲司さんは村上”ポンタ”秀一と憲・ポンバンドを組んでいて、彼らのLIVEを見に何度も東京へ遠征したなぁ。

この映像は、憲司さんが亡くなる二年前の映像。
もちろん、見に行きました。
YouTubeに憲司さんの映像が結構アップされているけど、英語のコメントが多い。
憲司さんの存在を知らなくても、素晴らしい音は国境を超えるということでしょう。

何たって、憲司さんは、グラミー賞を獲得したサンタナにアメリカでプレーすることを勧められた程のギタリスト!
ボーカルは、決して上手くはないんだけど味があるんだよなぁ。

誰か、憲司さんの代表曲Left-Handed Woman、クラプトンのWonderful Tonight、Better Make It Through Todayの映像をお持ちの方、YouTubeにアップして下され~!