【気づく視点】

 

 

久しぶりの投稿になってしまいました。

 

 

ここ最近、やっぱりエゴってかかなり振り回してくるのだなあと実感しておりました。

 

 

 

 

今、目の前に広がっている現実(=映像)は

 

 

ただただ”自分の意識”なのです。

 

 

それに対してエゴが色んな誤った情報を引っ張り出してきては

 

 

 

 

「これはゆゆしき事態だ。今すぐにどうにかしなくては!」

 

 

「何をゆったり構えてる!何かしないと手遅れになる。」

 

 

「どう考えても後退しているようにしか見えない。普通はこういう風にはならない。」

 

 

 

 

と、でっちあげるわけです。

 

 

それ、本当ですか?ってところなんです。

 

 

単純にエゴが大騒ぎしているだけであって

 

 

全部、嘘です。

 

 

 

 

 

そしてそのエゴと同化していると、映像も本当にそのようにしか見えなくなってきます。

 

 

 

 

人間ってやっぱり危険を回避したいという本能もあって

 

 

良いことはなかなか信じないのですが

 

 

悪いことは信じてしまいます。

 

 

 

 

まあ良い悪いもエゴの判断なんですが、。

 

 

 

 

 

 

だからエゴの嘘をまんまと信じてしまって

 

 

誤ったジャッジをしてしまい

 

 

現実も本当にそのようになっていくわけです。

(そのように見えてしまう)

 

 

 

 

 

 

でもやっぱり

 

 

物心ついた時からの付き合いのエゴですし

 

 

これから先も付き合いが続くエゴです。

 

 

 

 

完全になくすなんてことは

 

 

到底、無理なことで

 

 

エゴと取っ組み合いをすることは

 

 

本当に不毛です。

 

 

 

 

 

 

 

だからそのエゴに

 

 

”気づく”だけで十分です。

 

 

気づくだけで十分!と言うとまたエゴは

 

 

 

「それだけで十分なはずがない!」

 

 

「何か対策をしなければ」

 

 

「気付くだけ?で?叶えるためには?」

 

 

 

 

 

と、たたみかけてくることが多いですし

 

 

 

気づいたところで消えるとかそういうものではないのですが

 

 

この”気づく”ことで

 

 

エゴとの同化はそこで途切れます。

 

 

 

 

 

エゴの嘘や戯言に気づかないままだと

 

 

あたかもそれが”本当”であるかのように思い込んでしまって

 

 

それはそれは苦しいわけです。

 

 

 

 

 

「何で叶わないのか、、」

 

 

「どうしたら実現するんだろう」

 

 

「もう方法がない、途方に暮れてしまった」

 

 

「ああもうやっぱり叶わないんだな」

 

 

「これから悪い方向にいくしかなさそう」

 

 

 

 

 

 

と、せっかくの”意図”すら取り下げてしまいかねないのです。

(本当はわざわざ意図なんてせずとも、浮かんだ時点で叶っているという話はさておき)

 

 

 

 

 

 

”エゴに気づくことができる視点(=場所)”

 

 

に立つことが、かなりの鍵になってくるわけです。

 

 

 

 

 

鍵になるという表現をしたのは

 

 

「そうすると叶う!」「その方法が近道」

 

 

という表現にすると

 

 

またエゴの餌になってしまうので、。

 

 

 

 

 

何をするわけでもなく

 

 

何かを唱えるわけでもなく

 

 

ただただエゴ(思考、判断、偏見など)に気づく。

 

 

 

 

 

 

ただただ気づき続ける。

 

 

これだけでも、見える現実(映像)が変わる人は変わります。