トラヴィス・スコット・ボーデン氏(Travis Scott Borden)がご逝去なされました
ボーデン氏は、90年代にテネシー州メンフィス地区でマネージャーとして活躍なさいました
最初期にはレフェリーとして活躍したようですが、間もなくマネージャーに転身
最初にマネージメントした選手はエディ・ギルバート選手
その後、トミー・リッチ選手やダグ・ギルバート選手のマネージャーとしても活躍なさいました
WWEから戻った“KING”ジェリー・ローラー選手のマネージャーも担当するなど、メンフィスでは著名なマネージャーでした
死因は公表されておりませんが、亡くなる前日にはTwitterを更新しておりますので、突然の死だったと思われます
享年48歳
私より若いのに・・・
謹んで御悔やみ申し上げます
三回忌ですね
正直に言えば、渡辺えりか選手が現役だった頃のJWPをあまり観戦してないかも知れません
橋本真弥(はしもとまや)と名乗っていた頃は何度か観戦したかな
JWPが体制が変わるタイミングで、もしかしたら解散しちゃうかも知れないという状況でした
後に聴いた話ですが、ミーティングの際に渡辺選手が1人でも続けたいと発言した事が要因となり、JWPは存続する方に舵を切ったと
病に侵され
久しぶりに会場でお会いした時は窶れた感じがあり、現役時代を知る者としてはいたたまれない気持ちになりました
でも、私が「プロレスラーは癌なんかには負けない。ね!」って言ったら「勿論です。負けません」って笑顔を見せてくれました
私よりうんと若いのに
本当に悲しい
えりりんが残してくれたJWPは失くなってしまったけど、PURE-Jの中でJ魂は生き続けているし、PURE-Jの中で“渡辺えりか”は生き続けています
ディック・スタインボーン選手がご逝去なされました
スタインボーン選手は父親であるミロ・スタインボーン選手のコーチを受け、1951年18歳でデビュー
ジョージア、フロリダなどで活躍し、AWA圏、テキサス等でも活躍しました
キャリア晩年はプエルトリコのWWCでの活躍が目立ちます
一時、ホワイト・ナイト(THE WHITE KNIGHT)と名乗りマスクマンとして活動しております
日本へは、1967年5月日本プロレスのゴールデンシリーズに初来日
第二次ゴールデンシリーズにも残留参戦しております
1971年日本プロレスのワールドチャンピオンシリーズに来日
これが最後の来日となりました
1984年に交通事故が原因で引退
日本プロレス参戦時には、アントニオ猪木選手とも対戦し好勝負を展開したようですね
タイトル歴
NWAサザンタッグ選手権(ミッドアトランティック版)×2回(パートナーは、ジョージ・ベッカー選手)
NWAテキサスヘビー級選手権
NWAサザンヘビー級選手権(ジョージア版)×3
NWAインターナショナルタッグ選手権(ジョージア版)×3回(パートナーは、レイ・ガンケル選手×2、チーフ・リトル選手)
NWA USタッグ選手権(フロリダ版)(パートナーは、エディ・グラハム選手)×2回
AWA世界タッグ選手権(パートナーは、ダグ・ギルバート選手(ミスターミスター・ハイ&ミスター・ロウ組として))
世界ヘビー級選手権(ジョージア版)
NWAサザンタッグ選手権(ジョージア版)(パートナーは、ニック・コザック選手)
NWA世界タッグ選手権(フロリダ版)(パートナーは、ヒロ・マツダ選手)
NWA北米ヘビー級選手権(アマリロ版)×2回
ロッキーマウンテンヘビー級選手権(ニューメキシコ版)×2回
NWAジョージアタッグ選手権(パートナーは、アルゼンチン・アポロ選手)
WWC世界ジュニア選手権×2回
NWAミッドアメリカヘビー級選手権
WWCカリビアンヘビー級選手権×4回
NWAテキサスタッグ選手権(パートナーは、マーク・ルーイン選手(ザ・ホワイト・ナイト名義))
スタンピード世界ミッドヘビー級選手権×2回
WWC北米タッグ選手権(パートナーは、ロジャー・カービー選手)
NWA USジュニアヘビー級選手権(サウスイースタン版)
NWAミッドアメリカジュニアヘビー級選手権
スタンピードイギリス連邦ミッドヘビー級選手権
享年86歳
謹んで御悔やみ申し上げます
ハワード・フィンケル氏がご逝去なされました
フィンケル氏は、1975年よりWWWFに在籍し、1977年からリングアナウンサーとして活躍なさいました
1970年代後半より1980年代前半までのWWFと新日本プロレスの提携時代には、ニューヨークのリングに上がった新日本プロレスの選手のコールも行いました
アントニオ猪選手
藤波辰巳(当時)選手
坂口征二選手
ストロング小林選手
キラー・カーン選手
ミスター・サイトー(マサ斎藤)選手
リッキー・チョーシュー(長州力)選手
(初代)タイガーマスク選手
前田日明選手
ザ・コブラ選手
等
2002年までメインリングアナウンサーとして活躍し、その後はWWEの広報部門に所属し、時折レジェンドセレモニーなどでコールをしておりました
4月16日ご逝去
享年69歳
謹んで御悔やみ申し上げます
Sareee選手デビュー9周年おめでとうございます
15歳になりたてで女子プロレス界のトップ中のトップである里村明衣子戦でデビュー
本来なら3月21日に旗揚げ戦を行う予定でした
東日本大震災の映像で延期になり4月17日のデビューになりました
3月21日だったら14歳、中学生デビューだったんです!
実は、デビュー前にエキシビションもやっているんですよね
青野敬子選手と
で、デビュー2戦目も青野敬子戦
デビュー戦の結果は8分6秒、側転からのダブルニードロップからの体固めで敗退
試合後の囲み取材でのコメントは、今のSareee選手に通ずる物がありますね
Sareee選手はブレないなあって思います
「凄く緊張してたんですけど、里村さんという凄いトップの方と当たらせて頂いて、試合中に何度も挫けそうになったんですけど、ファンの人とか応援して下さって頑張ろうとって気持ちになりました
(ファンの声援が聞こえた?)ハイ、聞こえました。凄く嬉しかったです
(里村はどうだった?)当たりも凄く強かったし、闘った事勿論無かったし、自分は試合を見ていただけだったんですけど、凄い選手だとなあと思いました
(腰のコルセットは?)もう治ったんですけど、たまに捻ったりするとまだ痛みがありまして、一応念のため着けてました。別にそこを攻撃されても大丈夫です
(デビュー出来た嬉しさと負けた悔しさどはどちらの方が大きい?)負けて悔しいです
里村さんを倒したかったんですけど出来なかったので、またどこかで自分が続けていて、自分が里村さん位になった時に、もう一度闘いと思います。絶対に倒したいです
(会見では涙を流していたが)凄い不安だったんですけど、でもやっぱり凄く練習して来たので、ハイ、自信を持っていこうと思いました
(今日は涙は出なかった?)ハイ!ただ汗が凄いです(笑)
(プロレスのリングはどうだった?)凄くスポットライトが当たってて、どこを見てもお客さんがいて、そういう仕事というか、そういう経験って出来ないと思うんですよプロレスとかしか。なのでこれからずっと闘って行けるんだとなあと思うと凄く嬉しいです
(やっていく自信になった?)ハイ!
(どういう選手になりたい?)自分は受け身がちゃんと取れて、基礎体力もあって、ケガをしないような身体になって、佐藤綾子選手みたいな試合が出来る選手になりたいと思います
ディアナという団体はずっと続いていくので、自分は本物を目指してやって行きたいと思います
自分が支えられるような、ディアナを支えられる選手になりたいです!」
デビュー戦を終えた15歳の少女がここまでの発言をするなんて凄いなあって改めて思いましたね
で、ちゃんと里村さんに勝って、佐藤綾子選手にも勝って、佐藤綾子選手とタイトルマッチをして
9年間でちゃんと発した言葉の責任を果たしました
素晴らしいよね本当に
10年目に突入
世界に羽ばたくSareee選手
楽しみしかないね
Sareee選手、これからも宜しくお願い致します




















