よく、幸せになりたいと言うが

幸せを感じる時は人それぞれ

その時の状況でも違う

自分は炎天下で仕事をしている
仕事途中で寒いくらいクーラーガンガンの部屋に入ったら

幸せを感じる事が出来る

だが、寒いぐらいクーラーガンガンの部屋で毎日仕事をしている人は幸せを感じるどころか寒いと愚痴を言う

まる1日何も食べてないときに大盛りのご飯を食べた時→幸せ

ご飯をお腹いっぱい食べた直後の大盛りのご飯→苦痛


人は同じ事が起こってもこれだけの違いを感じる


幸せを感じる時の共通点を見つけた

苦しい事や辛い事を頑張った後に、その成果や逆の事が起こった時に幸せを感じる事が出来るのだと思う


何もせずにただただ幸せになりたいと言っているだけじゃ幸せを感じる事は出来ない


毎日一生懸命働いてたまに休みがあるから休みが幸せだが

毎日が休みなら毎日が暇で退屈でつまらない

幸せを感じたいなら自分で幸せを感じる事が出来るように努力をすればどんなに小さい事でも幸せに生きていける

自分は常に幸せだと思うようにしている

ご飯が食べらる

布団で寝れる

お風呂に入れる

家族がいる

健康で仕事が出来る

こんな当たり前な日常的な事がじつは一番幸せな事だと思う

まず今の自分の状況を幸せだと思う事

そしてどんな事でも一生懸命頑張る事

このたった2つの事を実践するだけで幸せ度は今の何倍にでも感じる事が出来る。
親父と大喧嘩をした

原因は仕事の考えの違い

自分は家族の為90%自分の為10%ぐらいの割合でほぼ家族の為に頑張ってる

家族が困らない程度の収入と家族と楽しく過ごせる時間を作る為に仕事をしている

自分のプライドなど家族の為ならどうだっていいと思っている
皆が嫌がる嫌われるような仕事でも家族が幸せに生きていけるなら何でも出来る

それが自分のプライドかもしれない

親父は何の為に仕事をしてるのかがわからない

回りの目や世間体ばかり気にしてる

売り先の信者みたいなってる

売り先の事で家族と喧嘩し、更には息子を困らせて楽しんでいるようにも思える

仕事の事で家族の信頼を無くすような事ばかりしている

家族より仕事を選ぼうとしている

そこに腹がたってしょうがない
親父とは考え方がまるで違う

親父と同じ意見の人もいると思う

この溝をどうやって埋めて
一緒に仕事をして行けばいいのかわからない………
現在の野菜は大半が市場の競りで価格が決まっている

競りは、欲しい物をみんなで競りあって価格を上げていき一番高く買ってくれる人が落札出来るオークションのような物

良いものを農家が作れば、高く売れる

そう思っていた

現実は違っていた

聞いた話だがその人は野菜を市場で競りが出来る権利を取得し競りに初めて参加した

どうしても欲しい野菜がありどんどん野菜の値段を上げていきやっと落札した

すると、他の業者にお前がどんどん値段上げていくから、他の野菜もみんなが高く買う事になってしまっただろ!!

と凄い怒られ脅迫じみた事も言われたらしい

それって競りって言えるのでしょうか??

農家は、良いものを作れば高く買ってくれると一生懸命
野菜を作っているのに市場でそんな事が現実にあるのであれば
何を目標に頑張ればいいんでしょうか?

市場の競りの権利を取得するのは難しい事のようでなかなか取得出来ないらしいのです

限られた人しか競りに参加出来ないっておかしい事だと思います

限られた人だけしかいないから業者がそんな事をやりだすんじゃないでしょうか?

手続きをすれば誰でも競りに参加出来るように出来ないんでしょうか?

自分は車屋で働いていたのだが車のオークションは正式な手続きさえすれば誰でもオークションに参加出来るんです

当然、人気がある車種があれば年式が古くても走行距離が多くても少し傷があっても高い値段がつく

野菜もなぜ同じようなシステムで競りが出来ないんだろうか?

このままの現状が続けば間違いなく日本の農業は無くなると思います


子供が親の苦労を見てるので後継者になりたがらない

親ですら息子がこんなに苦労するぐらいなら農業をさせたくない

こんな状況で日本の食は守られて行くのだろか?

もし競りの関係者、元関係者の方が見られたのならば、こんな事が実際あるのかのコメントをお願いします。