関ケ原合戦祭り2022 二日目 | 小早川秀秋日記 ~ボクはここにいる~

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古戦場の町関ケ原の史跡ガイド・観光案内・歴史語り部の関ケ原組創設者関ケ原おもてなし武将小早川秀秋。
2018年3月をもって一旦関ケ原を去りました。(2017/11/22日記参照)
関ケ原組からの嫌がらせと脅迫により現在定期活動はしておりません。
※写真の加工・無断転載禁止

関ケ原合戦祭り2022 二日目!



一日目に続き良いお天気です。

二日目は笹尾山会場が主のようですが金吾は二日目も役所の方におりました。

二日間歩いて思ったのは人が少ないということ。

やはりまだ躊躇い無く自由に祭りを楽しめる状態ではないのだと感じさせられる。

それでも三年ぶりに開くことが出来たことには本当に感謝しなければいけないね。


祭りは二日目が主役です。

午後に武者行列が笹尾山を発ち陣場野までやってきます。そして役所前の広場で合戦絵巻、合戦再現劇をします。


武者行列だけは見ておこう。戦友たちが出ているからね。

お芝居は見ない。

人が足りないのにも関わらず(参加者足りていないって出演者から聞いた)公私混同の感情でわざと落とされた悔しさがあるから。7年落とされ続けて故意ではないなんてことはない。意図的に参加させないようにしているのだろう。まぁすたっふがいじめのか加害者だからね。

祭りに参加させないのも彼女らのいじめ方の一つ。


武者行列が始まる頃合いをみて決戦地まで歩いた。

決戦地辺りから撮る写し絵が一番映えるから。

後ろが山になり綺麗な写し絵が撮れるのをボクは甦ってからのこの10年で気付いた。


金吾かめら構えます。

ボクは風景画の方が得意なんだけどね、人は殆んど撮らない。

現代では心が奮えたら写し絵を撮るんだ。

昔は歌を詠んだけど現代ではこの目で見たその景色の美しさを切り取って残します。

例えそれが失われたとしても。誰からの記憶からも消えてしまったとしてもその美しさはずっとそこにあるから。


今回は祭りという記憶を刻む為に撮ります。

何年か経って思い出として語られる時に、あの時あの場所であの人と。その記憶。



先陣を石田三成隊が来る。

すっっっごい人!!

うわぁ………近寄れない…

これが治部人気か…

これは撮るの無理だ…



二番手に宇喜多秀家隊。

何か秀家がちらっちらっ見てくる。

何回か目が合ったような気がしなくもない。

こちらもなかなかの人だかり。




続いて大谷吉継隊。

う゛お……刑部人気すさまじ…

人の集まりが治部並み。こちらも近寄れない。

刑部は輿に乗っているので一人だけ高い位置に居るから撮りやすかったけどね。




福島正則隊。

やんちゃ系ですか?

武者行列しながら「うぇいっ☆」って飛び上がる隊初めて見ましたよ。

旗持ちが逞しい。片手であの大旗持っているのですが…

この隊見るからに強い。




細川忠興隊。

細川は規律、秩序、乱れることを許さない!!

そんな思いを感じる統率のとれた隊でした。

全体的にきりっとしてる。



井伊直政隊。

井伊殿がめっちゃ見て来る…

手を振って見てくる…

すんごい笑顔でこっち見てくる…

主張が強い!!俺を撮れってこと?よし!撮りましょう!!




徳川家康隊。

威厳の固まり。

お客さんが遠巻きに熱い視線を送る。近寄りはしない。

圧が強くて近寄れないのかな?

隊全体からちょっと違う空気出てます。これぞ総大将隊だよね、うんうん。





三年ぶりのお祭りでした。

こうやって皆で集まって楽しめた事に本当に感謝しなければいけないね。

三年前までは当たり前のように毎年あると思っていた祭り、出来なくなってどんなに悲しかったか。


そして三年前から変わることなく今年も関ヶ原町民武者さんたちは交通整理や道案内をしてくれていた。彼らは毎年絵巻には出ず陰で支えている。

そういう甲冑武者もいる。

すたっふは絵巻だけではないよ、総合案内、清掃の学生さん、売店の母上たち、関ケ原町の人たちがやってくれている。感謝


この二日間関ケ原という地に集った全ての者へ

会えたことの喜びと、開くことが出来た喜びに感謝を。

祀られし者たちへ捧げられる鎮魂の笑みと想いへ敬意を。

古戦場に集いし全てにありがとうとお疲れ様。




※その他の写真はTwitterに載せてあります。
日記などで転載される方、出演者で写し絵を使いたい方は撮影者(関ケ原おもてなし武将小早川秀秋)の明記をお願い致します。