空泳ぐ金魚 -35ページ目

空泳ぐ金魚

日常・非日常。
何となく思うこと。
つれづれ、徒然。

宗教を信仰している方には申し訳ないのだけれど
ワタシには信仰する特定の宗教というものはありません。

宗教心、というものがないのかも。

とはいえ、「神」の存在は信じていたりします。

それを、「神」と言っていいのかどうか分からないけれど。

信じるべき存在は「在る」と。

聖書の中で神は「私は"在る"」と
言っている(訳されている)ので
あながち離れてはいないのかもですが。

それは、小学生の頃から
ずっと思っていたことかもしれません。

特定の神を信じるとか
この宗教はよくてこの宗教はダメだとか
宗派が違うと結婚できないとか
宗教戦争とか。

そもそも、神はひとつじゃないのか?
ただ、その存在を信じる方法が違うだけじゃないのか?
もし神がひとつ(あるいはひとり)じゃないとして、
それでも。。。。

神と呼ばれる存在が、
心が気持ちが器が
そんなに小さいはずがない。

と、こんな疑問をいつ頃からか
ずっと持っていた気がします。

それは、育ってきた環境のせいかもしれないし。

幼稚園からカトリックに学び
けれど、
親はプロテスタントの学校を出ていて
さらに
実家の仕事は仏教に関係していて
けれど、
檀家となっているお寺はまた別の宗派で。

学校の友達ももちろん
洗礼を受けている子もいれば
お寺の子もいれば
神社の子もいる。

別になんのフシギも違和感もなく
友達として、そこにいる。
なのになぜ?

私の信じるものがある。
あなたの信じるものがある。
ただ、それだけ。

見えるものも
見えないものも
物も
想いも
ただ、そこに在る。

ただ、それだけ。