本当に仲の良い友達が結婚した。
つい最近のことだ。
他にも今年は、学生時代の友人が4人結婚した。
この数が多いのかどうなのかは、正直よくわからない。
ただ、そういうとき、恋人もなく、一人で暮らす自分との格差を考えてしまうのは、きっと私だけではないはず。
その頃の私と言えば、働いていた職場からリストラ(使い方あってる?)され、必死に就職先を探していた頃。
プライベートでも、ペットを亡くしたり、信頼していた人が私を見放したり、人間関係で煩わしいことがあったり、長年ファンであるアーティストのチケットが全く取れなかったりと、ことごとく、いちいち、運やら大切なものやらが私からどんどん離れていっていた。
こういう、『嫌なことは続く』という経験は、誰にでもある事だとは思うけど、これがまた本当に、とんでもなく自分をすり減らすのだ。
終わりの無い答えもない迷路にはまりこんだように、面白いくらいに良いことも無ければ、面接の結果も不採用ばかりだった。
でも生活をしなくては。
その一心で、交通費も履歴書代も、失われていく自尊心も、塵も積もれば山となっていく中、それでも私は、何とか頑張ろうとしていた。
そんな時だったのだ。
その結婚した友人から、『バイトを探している』と聞いたのは。
始めにそれを聞いた時、私は、二人が協力して、より良い暮らし(何を持ってして“より良い”なのかは知ったことではないが)をするために、彼女は働きたいのだと解釈した。
だから、『新婚生活で色々大変かもしれないけど、そうだね、見付かると良いね、式でお金もかかるしね、良いと思うよ。私も働き口を探しているから、頑張ろうね』と答えた。
だけど実際、彼女はただ、遊ぶお金が欲しいから働く、というだけの事だったようだ。
彼女は、大したことではないんだというように、そう続けて私に告げた。
私が、もしも彼女と同じ立場だったら、心から『そうだよね、旦那さんのお金で遊んでしまうのは、なかなか心苦しいものだものね』と、気持ちを込めて言えたのかもしれない。
でも私は結局、殆ど気持ちを込めることが出来ないまま、同じ台詞を彼女に言いつつ、心に何とも言えない感情を抱えてしまった。
だって、私は、自分が一人で生きていくために、どんなに悲しいことがあっても、必死に仕事を探していたのだ。
彼女にはきっと、悪気はなかったんだと思う。
でも、それが余計に辛かった。
そういうのも“余裕”という事になるのかとまで思った。
『そんな、相手と自分の生活環境なんて、比較しても仕方ないでしょ』というような、そんな“余裕”。
『結婚をした』と言って、キラキラ笑い、滲み出る“幸せオーラ”というやつに、生まれて初めてあてられた時、立っているのがやっとだった私は、『もう無理なのかもしれない』と思った。
そこからの『もっと遊びたいし欲しいものがあるから、お金が欲しい』発言は、言うまでもなく私の気力を奪った。
今まで感じたことの無い差。
羨ましいとも妬ましいともまた違う。
自分とは違うんだってことも知っている。
私は初めて『格差』という言葉を目の当たりにしたように感じた。
それ以上、何を望むんだ。
でも、残念ながら私は、そういう感情を抱いているということを隠すのが、非常に上手い。
今日もその友人とはメールでやり取りをしている。
たぶんこれは、余程の事が無い限りは続くと思うし、続けたいとも思う。
その一方で、これから先、同じようにモヤモヤする事が何度でもあるのかと思うと、やっぱり少し、心が曇って行くことは、認めざるを得ないのである。
私は大概醜い生き物なのだ。