私が好きだったアイドルは、ある一定の期間、自分を愛そうというテーマでツアーを行っていた。リーダーは、自分も自身を愛することはまだ完全にはできないが、僕らと共に学んでいきましょうと言った。そのツアーから何年か経つが、いまだ自分を愛する感覚は掴めていない。その代わり最近わかってきたことはある。自分を最大限丁寧に扱うことの持つ意味の大きさ。これが自分を愛することの代わりか、それともその過程かはまだ不明。愛するということが、少しざっくりしすぎていた。明確な方法がよくわからない。しかし、丁寧に扱うというのは、自分を大切にしている植物のように扱うと考えれば簡単で、美味しいご飯をあげたり、たくさん休ませたり、心地よい環境を整えたり、具体的な方法が思いつきやすい。一人暮らしを始めて、日常の中で自分のことを直接に気にかけて、世話を焼いてくれる人はいなくなった。私には私しかいない。私が自分自身を手放してしまえば、誰も私を拾いあげてはくれない。それに気が付くのに一年弱かかった。手放してきた私の心は、この一年でなかなかの傷だらけになってしまった。必要なのは、栄養分と肥えた土、太陽の光と水かな。私はこれから、自分の手を掴んで離さない。心がぐんぐん育つのを助け、見守る。これは、自分を愛でるということ。愛すると書くとやはり概念的でしっくりこないが、愛でるには具体的な方法が詰まっている気がする。手放そうと思えばいつでも手放せるものを、仕方なく必死に握りしめている。なかなか滑稽に思えるが、からが私の人生のメインテーマかもしれない。