10/6に7回目となる物資支援に南三陸町へ行ってきました。
9月の半ばも予定をしていましたが、台風と時期が重なってしまい、10/6に延期となっていました。
今回も一世帯ごとに小分けにした袋を用意しました。
その中には
『カップ麺』
『殺虫剤』
『ウエットティッシュ』
『サランラップ』
等を入れました。

前回の支援のときから、既に避難所生活の方々はゼロになりました。
今は『在宅』と『仮設住宅』に分かれて生活をしています。
『電気』『ガス』『水道』といったライフラインはほぼ全ての場所で復旧しました。
本当に良かったと思います。
今回、物資支援に行く為に、『被災地支援の高速道路無料申請』を現地の方へお願いしました。
しかし条件が厳しいらしく、自分のような支援活動には申請が降りなかったそうです。
残念ですが、これもまた現実。。
さて、今回も愛車に満載の物資です。

半年が経っても、まだまだ復旧の目処が立たない町を見ると、無念で仕方がありません。。


そんな中、川の畔には蒼々と草花が生えていました。
このような中でもしっかりと命は続いているのだと思うと、何だか元気をもらった気がします。
さて海岸線に近い所まで来ると、まだ瓦礫の撤去すら終わっていない光景が目に入ります。

いつまでこのような状態が続くのか、と思うと残念でなりません。。


そして集められた瓦礫の山。
左下に小さく移っているのが瓦礫を片付けているショベル車です。
いかに瓦礫の山が大きいかが分かると思います。
このような箇所が、町の至るところに存在しています。

まだまだ復興には長い長い時間がかかると思います。
被災された方々も元気に頑張っておられるので、自分も出来る限りの支援を続けていこうと思っています。
さて今回、支援物資を『仮設住宅』の集会場でまとめて管理、分配をお願いしました。
今まで、『在宅』と『避難所』の世帯数を調べてもらい、その数を各々にお渡しして分配してもらっていましたが、どうやらきちんと分配がなされていなかったようです。。
今回、仮設住宅に集まって下さった方々に話を聞くと、今までこのような支援物資を受け取っていない、という方々もいらっしゃいました。
『なんとか全世帯に分け隔てなく』
という思いで、色々と考えていましたが、やはり難しかったようです。。
残念。。
という事で、今後は『仮設住宅の集会場』に一旦物資を預かってもらい、そこから個別に分配してもらうことにしました。
この荒砥地区には元々約10世帯ごとのグループ別けがなされているそうです。
そのグループごとに物資を受け取りに来てもらい、その後に世帯ごとに分配してもらうことにしました。
話を聞くと、やはりこの震災後、精神的にも人間関係がとても難しくなってしまったそうです。。
元々、南三陸町をいくつかに分けた『区』というものがあるのだそうですが、その区長さんたちも、この状況に完全にお手上げ状態で、今ではその『区』自体も機能は止まってしまっているそうです。。
この事は自分もこのブログで書いていますが、以前から非常に心配していた事です。
しかし何の改善もされぬまま、どんどんお互いの溝は深まり、仲の良かった町は無惨に崩れ始めています。。
目に見える支援も大事ですが、このような目には見えな部分のケアも非常に大事だと思っています。
次回の物資支援は11月半ばを予定しています。
次回は
●食料(カップ麺、インスタント物(コーヒー、レトルト等))
●衣類(冬物)
●台所用品(洗剤、ラップ、スポンジ、調味料、味噌、等)
を中心に持っていく予定です。
今回から、『仮設住宅』を拠点にお願いで来そうなので、今まで通り『世帯ごとに小分けにした物資』以外にも、人数分揃っていなくても良いのでたくさんの物資を持っていこうと思っています。
それらを『仮設住宅』の空き地でフリーマーケット状態で皆さんに欲しいものを持っていってもらおうと思っています(もちろん無料でお配りします)。
現在、得に欲しいものは
●冬服(長袖Tシャツ、タイツ、ジャケット、等)
●生活必需品(年配の方や車を持っていない方、職を失った方は、とても助かるそうです)
だそうです。
今後も色々と『今欲しいもの!』を現地の方々と連絡を取り合って情報を提供していきたいと思っています。
支援物資等はこちらのページに詳しく発送先等を記述していますのでぜひ御覧になって下さい。
一日でも早い復興を心から願っております。
9月の半ばも予定をしていましたが、台風と時期が重なってしまい、10/6に延期となっていました。
今回も一世帯ごとに小分けにした袋を用意しました。
その中には
『カップ麺』
『殺虫剤』
『ウエットティッシュ』
『サランラップ』
等を入れました。

前回の支援のときから、既に避難所生活の方々はゼロになりました。
今は『在宅』と『仮設住宅』に分かれて生活をしています。
『電気』『ガス』『水道』といったライフラインはほぼ全ての場所で復旧しました。
本当に良かったと思います。
今回、物資支援に行く為に、『被災地支援の高速道路無料申請』を現地の方へお願いしました。
しかし条件が厳しいらしく、自分のような支援活動には申請が降りなかったそうです。
残念ですが、これもまた現実。。
さて、今回も愛車に満載の物資です。

半年が経っても、まだまだ復旧の目処が立たない町を見ると、無念で仕方がありません。。


そんな中、川の畔には蒼々と草花が生えていました。
このような中でもしっかりと命は続いているのだと思うと、何だか元気をもらった気がします。
さて海岸線に近い所まで来ると、まだ瓦礫の撤去すら終わっていない光景が目に入ります。

いつまでこのような状態が続くのか、と思うと残念でなりません。。


そして集められた瓦礫の山。
左下に小さく移っているのが瓦礫を片付けているショベル車です。
いかに瓦礫の山が大きいかが分かると思います。
このような箇所が、町の至るところに存在しています。

まだまだ復興には長い長い時間がかかると思います。
被災された方々も元気に頑張っておられるので、自分も出来る限りの支援を続けていこうと思っています。
さて今回、支援物資を『仮設住宅』の集会場でまとめて管理、分配をお願いしました。
今まで、『在宅』と『避難所』の世帯数を調べてもらい、その数を各々にお渡しして分配してもらっていましたが、どうやらきちんと分配がなされていなかったようです。。
今回、仮設住宅に集まって下さった方々に話を聞くと、今までこのような支援物資を受け取っていない、という方々もいらっしゃいました。
『なんとか全世帯に分け隔てなく』
という思いで、色々と考えていましたが、やはり難しかったようです。。
残念。。
という事で、今後は『仮設住宅の集会場』に一旦物資を預かってもらい、そこから個別に分配してもらうことにしました。
この荒砥地区には元々約10世帯ごとのグループ別けがなされているそうです。
そのグループごとに物資を受け取りに来てもらい、その後に世帯ごとに分配してもらうことにしました。
話を聞くと、やはりこの震災後、精神的にも人間関係がとても難しくなってしまったそうです。。
元々、南三陸町をいくつかに分けた『区』というものがあるのだそうですが、その区長さんたちも、この状況に完全にお手上げ状態で、今ではその『区』自体も機能は止まってしまっているそうです。。
この事は自分もこのブログで書いていますが、以前から非常に心配していた事です。
しかし何の改善もされぬまま、どんどんお互いの溝は深まり、仲の良かった町は無惨に崩れ始めています。。
目に見える支援も大事ですが、このような目には見えな部分のケアも非常に大事だと思っています。
次回の物資支援は11月半ばを予定しています。
次回は
●食料(カップ麺、インスタント物(コーヒー、レトルト等))
●衣類(冬物)
●台所用品(洗剤、ラップ、スポンジ、調味料、味噌、等)
を中心に持っていく予定です。
今回から、『仮設住宅』を拠点にお願いで来そうなので、今まで通り『世帯ごとに小分けにした物資』以外にも、人数分揃っていなくても良いのでたくさんの物資を持っていこうと思っています。
それらを『仮設住宅』の空き地でフリーマーケット状態で皆さんに欲しいものを持っていってもらおうと思っています(もちろん無料でお配りします)。
現在、得に欲しいものは
●冬服(長袖Tシャツ、タイツ、ジャケット、等)
●生活必需品(年配の方や車を持っていない方、職を失った方は、とても助かるそうです)
だそうです。
今後も色々と『今欲しいもの!』を現地の方々と連絡を取り合って情報を提供していきたいと思っています。
支援物資等はこちらのページに詳しく発送先等を記述していますのでぜひ御覧になって下さい。
一日でも早い復興を心から願っております。