小早川秀秋420回忌 | 小早川秀秋日記 ~ボクはここにいる~

小早川秀秋日記 ~ボクはここにいる~

古戦場の町関ケ原の史跡ガイド・観光案内・歴史語り部の関ケ原組創設者関ケ原おもてなし武将小早川秀秋。
2018年3月をもって一旦関ケ原を去りました。(2017/11/22日記参照)
関ケ原組からの嫌がらせと脅迫により現在定期活動はしておりません。
※写真の加工・無断転載禁止

(旧暦)10/18はボク・小早川秀秋の旧暦命日。

この日は岡山の菩提寺・瑞雲寺さんで法要が行われ、一年に一度だけ墓塔が公開されます。

墓塔は本堂の中、壁をくり貫いてつくられた空間に観音開きの扉で閉ざされているので普段は見ることが出来ません。

外にある石碑は供養塔。よく墓と間違えられるけれど、あれは戦艦大和を作った庭田中将(庭田尚三氏のことでいいのかな?)が奉納した物。

庭田中将はボクの家臣・伊岐真利(伊岐遠江守)の子孫らしく墓塔の前に添えられた伊岐の新しい位牌(昭和52年10月18日の記載あり)に置いたのも庭田中将。




今年も領地岡山は青空で迎えてくれる。

ん~もー大好き!!

本当岡山はよい子だね。いつも笑顔(青空)だよ。




お寺さんに着いて驚き!!

話には聞いていたんだけど、本当に出来たんだね、岡山市の解説板。




解説本文は殆どご住職が考えたんだけど、まさか天井画の鳳凰と唐獅子の写し絵まで載るとは思わなかった。

本堂内は撮影禁止だし、いままで天井画の写し絵が掲載されたことってなかったと思う。外に出たの初じゃない?

解説には『裏切り者ではありません』とはっきり書いてあるんだけどよく岡山市が許可出したね。草案聞いた時に絶対修正出ると思ったんけど。

岡山でも小早川秀秋見直しの流れが来ているのかな?よきよき。


今年もこんな世の流れですので檀家さんたちとひっそり行いました。

感染防止でお焼香も無し。

代わりに塗香(ずこう)が配られました。

塗香とは香木を粉末にしたもので塗って穢れを払います。粉末をほんの少しだけ掌に乗せて手をすりすり。伽羅系の香りがした。



来年は没420年となります。

お寺さんから許可をいただきましたので来年の法要は没420年催しをやる方向でいきますのでお休み確保しておいてください、平日です。

あと、命日前の休日あたりに京都秀秋つあーも考えているよ。



ところでさ、領地帰ったら天守が無い!!



いや、岡山城のお直しは聞いているよ。

覆われて見えないというのも聞いている。

しかしだね、聞いていても衝撃が凄いのだよ。

岡山城主だった宇喜多家、小早川家、池田家の三家が関わったというこで、お直し岡山城には関ヶ原の戦い展示も入ると聞いている。

ただ監修が小早川嫌いのあの方なので不安で不安で…


でもね、小早川家を無かったことにしてきた岡山がちゃんと小早川家を見てくれるようになっただけで花丸なんだよ。

天守は来年の11月なので次の法要の時はまだだけど、ちょっと楽しみにしている。





旧暦命日のこの日に手をあわせてくれて、想ってくれてありがとう。




そして最後に。
法要にて小早川秀秋研究の第一人者とも言える永井芳順先生の訃報のお話がありました。
まだ電脳が発達する前から小早川秀秋を調べられ、自費出版本を出し、専門家ではありませんでしたがとても詳しく、精力的に電脳でも発信されておりました。
ボクも一緒にお出かけしたり、お話したりとても仲良くさせていただいておりました。
訃報は夏の始めには聞いておりましたが、改めて心よりご冥福をお祈り致します。
芳順先生は各地の図書館に本を二種類寄贈されておりますので図書館で読めると思います。