小早川秀秋旧暦命日2022 | 小早川秀秋日記 ~ボクはここにいる~

小早川秀秋日記 ~ボクはここにいる~

古戦場の町関ケ原の史跡ガイド・観光案内・歴史語り部の関ケ原組創設者関ケ原おもてなし武将小早川秀秋。
2018年3月をもって一旦関ケ原を去りました。(2017/11/22日記参照)
関ケ原組からの嫌がらせと脅迫により現在定期活動はしておりません。
※写真の加工・無断転載禁止

10/18は小早川秀秋旧暦命日です。


近衛前久様の弟でありボクの歌の先生・聖護院道澄様と近衛様の息子・近衛信尹様は追悼文を書いてくださっている。

現在残る小早川秀秋の没した状況を記しているのも道澄様。

信尹様は小さい時はこんなだったねと思い出なんかも書いています。


「去る10/15のこと、久々に鷹野に出て日没に帰城、どうも気分が悪いと横になった。

次の日は時々意識を失う。

17日になると気色もよくなり皆が喜んだが明け方に…」


大体そんなことが道澄様の記録に残っています。


「数多くの兄弟の中でも太閤の慈しみは大変なもの。八歳の頃でしたか、非凡さが予感されました。

蹴鞠の手の振り方足の踏み方もすぐに会得した。

でも若い仲間たちと戯れに酒の・・・」


ちょ!!近衛様!!何書いて!!ああ!!ここからは紹介しない!!

と、まぁ思い出を書いておられます。


また当時の様子について毛利側の記録では本行寺にて荼毘が云々の記述がある。

が、正しくは成就寺の本行院(当時の住職の名)が荼毘を行ったである。

院なので人の名と思わず寺の名だと思ったのかな?

なんで違って伝わったんだろう?そこは今でも不思議だ。


相変わらず元領地岡山は青空で迎えてくれる。

来月3日はついにお直しした岡山城のお披露目だね。

どう変わったか楽しみだ。




今年は没420年の節目年だった。

何か大きく催しを行うつもりだったのだがまだこんな状況だ。室内ということもあり、今年も檀家さんと自主的に集まった熱烈な小早川秀秋ふぁんの方々と静かに法要を行った。




此度は先月出来たばかりの甲冑のお披露目を兼ねて本堂に陣羽織と共に飾らせていただいた。

小早川秀秋を象徴する猩々緋羅紗地違い鎌模様陣羽織と紫糸威二枚胴具足と三鍬形後立小星兜。

実際に見てみると派手でしょ?目立つでしょ?

目立つということは狙われるということ。

臆病者には着こなせないこの陣羽織。

甲冑の威糸の色は映える赤系紫。

よく絵では赤で描かれるがそれは遊就館の伝秀秋甲冑の今の姿が赤色の糸だから。

名前から分かると思うが紫糸なので紫系なのです。今の赤色は赤系紫が焼けてしまって変色したものです。

今から8年くらい前だったかな?展示で出ていた時は辛うじて変色しないで残っていた赤系紫があったんですけどね、それから数年後に見た時は残っていた紫も赤に変色していました。

あそこは学芸員さんいないって聞いたが保管ちゃんと出来ていないのかな。数年で変色するのだから。


陣羽織も甲冑も今は東京にあるので檀家さんは会える機会がほぼありません。

今回の写したちを見て、お寺に眠る殿様を少しでも立体的に感じていただけたら嬉しい。

常設展示ではないから秀秋好きも見たことがある人が少ない。

写したちを見ながらの解説もさせていただきました。


※本堂の中は撮影禁止です。これだけ特別。

本堂の上手にあるでかい墓塔。

天井に描かれた鳳凰。

古い古い位牌。

青年の顔をした木像。

甲冑と陣羽織の写し。

響く日蓮宗のお経。

不思議な小早川秀秋空間だったと思いますが如何でしたでしょうか。

ちょっとでも秀秋への好感度や興味が上がると嬉しいです。



映画、小説、歴史研究、最近は見直しが始まり最初から東軍説もじわじわと拡がってきた。

甦った10年ちょい前に比べたら格段に違う。それでもいまだ400年語られた通説や伝承を信じ嫌う者は今も多い。

罵り、嘲笑い、攻撃、そんなの関ヶ原では日常的。

早世ざまぁと言われたこともあったね。

ボクにはボクの信念があった、守りたいものがあった。守るべき者たちがいた。


この先の世が光に届くと信じて。



数年前から瑞雲寺さんの御朱印に違い鎌が入るようになりました。

秀秋菩提寺だから入れて欲しいとお願いしたんだ。

昔御朱印をいただいている方は機会がありましたら違い鎌入り版もいただいてみて下さい(*´艸`*)




今年も小早川秀秋は小早川秀秋の墓の前で己に問います。

この一年どうだったのか、今日からの一年どうするのか。

己は何を目指す、何がしたい。


偽物だと言われてしまった。

消えろと言われてしまった。

史跡がいどでも武将隊としては非公式。武将隊を作った張本人でも乗っ取られて追い出されたら自分の意思に関係なく非公式。

頑張ってきた10年、ボクは在ってはいけない存在だったのだろうか。

語り続けてきた想いは伝わらなかったのだろうか。

脅迫、嫌がらせ、集団いじめ、役所も観光協会も加害者に加わった。

身体が壊れるまで活動してきたことは無駄で余計なことだったのだろうか。

墓塔の前で自分に問います。


今年はまだ頑張れるとはならなかった。

もう終わりにしようか。もう消えてしまおうか。

頑張れば頑張るほど嫌われる。

お前は必要の無い存在だと突き付けられる今。

豊臣から捨てられた時のように、この世に要らないと思い知らされる。


お前は偽物なんだ。

あっちが本物。


この一年受けた言葉がとても重くて痛いんだ。